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(137)195 「the new WIND―――新しい風」

愛は管理官の答えを待たずに踵を返した。
このまま“重力閉鎖(グラヴィティ・クローズ)”で殺されることも覚悟していたが、背中の彼は能力を発動しようとはしなかった。

「………共振、という言葉を知っていますか?」

あと数歩で部屋を出るというとき、管理官はそんなことを口にした。思わず愛は立ち止まり、振り返る。
彼はそっと立ち上がり、窓際へと歩く。

「共鳴と同じような意味を持つ言葉です。例えば、この機械。同じ固有振動数を持つ共鳴箱付きの音叉です。
 こちらを叩くと、その振動が隣にも伝わります」

管理官はそうして、片方の音叉を軽く叩いた。音と振動が響き、確かに隣のそれへと伝わっていく。

「この共鳴ですが、一度始まると止まらないんですよ。コントロールするのが非常に難しくなる」
「コントロール…」
「ある研究結果によると、共振がコントロールできない状況に陥らないために、
 一定の独立を守ろうとしたり、相手と適切な距離を取ることを求めるような感情が働くことがあるようです」

彼の言葉は無機質で、ひどく冷たく感じられた。
全ての意味を理解できたわけではなかったが、響き合う音叉を見つめながら、愛は考える。
一度始まると止まらない共振。二つの音叉はいつまでも響き続ける。理科の授業で習ったことがある気がする。
恐らく、あそこに同じ固有振動数を持つ3つめの音叉を置けば、それも音を奏で始めるだろう。
空気を震わせ、お互いに振動しあう、同じ固有振動数の音叉。

管理官は音叉に手を置き、音を止めた。

それは、共鳴者を指しているようでもあった。
永遠に、誰かの介入がない限り、闘いの渦の中にいる、リゾナンター。
能力の跳ね返りも、そして暴走も考えられる、共鳴というチカラ。

「残念ながら、私にも分からないことが多すぎています」
「……」
「例えば、能力の跳ね返り」

管理官は愛を見据えて言った。

「異動の時期によって跳ね返りの有無があるというのは、何となくわかります。
 在籍期間が長くなるほど、“共鳴”も強くなる。だがどうしてあなたに、跳ね返りがなかったのか」

そのの言葉は、真っ直ぐに、愛を射抜いた。
レポートによれば、共鳴というチカラが巻き起こした副作用によって、リゾナンターたちは一様に内的な不調を抱えた。
愛佳とさゆみの脚、里沙の腰、れいなの気管支…それは共鳴がもたらした呪いだ。

だが、愛には何も起きていない。
また、絵里の心臓にしても、同じことが言える。
彼女のそれは生まれつきと聞いているが、異動の時期を考えると、副作用が発動していてもおかしくはない。
彼女には、不調が起きていたのかどうかは判別できない。

副作用の有無を分けたものは、なんだ?

「我々の想像以上に、“共鳴”は簡単に理解できるものではない。
 もしかしたら事実はそんなに難解なものではないのかもしれませんが、全貌が掴めない以上、
 最良の未来に向かう以外に、術はありません」

管理官の言葉は、ともすれば、自らの介入を認めたような意味を持っていた。
だが、もうその言葉に価値はない。
愛たちリゾナンターの前に突き付けられた現実は、もうすでに、始まっている。

「………それでも」

愛は、言葉を返す。

「闘い続けることが、共鳴者の宿命です」

今度こそ、振り返ることなく、部屋を後にした。暗い廊下を大股で歩きながら、管理官の言葉を反芻する。
これ以上、自分にできることはない。
最後は、彼の良心に懸けるだけだ。

ふっと足を止め、顔を上げる。
このことはきっと、誰にも話せない。れいなやさゆみにはもちろん、ずっと支えてくれた里沙にさえも。

これは裏切りなのだろうか。
知らないほうが良い真実もあるとは聞こえの良い言葉だが、仲間が求めている真実を隠すことは、是なのだろうか。

「………」

青い空が仰ぎたかった。何処までも突き抜けるような、輝ける空が。
だが、愛はそれを見ることは叶わない。それでも、今は、歩こうと決めた。
帰るんだ。みんなのいる、喫茶リゾナントに。



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管理官は、光井愛佳のレポートをめくった。何度も読み返し、紙がくたびれている。
よく出来たレポートだと、感心する。
少なく、断片的に散りばめられた情報から、共鳴と能力、そして解体のことにまで辿り着いたことは、素直に感嘆する。
高橋愛にクローンのことを見破られるのも時間の問題だとは思っていたが、彼女は責めるでも、攻撃するでもなく、頭を下げた。それは、意外だった。

「………そこが、甘いんですよ」

管理官はまた、音叉で共振させる。
部屋に静かに音が響く。静寂の中の呼吸が、耳を撫でる。

「その甘さが、キミたちの強さ、ですか」

ひとつ息を吐き、椅子に座る。
目を閉じると、あの日の光景が蘇る。
ダークネスの地下施設から放たれた男を粛清した、あの光景だ。
男はたちどころに砂と化した。腰に提げていた刀を、粛清した張本人である黒衣の男に手渡す。黒衣の男は頭を下げ、闇へと消えた。

「共鳴は、私たちの手に負えるものではないのかもしれませんよ」

赤ん坊の伝染泣きという行為もまた、一種の共鳴だ。
一人の赤子が泣き始めると、近くに居た別の赤子も泣き始める。生後2~3週間の赤子であれば、表情の模倣をするという結果も出ている。
そんなに幼いうちから、人は“共鳴”というものに縛り付けられている。

他にも、学校現場での共鳴も考えられる。
例えばクラスで生じた小さな冗談が大笑いになり、その場が一気に場が和むことがある。
そしてみんな大笑いしている時には、一般的には失礼な発言も冗談として受け取られる。
笑顔が連鎖していく好意もまた、共鳴だ。
最初に共鳴を発した人物の予想もしないような形で相互作用し、独自の場を作りだすとも言える。

共鳴は絶大な力を持つと同時に、危険なものであるという認識は揺るぎないものになっていた。

だが、これもまた仮説にすぎない。
本来“共鳴”がどのようなものであるかは、管理官自身もまだ分かっていない。

確かに術者に跳ね返りをもたらすことは事実としてあるが、なぜ“共鳴”が能力を引き出す鍵となるのかは、まだ分からない。
共鳴に対して、我々の認識はあまりにも甘い。
“共鳴”は、本来はそれほど複雑なものではないのかもしれない。
我々が勝手に事実を難しくしてしまうだけという可能性も捨てきれない。

それは、希望的観測だろうかと苦笑しながら、管理官は別の資料を取り出す。
そこには何者かの写真と、横に検体番号が振られていた。

「キミたちは強い。だが、その成長速度をはるかに上回るスピードで闇が広がり、共鳴は強くなっているんです」

検体番号001684の男に大きくバツをつける。
代わりに、3ページ先にいた005876の男に丸をつけた。
男が付与する能力は、“時間遅延(タイム・ディレイ)”。
死体が砂と化せばクローンと見破られるだろう。技術者に確認を取り、なるべく本物の死体を維持する時間を長くする必要がありそうだ。
この005876を送り込めるのは、もう少し先になりそうだ。

「………世界を護るためなら、私は悪魔にでもなりますよ」

管理官はそうして資料を閉じた。
彼女たちの闘いに介入し、その奥に眠るポテンシャルを引きずり出す。
そうしないと、もう、間に合わない。
世界が闇に呑まれるか、もしくは彼女たちが、共鳴に殺される可能性がある。

まるで共鳴が、闇を増幅させているようだなと苦笑する。

もちろん、それは言い訳に過ぎない。
自分が赦されないことも、彼女たちをどれだけの勢いをもって傷つけ、裏切り、利用しているかも理解していた。

それでも。
彼はその信念を、曲げない。

彼女たちが信念をもって闘うように、管理官には管理官の信念があり、それを全うしようとする。
たとえそれが、孤独な闘いだとしても。

「闘いの果てに、私は喜んで、この心臓を差し出しますよ」

彼は、諦めたように、笑う。
共鳴者たちは、恐らく今後も現れるだろう。
そしてまた、別れていくのだろう。
そのたくさんの出逢いと別れの先に「闘いの果て」が訪れるという確証もないままに、それでも無意味に、縋るように、祈りを捧げる。

窓の外に映る空は、彼の心など知らず、何処までも青く広がっていた。
部屋にはいつまでも、音叉が響いていた。


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地下鍛錬場でその能力を見たとき、れいなとさゆみは目を見開いた。
確かに、今のリゾナンターたちとの能力差は歴然としてある。このまま戦場に突っ込めば、
必ず全滅するだろうという確信もあった。
だが、明らかにポテンシャルは高い。
個々人の持つ能力の底は知れず、此処に共鳴というスパイスが加わることで、
即戦力になりうるのは間違いないと感じられる。

共鳴が選んだ新しい風。
共鳴によって身体を蝕まれた能力者。
それを素直に受け止められるほど、れいなはまだ自分の中でも状況を噛み砕けていない。
心はまだざわめきを覚えているし、圧倒的な違和感も消えてはいない。
全身で現実を受け止めようと決めていたのに、実際に直面すると、驚くほど狼狽えてしまう。
そんな想いを、風は優しく撫でていく。
吹き飛ばすほど強くはなく、包み込むほど温かくはない。
確実に痛みを残しながら、逃げることは赦さないと目の前に佇む。

「ちょーカッコいい!」
「即戦力デス!」

心春やリンリンは、新人たちと早速談笑をしている。
馴染むのが早くて羨ましいと思いながらも、モタモタしている暇はないなと気付く。

「共鳴増幅が、今後の鍵かもね」

さゆみに声をかけられ、曖昧に頷いた。
共鳴が、自分たちにプラスの要因だけを齎すわけではないと知った今、その呪いを増幅させることが、果たして正しいのかはわからない。
自分の能力がリゾナンターの中で最も呪われている忌むべきものかもしれないという不安もないわけではなかった。
そうやって立ち止まる暇さえも、共鳴は与えてくれないのだろうけど。

「…未来を紡ぐって決めたけんね」

ジュンジュンが新人に何かアドバイスをし、愛佳は苦笑しながら通訳する。
絵里が風を起こして遊ぶ様を里沙が注意し、愛がそれを穏やかに見つめている。

共鳴という呪いの中に巻き込まれていても、共鳴という奇蹟が繋いだリゾナンターたちだ。
振り返らない。過去は戻らない。
今のこの瞬間がすべてだ。
あの頃の9人で闘える日は、もう訪れない。それでも、今度は新しい風とともに未来を紡いでいく。

「いつか、れいな達も、異動するっちゃろうか?」
「多分、ね。身体の不調は避けられない。れいなの咳も、さゆみの脚も。でも、その日まで、闘い続けるよ、此処で」

さゆみは真っ直ぐに、リゾナンターを見つめる。
その瞳には、確かに未来が映っていたはずだ。
確かめる術は、れいなにはない。
だが、なにも言わなくても分かることがある。
それが、呪いという共鳴が示した、希望の絆だ。

「さゆ!れいな!」

絵里がふたりを呼ぶ。
どうせまた良からぬことを考えているような悪い笑顔だ。
彼女の思いつきに振り回されそうな予感を覚えながら、ふたりは絵里へと歩み寄る。

一夜限りの13人の共鳴者たち。
その奇蹟の夜を、月が静かに見守っている。


新しい風は、暖かいだけではない。
冷たさや不穏さ、そして確かな強さをもって吹き抜けた。

 
―――「私が…いえ、私たちが、きっと時代をつくっていきます」


―――「里保っ!里保っ!今年1年を総括すると?」


―――「ちゃんと、聴こえるよ。安息の、優しい“平和の音”がさ」


―――「約束する。絶対、鞘師はだいじょうぶだから」


―――「その音が聴こえるまで、傍に居て下さいね」


―――「信じとーよ、さゆも、絵里も。そして、鞘師のことも」

 
 
そして、今も。


―――「仲間という意味が分からないあなたには、教えませんよ」


―――「道標とは言わない。だけど、それに近い存在になら、なれるよ」


蒼き共鳴が、此処に在る限り。


物語は、未来へのキャンバスの上で紡がれていく。

the new WIND



fin. 


投稿日時:2016/12/18(日) 22:14:46.95


作者コメント
これにて「the new WIND」は終わりです
長々とお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m 


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