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(126)123『リゾナンター爻(シャオ)』番外編「凍てつく、闇」

夜。
都心の一等地に立てられた真新しい高層ビルの前に、一組の男女がいた。
男は、撚れた黒のジャケットを羽織った、白のTシャツとジーンズという簡素な身なり。

一方、女は所々にリボンがあしらわれつつも
その全てが漆黒に染められたゴシックロリータ調のドレスを着ていた。
明らかに、不釣り合いな組み合わせ。

「…いいんですか?」

男が、にやつきながらそんなことを言う。
疎らな無精髭の、錆びついた中年の貌だ。

「問題ない。てか、前金払ったろ。文句言うなっての」

これだけの規模の高層ビルでありながら、行き交う人間はまるで見当たらない。
男は、女が「これから行う儀式」のために、ビルのオーナーに毎月のように高額の謝礼を渡しているという話を思い出した。だからこの時間はビジネスマンはおろか、ガードマンすらいない。

高層ビル群の中に出現した、静寂の空間。
それは、建物の中に入ってからもまるで変わらなかった。
受付にも、エントランスの一角にあるカフェにも、人影はまるでない。
硬いハイヒールと、そのあとをおずおずとついてくる草臥れたスニーカーの音だけが、空しく鳴り響いていた。

ここはまるで誰かの為に立てられた巨大な墓碑のようだ。
男は何とはなしに、そう思った。この静謐さは、雨の降り止まない墓地のそれによく似ている。
男が生業とする仕事で、よく訪れる場所だ。
そう考えると、目の前を歩く女の、黒いドレスが喪服のそれに見えてくるから不思議なものだ。

そう言えば、と最初に女と会った時のことを思い出す。
女は妙に覇気に欠ける、シンプルに言えば生気のない表情をしていた。それは仕事を執り行う今日になっても変わらない。まるで葬式で棺に入る死体のよう、とは言い過ぎだが葬式に出席する参列者の持つような陰鬱さは十分に感じられていた。

男は。
「記憶屋」と呼ばれる能力者の集団の一人だった。
人間誰しもいつかは死が訪れるものだが、そう簡単に割り切れるものはあまりいない。その死者と生者の橋渡しをするのが彼らの能力であり、仕事であった。

女が、何もない壁に手をやる。
すると、重厚な作りの石扉が壁の表面に現れ、重苦しい音を立てながら左右に開き始めた。
職業柄、大抵のことには驚かないつもりではいたが、それでも男の目を丸くさせるには十分の仕掛であった。

「…オーナーに作ってもらった、んですか」
「余計な詮索は前金の中に入ってない。とっとと行くよ」

だが、そんな男の様子など気にも留めずに、女は扉の先の階段を下りてゆく。
秘密主義。どうにもいけすかねえや。
思いつつも、それを口走ったとたんに己の身が危うくなることも男は知っている。

ダークネス。
闇社会の末端にいる男ですら、その名前は良く知っていた。
規模だけで言うなら例の「国民的犯罪組織」には劣るものの、それでもその名を聞けば大抵の能力者たちは尻込みしてしまうほどの存在であった。特に「幹部」と呼ばれる能力者たちはこの国でも有数の実力者たちだという。そんな連中が、悪事に手を染めているのだ。
肝を冷やさずにはいられないだろう。

そして、その「幹部」の一人と目される女が、男の先を歩いているゴスロリだということも。
男は、十分に知っていた。知っていながら、依頼を受けたのだ。
リスクをはるかに上回る前金が振り込まれたのももちろん理由の一つではあるが、それよりもそこまでの地位に上り詰めた人間ですら、自分たちの力を必要としている。そのことをこの目で確かめたくなったのだ。

男の力は、ありていに言えば「接触感応」に分類される。
モノや場所に残された残留思念を読み取る能力。そして彼ら「記憶屋」は、特に人間が死ぬ際にその場所に刻まれた残留思念を読み取ることを得意とする。死者の最後の声を聞く、というのが彼らの商売における宣伝文句だった。

薄暗い階段を、ゆっくりと降りてゆく。
沈黙。そして静寂。まるで死者の世界に乗り込むかのような陰鬱さに、男がたまらず口を開く。

「ここは、どういう場所なんで?」

お前には関係ない。そう言われるのを覚悟で聞いてみた。
口を噤んで沈黙に押し潰されるよりはいくらかはましだ。そう思ったのだが案外女は答えてくれた。

「…このビルの前に建ってたビルが『謎の爆発事故』で木端微塵に吹っ飛んだ事件は知ってるだろ」
「ああ。テレビを賑わせてましたね。何せあれだけの質量の建物が一気に崩壊して瓦礫になるんだ。マスコミは色々騒ぎ立ててましたね。やれ地下に戦時中の不発弾が埋まってただの、関東広域に分布するガス田からガスが漏れただの、ね」

男は暗に原因がそれらのことではないだろうということを匂わす。
「謎の爆発事故」はお偉いさんが能力者絡みの事件をもみ消す時の常套手段。半年ほど前の巨大アトラクション施設の事故もそうだったのではないかと、業界の中では噂されているほどだ。

「その事故で…仲間が死んだ」
「へえ」

その氷を思わせる冷ややかな表情に、似つかわしくない台詞。
だが、そんな事情でもない限り自分のような「記憶屋」には依頼しないだろうとも思った。

「で、そのお仲間は。どんな人だったんで?」
「…お前には関係ねえだろ」

少し踏み込み過ぎたようで、男は明らかな拒絶を食らわされる。
まあいい。その死んだ仲間とやらのことは、あとでたっぷりと知ることになる。
男は自分の残留思念感知能力に、絶対の自信を持っていた。

階段が終点を迎える。ほんの僅かのスペースの先にある、頑健そうな鉄扉。
大の大人でも手こずりそうなデカブツを、女は表情ひとつ変えずに開けて見せた。

「…入んな」
「あ、ああ」

扉の先には。
打ちっぱなしのコンクリートの広がる広間、その中心には瓦礫のようなものが積み上げられていた。
いや。瓦礫だらけの場所を後からコンクリートで囲い固めた、そんな印象さえ受ける。

「この場所は、あの日あの時のままだ。やりやすいだろう?」

瓦礫のモニュメントの前に立ち、女が言う。
男はそれには答えず、瓦礫の前まで歩み寄ると、そのまま跪いた。
そして掌をそっと、瓦礫に添えた。

流れ込んで来る、残留思念。
女が二人、そこにはいた。一人は黒衣の、赤のスカーフが特徴的な女。
そしてもう一人は、編上ブーツに黒と白の戦闘服らしき服に身を包む女。
赤いスカーフの女が手を翳した瞬間、空気が、そして瓦礫が激しく爆ぜる。かなりの能力者。記憶の残像だけで身震いがする。だが、対抗する女も負けてはいない。俊敏な動きで敵を翻弄し、手からは溢れる…これは、光? 聞いたことがある、全てを光に還す至高の能力者の存在を。
光と、爆風。二つの激しい争い。永遠に続くかと思われた戦いは、光の女が放った光線が相手の心臓を貫くことで決着を見る。溢れる鮮血と、染め上げられた赤い夕陽がシンクロし、倒れる女。女は満足そうに微笑み、そして…

そこで、思念は途絶える。
額には汗が玉のようにこびり付き、拭うと不快な湿り気となって手の甲に纏わりついた。
「記憶屋」となってから幾多の経験を経てきた男だったが、これほど濃密で強烈な残留思念に触れるのは、ほぼはじめてのことだった。

「あんた、大したもんだね」
「何が、だ」
「今まで連れてきた『記憶屋』はほとんど、この時点で半分気絶しかけてた。あたしが喝入れるまで、呆けてるやつがほとんどだったからさ」
「へっ。何年この仕事やってると思ってんだよ」

強気な口を利く男だが、正直体力の消耗の激しさを実感していた。
それほどまでにあの記憶は、凄まじい力を持っていたのだ。 

だが、ここでへばっている暇はない。男の仕事はまだ、終わっていないからだ。

「それじゃ、この記憶を。あんたに移すぜ? いいな」
「…さっさとやんな」

男は立ち上がり、女の前に立つ。
女は自らの身を委ねるように、瞳を閉じ、そして自らの額を差し出した。
「記憶屋」の本領は、ここから発揮される。
残留思念を読み取り、相手にその情報を寸分違わず受け渡す。それが男の能力であり、そして女の依頼でもあった。

瓦礫から記憶を吸い取った掌が、女の額に当てられる。
すると、それまで表情のなかった女に変化が現れた。
男がそうであったように、女もまた尋常でない量の脂汗を流し始める。そして、眉は引き攣り、皺が深く刻まれ、口元が大きく歪んだ。これはまさしく。激しい憤怒によるもの。

「う…お、お、うああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!」

女のものとはとても思えない、叫び。むしろ、獣の咆哮に近い。それほどの殺気、そして重圧。
空間がびりびりと震えるような、衝撃。記憶を流し続けている張本人の男ですら、立っているのがやっとの状態だった。
記憶の凶悪さに加え、女自身の凶暴性、地獄のマグマのような煮え滾る怒りがこの状況を生み出している。女と、記憶の中の二人が正確にはどのような関係かは男は知らない。だが、これだけは言える。
女の怒りと悲しみは、永遠に癒されることは無い。と。

「がっ…はっ…はぁ…はぁ…」

記憶が全て渡されると、女は崩れ落ちるように両膝を落とした。
息は乱れ、体で大きく息をしている状態。
男は女の前で屈み、声をかける。

「どうだい。これで満足かよ」
「ああ。あんた、相当の腕利きだね…おかげで…」

女は、伏せていた顔をゆっくりと上げ。

「これで『最後』で済みそうだ」

急激に冷却されてゆく空気。
氷の槍が交差するように、男を刺し貫く。

「さっきも言ったよな。『何年この仕事やってると思ってるんだよ』ってな」

だが、女の作った磔の交差点に、男はいない。
それどころか、女の体から急速に力が抜け始めた。

「能力阻害」。いつの間にか、仕掛けられていたらしい。

「…ちっ。初めから知ってたのかよ」
「ああ。あんたの仕事を受けた『記憶屋』が何人も行方不明になってる。記憶を移し終わったところで、用済みになった『記憶屋』を憤怒のままにぶち殺したってとこか。だが派手にやり過ぎたな、氷の魔女ミティさんよ」

男が、再び女の前に現れる。
手には、凶悪な光を湛えた銀の刃が握られていた。

「ここであんたに無残に殺された『記憶屋』たちの残留思念も流れ込んできたぜ。それを読み取った俺が、そいつらの無念を晴らすためにお前をここで殺す。何もおかしくはねえだろ」
「…ダークネスに喧嘩売るとは、いい度胸してるよな」
「はっ。噂じゃ奇行が過ぎて組織でも鼻つまみになってるらしいじゃねえか。却って厄介払いができていいだろうよ」

再び、男が身を屈める。
今度は女の髪を掴み、そして引っ張り上げる。その首を、掻き切るために。

「ちなみにあんたの力を奪ってるのは、闇市場で手に入れた能力阻害装置の賜物さ。おかげで俺の貯めてきた蓄えが半分ほど吹き飛んだがな。性能には半信半疑だったが、弱ったあんたには十分すぎる効き目だったようだ」

女は。
相も変わらず、色のない目で男を見ている。
死の間際ですら、枯れた感情は戻らないようだ。

「じゃあな。ミティさんよ」
「なあ。なんであたしが『魔女』って呼ばれてるか、知ってるか?」
「さあ? 知らないね」

大方、力に酔った連中による僭称だろう。
だが男はそんなことは言わなかった。女の命乞いにも似た時間稼ぎに乗る必要など、まるでないからだ。
すぐにでも、その口を命とともに閉じてやる。

いや違う。
一刻も早く、この女を殺さなければならない。
でないと。でないと俺は。

「あたしの中に…『魔女』がいるからさ」

声にならない叫びを上げながら、男がナイフを走らせる。
白い喉元を引き裂いたはずの銀の刃。しかしそれはすでにこの世界には存在していなかった。

そして、男自身も。



「…“極上の記憶”をいただいたお礼、とは言えサービスし過ぎたか」

まるで、何事もなかったかのように立ち上がる女。
墓所に似たその部屋には、相変わらず瓦礫が積まれているだけだった。

女  ― 氷の魔女 ― の、真の能力。
能力阻害状況においては使うしかなかった、がその効果は絶大だ。
魔女を亡き者にしようとした男は、肉片ひとつ残さずこの世から消え失せた。

ヘケート…。

力を解放した「氷の魔女」が、呟く。
今となっては人の名前なのか、それとも戒めの楔なのかすらも判然としない。
だが互いに自らの能力を隠しあうダークネスの幹部たち、そのうちの「氷の魔女」の能力の中枢であることには間違いなかった。それはあの日あの時。その「力」を受け継いだ時から、ずっと。

黒のドレスを翻し、その場を立ち去ろうとする女。
しかし、その身は再び崩れ落ちる。頭の中を、漆黒の渦が逆巻きはじめた。

くそ…記憶の揺り戻し…か?

右手で顔を覆い、襲い掛かる悪意から逃れようとする魔女だが、一度流れ込んだ記憶を追い出すことなどできない。
最初は自らの復讐心を絶やさぬよう、黒き炎を猛らせようと「記憶屋」と呼ばれる輩に依頼したのが事の端緒であった。刻まれた記憶は魔女の求めるままに、鮮やかな色をもって凶暴化してゆく。戯れに仕事を終えた「記憶屋」たちの命を奪うのも、裡に育つ記憶の魔物の成長具合を確かめるためだった。 

だが今度のそれは、それまでのものとはまるで比較にならない。
舞い上がる土埃。滴る赤い血。血液の赤よりなお赤い、沈みゆく夕陽。全てが、まるで「氷の魔女」自身が体験したかのように彼女の脳に刻まれ、焼き付けられていた。

顔を覆う右手の指の力が、抑えられない。
爪はやがて皮膚に食い込み、魔女の顔から血を滴らせる。
先程と同じだ。膨れ上がる、激しい怒り。憎い。憎い憎い憎いにくいにくいにくいにくいにくいにくいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

一番許せないのは。
高橋愛にとどめを刺され、安らかに死んでゆく「赤の粛清」。
「記憶屋」の写し取った記憶は。彼女の残した思念すら魔女に伝えていた。
そこで垣間見た、残酷なる真実。

「赤の粛清」が「氷の魔女」に遺したものは。なにも、なかった。

ふざげんな。
ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな。
怒りを通り越し悲しみの感情すら飛び越えて、最早涙すら出ない。
爪が抉る傷口から溢れる血も、表面に出た途端に凍り付いてゆく。
これは十分だ。十分すぎる理由づけだ。


高橋愛の守ってきたものを、悉く壊してやる。

まずはあの幼さを残した次世代の少女たちだ。
一人残らず、縊り殺してやる。そして、彼女たちの全身を凍らせ氷の墓標とするのだ。
魔女の背後に聳える、響き合うものたちの生きた証。それを、愛の目の前で粉々にしてやろう。

凍りついたままの表情で、原型を留めぬほどに破壊される、共鳴の少女たち。
愛から受け継がれたであろう意志は、そこで終わる。もう、心が鳴り響くことはない。

愛の悲鳴が、怒りが、嘆きが零れ落ちやがて大河になり。
魔女の心の砂漠を流れるだろう。それでもなお、渇きは。いや、永遠に潤されはしないのだ。

― そう遠くないうちに、ご用意しますよ。とってきの、舞台をね ―

組織の頭脳である「叡智の集積」は、魔女にそう約束した。
「氷の魔女」は組織に傅いているわけではない。それは彼女の「nonconformity(不服従)」の別名からも明らかだ。
彼女が組織に属し、今までやってきたのは偏に成り行きに過ぎない。「永遠殺し」や「鋼脚」らの他の幹部が組織に忠実に動いているのとは、明らかに一線を画してきた。

しかし。かのDr.マルシェがそう言うのなら。
舞台が整うまで待ってやろう。約束が果たされなければその時はその時。膨れた面を白衣ごと引き裂いてやればいいだけの話だ。最早彼女に失うものなど、何もないのだから。

再び魔女が、立ち上がる。
頭の中で渦巻いていた黒い記憶の波は、あらかた引いてしまっていた。


投稿日時:2016/07/22(金) 12:41:00.27



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