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(134)117  「道標」2

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「小田さんには、指一本、触れさせませんよ」

そうして構えた野中美希の声は、幾分か震えていた。
余裕を見せることなどしない。それは、彼女が実戦に赴く機会がまだ少ないことの証のようにも見えた。
だが、地に伏した小田さくらを護るように、佇んでいる。
度胸。勇気。無謀。無茶。
そんな言葉が、よく似合う。

「必死だね。何でそんなに頑張れるの?」

女には不思議でならなかった。
「野中美希」がどういった人物であるか、その報告は何度か聞いている。
最近リゾナンター側に加わった新人だが、ポテンシャルが高く、侮れない。
その能力の実態は未だ解明されていない部分が多く、注意せよと上層部は言う。

「その女見捨てれば良いじゃん。わざわざ助けに来る理由ある?」

だが、自らの前に立つ野中美希からは、そんなポテンシャルや危険性は微塵も感じられない。
ただの無鉄砲で向こう見ずなバカな能力者だ。


「仲間を助けるのに、理由なんていりますか?」

迷いなく答える美希に、女は心から同情した。
こいつは、どうしようもない。
典型的なお花畑だと確信した。

「仲間とかさ、意味ないよ?」

リゾナンターの中で通じる“共鳴”というチカラ。
上層部も、それが一体なんであるのか、全貌を把握しているわけではない
ただ、端的に言えば、そこには「信頼」とかいう絆があるのだろう。
そんなものは邪魔なだけだ、と女は笑い飛ばす。
目に見えない絆や心といったものに縋りつくから、人は脆くも壊れてしまう。
だからこそ、此処に居る男たちはあっさりと私に跪いた。

精神とはすなわち、脳だ。
頭の中を弄れば、どんなに固い友情や愛情も、砂のように風に浚われる。

「他人のために死ぬ…そしてその他人さえも死ぬ。意味ないって」

あんたのやってることは、無意味。
そう口にしながら、女は地面を蹴り、美希の間合いへ入ろうとする。
即座に美希も、一歩踏み出す。
女の右の拳を左手で抑え込む。
美希が思った以上に、女の力が、重い。手首が痺れる感覚を知りながら、相手の攻撃を捌いていく。

「へぇー、案外、やるね」
「……どうも」
「褒めてないよ、ばーか」

女は左脚を軸にして、回転する。鋭い風が巻き起こり、一瞬、怯む。
勢いを付けて手首が弾かれる。
女は迷いなく、懐に入る。
美希は間髪入れずに、肘を女の顔面に突き立てた。
いわゆる「肘鉄」を喰らった女は、鼻先に強い衝撃を受け、数歩、後退することとなる。

思わず、「ぐっ…」と声が漏れた。
鼻の骨、「外側鼻軟骨」と呼ばれる箇所がひどく傷んだ。
鼻血がぼたぼたっと滴り落ちる。
なるほど、間合いに入られた際の対処法として、一通りの体術は会得しているわけかと納得した。

「此処は、通しません…」

美希の表情は硬いまま、意志の強さをもってこちらを睨む。

「通るって」
「通しません」

よくも私の顔を傷つけてくれたね。この恩はたっぷり返してあげると、再び地面を蹴る。
残念ながら、美希は防戦一方で、自ら攻めに転じることはない。
それならば、こちらが仕掛けて牙城を崩すまでだ。その拳に乗った「信念」というものも、粉々に割ってみせる。

「仲間って何なの?命懸けるもの?」

何度も拳を叩きつけながら、女が言う。
美希は必死に捌きながら、「あなたにとって」と返した。

「あの能力者は仲間ではなかったんですか?」

能力者?と問われ、女は怪訝に眉を顰める。
誰のことを言っているのだと顔で訊ねると、美希は「先ほど粛清した、もう一人の精神干渉者です」と言う。
それに、ああと合点がいった。
そしてまた、笑う。
あれが仲間だって?冗談じゃない。

「あんなのと一緒にしないでくれる?同じ能力保持者だから、行動を共にしていたらあんたみたいに引っかかってくれるバカがいるのよ」
「バカ……」
「能力者1人斃しただけで安心している、バカのことよ」

女はそう言うと、美希の顔面を鷲掴みにした。
一瞬だけ見せてしまった美希の失策を、女は逃さなかった。
まずいと思ったのも束の間、一気に能力が発動される。 

「うぁっ……!」

脳が、爆発しそうな感覚を知った。
強くロックをかければかけるほど、精神干渉はやりやすいということを、美希は知らない。
完璧な鍵など、この世にはない。
鍵をかけて安心したその隙間からでも、煙は入り込むことができる。
一瞬で美希の脳を弄り、彼女の心を壊していく。

「ちぇるっ!」

さくらが思わず、叫んだ。
まだ視界が回復していないのか、あらぬ方向に向かって声を上げる姿は滑稽だ。
女は、勝ち誇ったように笑い、美希の顔から手を離す。
そして下から突き上げ、顎を砕く。
アッパーを喰らったように高々と舞い上がった美希の胸元を掴み、背負う。
ぐるんと一回転し、地に伏す。

「っ―――!」

流れるような連続攻撃に、美希の脳が激しく揺れる。
ぐあんぐあんと羽虫が飛ぶような感覚を知り、吐き気がする。

「ねぇ、もう終わり?」 

女はくすくすと笑みを絶やさず、地に伏した美希を見下ろした。
余裕を漂わせているが、実際、こちらの状況は、あまり良い物ではないと美希は理解している。
脳を弄られ、心を壊され、肉体的にもボロボロだ。

「…せ……ん…」

それでも、口を開く。
届かないかもしれないその言葉を、誓いを、立てる。

女は笑いながら、「なに言ってんの?」とその胸に足を乗せてきた。
邪魔臭いと振り払う余裕は、まだ美希の中には戻ってきていないが。

「小田、さんに、は…触れ、させません……」
「この状況でも他人の心配?おめでたいねーホント」

あんた、自分の状況分かってる?と言わんばかりに、女は指を弾いた。
途端、周囲に居た男たちがのっそりと立ち上がる。
意志をもたないその人形の姿に、美希の背筋がぞくりと凍る。
何をする気だと思ったのも束の間、男たちは一斉に美希に群がってくる。

「ああああああ!!」

男たちは容赦なく、美希の身体にナイフを振り翳していった。
腕や足、手の平と言った致命傷に当たらない部分を攻め、精神的な苦痛も同時に与えていく。 

「ここ、通っちゃうね」

死体を喰らうハイエナのような姿をニヤニヤと眺めながら、女は踵を返した。
光を失ったままのさくらに狙いを定めると、一歩ずつ、歩みを近づける。
さくらは腰を抜かしてしまったのか、思うように動くことができない。
じりじりと尻を動かして後退する姿はまさしく滑稽で、女は笑みを抑えきれない。

「カッコ悪いね、2人して」

誓いを果たせないバカな能力者と、光を失って攻撃力ゼロな能力者。
女は勝利を確信していた。

腰からナイフを取り出し、さくらの胸元へとかざす。
切っ先を数センチ動かせば、それはさくらを貫くだろう。
この場所に血雨が降る。この瞬間が、女にとって最高のドラマだ。

「絶望的な表情って最高」

その大きな胸を刳り貫いて、中で呼吸をしている心臓を取り出してあげるから。
女はそうして、すっとナイフを振り上げた。


投稿日時:2016/11/01(火) 21:41:45.16



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