(141)103 『朱の誓約、黄金の畔 - Forget about me -』
すみません 同じサブリーダーなのに私が先だなんて
もしも薬の効果が中途半端に切れてでもした時は生田さんの
チカラでしか抑える事は難しいと思って…
や 大丈夫ですよ なんならレアでもミディアムでも…
ごめんなさいごめんなさい冗談ですひぃ 本気で焼かないでっ
……でも本当に お願いしますね “次の私とも”それなりに
接してあげてください ではまた
連続殺人犯は短命だ。
何故なら最後には逮捕されるか、精神が崩壊して自殺する事が多い。
多いとはいえ、結果が分かっている場合だけで、ほとんどの事件に
倣えばほとんどは未解決のものとして過去に流れていく。
カウンターの上に接続されたパソコンの画面を見て、春菜は顎に手を、肘をつく。
喫茶店内の窓を横切るのは通勤する背広姿や学生。
『リゾナント』のある十四区より東にある第十八区、十九区は全年齢共通の
教育機関が設置してあり、第二十区は新暦を迎える以前に設立された
ベンチャー企業群が連なり、今では二十三区まで拡大している。
二年前の日本壊滅から、二年の歳月で他国の支援を得ながら
システム機能を少しずつだが回復の兆しを見せている。
本来東京が存在した地域に新たに設立した共同復興都市『TOKYO CITY』
その裏ではリゾナンターの志に賛同した後方支援部隊の活躍による所が
大きいという話だが、彼らはその姿を見せずに未だに行方をくらましている。
今でも各地区でひっそりと活動しているらしいが、真意は不明のまま。
各地区の動向を探っていた。主に掲示板やチャットだが、馬鹿には出来ない。
壊滅した後の日本であっても、ネットに依存してきた月日を考えれば
こんな便利なシステムを簡単に手放す訳がない。
“隠れ蓑”である喫茶『リゾナント』での情報収集力は先代から受け継いだ
ネットワーク網を介してであり、信頼する”情報屋”よりもその性能は
良くないが、見過ごせないものも確かに文字として、事実として映る。
『また第七区で殺人事件だってよ』
『あそこは珍しくないじゃないか。あそこは黒社会の入り口。
ま、昔宗教集団が起こしたバイオテロ事件の方がよっぽど凄いけどな』
『生体実験もしてたってホントかな?ドンが酔狂してたって』
『どんだけ地球嫌いだよ』
『国一つ沈めようとしてた奴らがなんで西を牛耳ってるんだ?』
『詳しい事は未だに政府が黙ってるから分かんねえよなあ。
誰が黙らしたのかも知らねえし』
『お前らまたその話してんの?何スレ立てたと思ってんだ。
『半年頑張ったけど結論でなかった悪夢再来』
『残り火がなにしようが東に来なきゃどうでもいい』
『二十二区はヤクザの頭が背負ってるって話だぜ』
『マジかよ。俺の兄貴が働いてんだけど』
『兄貴カワイソス。転職勧めてやれよ』
『お前ら誰か乗り込んで来い』
『指名手配犯にもならねえから野放し状態』
『法律なんてそんなもんだよな。日本壊滅フラグキター?』
来させないっつーの
春菜はため息を吐きながらパソコンを閉じた。
関心や興味のない者達が集まった所で真実には辿り着かない。
だが不幸の味は蜜の味。
楽しみを失った人間は卑下する為に満たされようとする。
こうして網に引っ掛かるだけの魚で居てくれた方が良い事もある。
そこまで考えて、苦笑した。
自分も同じじゃないか、春菜の鼻孔にコーヒーの香りが刺激する。
「またそんなの見てんの?」
「情報を集めるには一番効率いいんだよ」
「ガセも多いけどね。あまり真に受けないことが吉よ」
「占いでも始めた?」
「一回千円」
「地味に現実的な金額ね」
亜佑美がカウンターの椅子に腰を下ろし、マグカップを傾けた。
凛々しい眉に瞳は狼と悪戯っ子が同居した様な印象を受けさせる。
受け取ったマグカップのコーヒーは砂糖入りで甘みがあった。
「でも学生生活の時ってさ、周りの情報だけが頼りだった所ない?」
「ああうん、分からない事もないけど」
「今も平行線な気がするんだよね。
友達や街の人達に気持ち悪いやつだと思われない様に、とか。
明るく楽しい人を演じて、空気を維持したり、とか。
将来の夢の心配とか、家族事情も空気を読まない話にしない様に、とか。
あ、言っとくと私じゃないからね。周りがそうだったって事だから」
「でもリゾナンターになったのも学生の頃だしさ、よくもったなって思わない?」
「今思い出すとね、目標があったからだと思うよ」
何も目標がなくて日々が退屈な獣たちが強制的に詰められた檻では
生き残るための共食いが行われるからだ。
「社会人になってみて分かったのは、学生時代とは比べものに
ならないぐらいの我慢大会がそこら中で行われてるって事。
…どこかの親が女の子一人での外出に何も言わない事と同じ。
親としては成績が上がって進学実績を出してもらえるか、芸能界でも
入って自立してもらえればどうでも良かったのかもね。
でも、今は感謝してるみたい」
過剰な干渉を見せずにやりたい事をさせてもらっている。
知識や精神を、好き嫌いを洗脳されなかった事でこうして生きている。
それがきっと相対的に得られたこその祝福だと思った。
「あれ、なんか私達、らしくない事話してる?」
「今更かよっ。……私もなんか軽く語っちゃってた気がする。
はは、ここ最近昔とか思い出さなかったのに、なんでだろ」
グイッとマグカップの中身を飲み干し、春菜は背伸びをした。
その顔は少しぎこちない。落ち着かない様に髪を掻き下げる。
だがそれも無駄だと理解したように、春菜は笑った。
鞘師さんが外国留学して一年、鈴木さんが福祉関係の仕事がしたいって言って
もう半年が経つんだよ。早いもんだね。
「最近はあんまり連絡来ないけど、忙しいんだろうし気長に
待ってようかと思って。今頃なにしてるんだろうね二人」
「外国かあ。遠いね」
「でも、元気にしてるだろうから心配いらないでしょ」
「心配は全然してないけどね、まーちゃんが最近よく気にしてるから」
「まーちゃん、もう熱は引いた?ごめんね、私もお見舞い
行きたいんだけど……」
「何言ってんの、マスター代理なのに風邪で寝込んでる子の
お見舞いなんてリスク高過ぎだから」
「じゃあ、今回も何か持ってってあげてくれる?」
「そのために来たのを今思い出したわ、ご馳走様」
「今日は何を持っていく気?」
「そうね、軽いものっていったらやっぱりパン?」
「パン好きだねー」
「お母さんが好きだったのものだからねーま、あれほど
美味くはないけど、食べれないことは無いから全然」
「あ、昨日のおかずの残りあるからお惣菜パンにする?」
「なんでも持ってきて、挟めば全部惣菜パンだから」
「雑だな~」
それぞれマグカップを持ちながら厨房へ入ろうとすると
カウンターに置かれていた春菜の携帯に着信が入る。
「え?いいの?」
「いいよ。その携帯は殆どメンバーだけだから」
「じゃあ全然見るけど、えーと………あ、どぅーだ」
「出てあげて。今冷蔵庫開けてるから」
工藤遥は第十五地区のマンション群で佐藤優樹、小田さくらと共に
過ごしている筈だが、何かあったのだろうか。
今から会いに行くのだからどんな惣菜がいいか聞いた方が良いだろう。
「あ、どぅー?今はるなん手が離せないのよ。
うん、今ちょっとお店に寄ってんの、ねえ差し入れにさ
パンにしようかと思ってるんだけど中身とか…え?
うん、うん……………え?尾形と野中が、居なくなったあ?」
春菜が厨房から顔を出し、その表情には困惑が浮かぶ。
亜佑美の表情は強張り、指示を出すと慌てたように電話を切った。
「二人が昨日から帰って来てないって」
「昨日!?なんですぐに言わなかったのよ…」
「とにかく話を聞きに行こう、あ、生田さんにも連絡しないと」
第十六区に居る生田衣梨奈への連絡はすぐに繋がった。
用意していた材料を再び冷蔵庫に入れて裏口から外へ出る。
二人が走り出す姿の背後に静かに佇み、蠢く闇はすぐに消えた。
全てにおいて小田さくらはその薬がどんなものかを知っている。
ダークネスが幼い子供達を”手懐ける為”に開発したものであり
さくらや牧野真莉愛、羽賀朱音は効果を試薬された被験体だった。
精神系異能者の手によって精神を支配、干渉する為の
微細な成分が調合してあり、それによりまだ
異能の制御が甘い子供達に何度も服用させては”洗脳”して
都合のいい実験体を作り出していた。
依存症はないが副作用による精神異常を来す者も多かった。
だが稀に、異能として発現する者が居たのも事実だ。
真莉愛のようなドーパミンにも似た『覚醒物質』を与える事に特化したり
朱音のように痛覚を遮断する『制御法』を会得する者も居た。
真莉愛と朱音は精神的にも不安定な部分が多々あったり、身体的な
発達にも影響を与えていたが、今では落ち着きつつある。
そういえば一人、不可思議な女の子が居た。
他の子供とは違い、まるで”自分の意志でそこに立っている”とでも言う様な。
『鏡使い』と言っていたが、そのチカラは念動力のようで。
発火能力のようで。風使いのようで。水使いのようで。発電能力のよう。
多種多彩が混じり合って朱色から黒へ変換されていくような。
決して混じり合えないもの。
不気味な気配と共に佇んでいた彼女の隣に微かに見えた”穴”。
あれは一体何だったのか。もう一度再会した時に聞いてみたいと思っていた。
これに頼る”時”を迎えたからなのか、胸騒ぎが、止まらない。
錠剤をケースに入れる。処分する事を決めかねていると。
「お団子ー入るよー」
「それは入る前に言うセリフですよ佐藤さん。開けるのと同時じゃ意味ないです」
振り返ると同時に机の引き出しにケースをしまい込む。
「はいはい。よいしょっと」
「ちょ、当たり前みたいに布団の上に、しわが出来ちゃうから…。
そういえば佐藤さん。工藤さんが熱冷ましの薬に飲んでないの怒ってましたよ」
「お団子が飲んどいて」
「それじゃ意味がないので。フォローするのも限度があるんで」
「むー!てかもう前の前の日に治ったって言ったのに!」
「ちゃんと処方してもらったんですから全部飲まなきゃ。
ていうかこんな所でのんびりしてていいんですか?」
さくらが人差し指で扉を示す。黒い影が覗いていたかと思うと
おどろおどろしく片目を黒髪で隠し、揺れた言葉が響き渡る。
「まーーーちゃーーーんーーー?」
「脱出!」
「小田ちゃん!」
フィンガースナップ。『時間操作』により巻き戻された佐藤優樹の
『瞬間移動』は簡単に容易に妨害されてしまった。
一瞬何が起こったのか理解できなかったが、瞬時に佐藤の睨みが
小田を射抜くが、見て見ぬ振りをする。
「もう治ったってば!熱だって計ったら問題なかったし!
どぅーの作ったあんまり美味しくないご飯だって食べれるしーっ」
「はあー?まーちゃんだって同じようなもんだろ」
「ちょっと佐藤さんやめ、ベットで飛ばないでー!」
優樹はこの二週間、寝込んでいた。絶対安静で。
肺炎によって気管に炎症を患っていた為、喋る事も困難だったほどだ。
病院で入院する事も考えたが、優樹が家に帰りたいと愚図ったのを
考慮してもらい、自宅療養してつい先日、ここまで回復したという訳である。
それぞれは部屋を設けてもらい、実質ルームシェアという形で
マンションを居住区としている。ちなみに隣部屋は春菜と亜佑美が共有している。
「でも私の記憶違いでないなら、佐藤さん泣きながら工藤さんのご飯食べてましたよね」
「美味しくなかったから泣いたの!責任とってよね!」
「じゃあまたご飯作ってやるよ」
「それはもう良い!てか何言っちゃってんの?なんで居るの?」
「ここ私の部屋ですよ佐藤さん」
「今どぅーと喋ってんの!だーさくだかさくらんぼーだか知らないけどあゆみんと言い合ってな」
「ここに居ない人をディスるのやめなよ。
…別にご飯のうまいマズイはいいんだって、自分でもよく分かってるから。
でもやらなきゃいけない事はちゃんとやらなきゃダメだって事が言いたいのハルは。
いつかもっとヒドい怪我や病気になるかもしれないんだぞ?」
「そうですよ佐藤さん。工藤さんの言いたいことも分かりますよね?」
「……わぁかったよぉー」
渋々だが最後には理解してくれる。
愚図ると分かっているから遥もさくらも始終の事柄に大きな声は上げない。
猫型のクッションに当て付けるように掌を振り上げてるのは気が気じゃないが。
「別になんでもいー」
「それが一番困るんだけど、何もないならまたハルの美味しくないご飯だからな」
「別にいーよ……それで。まさも手伝うから」
「じゃ、じゃあちゃんと美味しくなるように味見してよ?」
「…しょーがないなあ。ホントに手間のかかる子だよ」
「でかい顔できるのも今のうちだからな。まーちゃんの味見で
美味いかマズイか変わるんだぞ」
「じゃあやんなーい」
「じゃ、まーちゃんだけ朝ご飯はおあずけだな」
「…どぅーなんてだいっきらいっ」
結局は優樹の嫉妬心による所が大きいのだが、その心が向う先は
彼女への愛深きものなのも周知の事実である。
目の前で揉め合う二人を背後に皺の寄ったベットと暴れた拍子に落ちたぬいぐるみ。
「あのー痴話喧嘩なら片付けてから始めてもらってもいいですか?」
朝食を済ませた後のブレイクタイム。
昼には亜佑美が様子を見に来るという事で何が言いかと思案していた。
玄関のチャイムが訪問者を告げる。
「石田さん、じゃないですよね。いくらなんでも」
「どぅー出番だよ」
「粗いなあ」
『千里眼』の発動に暖色の煌めきとピーナッツ型に瞳孔が変形。
視覚的物質無効化と透視で玄関先に立つ誰かを視た。
同時に呆れたような、困惑した顔を見せる。
「まりあが号泣して立ってんだけど、どうする?」
「そのままにしたらご近所に怪しまれます」
「だよなあ、ちょっと出てくる」
遥が扉を開けたと同時に牧野真莉愛の泣き声と慰める声が辺りに響く。
リビングに遥に肩を支えられた真莉愛と背後から羽賀朱音が顔を出す。
今日は休校のはずだが、朱音と真莉愛は制服姿だった。
「まりあのせいでーっまりあのせいでーっ」
「ちょっと落ち着きなよまりあ。ほらティッシュ。お茶飲みな?」
「うぅ、ぐ、あい……」
「どこの泣き上戸のじっちゃんだよ…何があったのさあかねちん」
「その、簡単に言うとはーちんと野中ちゃんが行方不明なんですよね」
「はぁっ?いつから?朝?」
「昨日の夕方から……」
「昨日!?なんでもっと早く連絡しないんだよ」
「確かあかねちんは書道の合宿に行ってたんだっけ」
「はい。帰ってきたらまりあちゃんが居なくて、そしたら
こんな状態で帰って来てどうしようと思ってここに」
「お前まで行方知らずになってんじゃないよーもー」
「そこで茶化さない。菜園場って里山?」
「違います。学校の、お茶畑でずっと摘んでました」
「え、まりあも合宿か何かだったの?」
「いえ、部屋に居ても落ち着かないし、探しに行っても誰も居ないし。
作業してたおばちゃん達のお手伝いを。昨日と合わせて40キロも摘んじゃいました」
「記録更新してるし、てか一人でそんな事してたんだ…いや違くて。
で、で。それがなんでまりあのせいになるの?」
「昨日菜園場に向かう途中で二人に会ったんです。先に帰ったはずなんです。
なのに連絡がつかないし、あかねちんも居ないし、工藤さん達に
迷惑かけたくなかったし、怒られる前に見つけようと思って…」
「まりあ…でもお茶摘んだのね」
「うう、他にもたくさん収穫してから大変そうでつい…」
「まりあさあ……あ?」
「牧野、顔を上げて」
「うえ?ぅぷ……」
遥の声を遮る声に真莉愛が顔を上げると、優樹がタオルを彼女の顔に押し付けて拭った。
拭い終えると頬を引っ張って、ジッと視線を交える。
「いたいれふ、さおうはん」
「泣き止まないとこの十倍の力で引っ張るよ」
「ほめんなはひほめんなは」
「牧野が本気なのは分かった。探すよ、一から」
「……はい」
「まりまーでしょ!」
「はいっ、はいっ!佐藤さん!ついて行きます!」
真莉愛の泣き顔にそれだけを言って、優樹は頬を離した。
さくらと遥に視線を向けると、パンッ、と両手で乾いた音を鳴らす。
「……ま、その通りだな、はるなんに連絡してくる」
「あかねちん、とりあえず着替えてきな」
「あ、はい。まりあちゃんの服も持ってきます」
「まりあももう泣かないの。お腹すいてる?おはぎ食べる?」
「あ、え、い、頂きます…」
さくらに差し出された市販のおはぎを無表情のまま食べ続ける真莉愛の背後で
脱衣所の洗濯機にタオルを投げる優樹にさくらが声を掛ける。
「ありがとうございます佐藤さん。空気変えてくれたんですよね?」
「落ち着かないんだよーああいうジメジメしたの。
雨降ったみたいに気持ち悪いの嫌いなんだよね、外で遊べないし」
「なら晴れてる内に探しましょうか。今日で見つかりますかね」
「見つかるまで探せばいーんだよ。どぅーにも言っといて。
あ、やっぱいいわ、まさが言うから言わないで」
「分かりました」
記憶の差異はあるが、優樹の根本的にある起因は変わらないようだ。
「なに笑ってんの。さっさと準備っ」
「佐藤さんもしなきゃダメですよ」
「今しに行くんだよーだ!」
試薬を作るのにどれだけの異能者が関わり、被験者が居たかは分からない。
だが製作者の中で一人でも「子供達に救いを」と願ってくれていたなら
例え重い罪でも微笑んで許してしまっただろうか。
考えて、さくらは静かに苦笑した。
報道官は三日前の興業支社襲撃事件を都内で第一事件と報道していた。
二十七人が殺された事件に住民が不安がっている。
街を行く人々は「最近は物騒になった」と言っては娯楽として消費するか
そもそも無関係だという顔で歩いていく。
第十区から西側の映像も放送されていた。
街宣車が通り、道を行く人々のうち何人かは息を飲む。
車体には興業の名前や愛国の文字が並び、それは組織が復讐に
動き出した事を示していた。
強化ガラスの窓の向こうの運転手は血走った目で街を見渡している。
助手席の男の顔には歪な傷跡が無数にある、カタギの顔ではないだろう。
ああ、戦いは終わりを知らずにまた始まるのだろう。
陰惨な事件は解決しようとする人間、聞いて知った人間を蝕む。
普通の人が信じる平和で、秩序によって整頓された世界をそのまま信じてほしい。
西側も別の意味でも秩序であるならそれを信じてほしい。
けれど信じるだけじゃどうにもならない事も世の中にはある。
「おはようございます生田さん。朝から運動なんて精がでますね」
「おはよう。どう?情報屋の端くれになってみて」
「日々勉強中です、あ、オムライスご馳走様でした。
クールなのに優しい二面性がやっぱカッコいいですね」
「素直に受け取っとくよ。で、事件の情報とかある?」
「十区から凄い騒ぎですよ。第七区は警察の車で侵入禁止になってます」
組織の上層部たちが入れろと言えば、警察官は入れられないという
問答を繰り返していた。
「救急隊によればそれはもう見るもたえない人達が倒れてて
原型を留めてないものは袋に詰めなきゃいけなかったそうですよ」
「そんな細かくはいいから、帰ったらご飯食べてんくなる」
「まあ簡潔に言えば、その会社を取り締まっていた若頭と共に全滅。
見た人の中には縋りついて泣いてる人も居たみたいで。
やり方は強引でしたけど、人柄と人望は厚かったようですね」
「情報屋の知識を借りるとして、犯人は複数?」
「一人です」
「根拠は?」
「玄関や壁には組織に所属していた人の痕跡しかありません。
爆弾跡や弾痕、扉を破壊したのは車を使った可能性もありますが
それにしては襲撃の目的は一人に絞っていたと考えます」
「監視カメラの映像とか写真はないの?」
「死体の写真なら大量にありますけど」
「分かった。何かあったら連絡してよ。てか心強いね」
「やー耐性って怖いですね。憧れの生田さんとお話が出来て良かったです」
帽子を深く被り、”情報屋”は人混みへと消えていった。
生田衣梨奈は鬱陶しいとでも言わんばかりに空を見上げて髪を掻き
居住区へ帰る道のりを走っていく。
帰って来て早々冷蔵庫からペットボトルを取り出して部屋に入る。
布団に丸まって眠り続ける彼女に目を落とす。
外に散らされた黒髪に衣梨奈がしなやかに伸び、後頭部を撫でる。
呻くと彼女は態勢を変えたのか、また寝息が聞こえた。頭を軽く叩く。
「そろそろ起きんかい」
「んー」
「顔洗ってくるけん、はよ起きんとご飯食べるよ」
「んー」
「もうしらーん」
「んーっ」
窓から差し込む朝の光が洗面所に満ちていた。
手摺りにかけられているタオルで洗った顔を拭き、戻す。
正面、洗面所の鏡に自らの顔が映り、茶髪に黒い目の整った輪郭が見える。
いつも浮かべている皮肉な笑みも今はどこか遠い。
「えりぽんいい?」
「ええよ」
洗面所の扉が開けられ、譜久村聖が顔を覗かせる。
赤いフレームの眼鏡が僅かに歪んでいた。
長い黒髪の下にある黒い目がまだ眠いと訴えかけてくるが、挨拶する。
「おはよ」
「おはよ……あーやっちゃった。今日あそこのスーパーで
卵の特売日だったのに、あゆみちゃんに怒られる」
「いくら安かったと?」
「五十円。ここから近いから買っておくねって言ったの。
えりぽんに頼めばよかった…」
「うー、あ、だからお風呂入ってたんだ」
「汗だくなの嫌やもん」
「お昼どうしよっか、お店にでも行く?」
「顔見せに行けると?」
「うん。これ以上休んでもられないからね」
「じゃあお風呂入り。準備しとくけん」
譜久村聖も優樹と同様に高熱で倒れていた。
二週間という長い期間で運動も出来ずに窮屈な生活を送っていたが
今では表情にも明るみを取り戻している。
聖に変わり喫茶『リゾナント』は春菜と亜佑美に任せていた。
調理に携わっていた二人だからこそ心配はしていないが
常連客からの声もあってそろそろ復帰しても良い頃合いだろう。
ドライヤーで髪を乾かし、ヘアブラシで整えて髪を結える。
衣梨奈の手で彼女の髪には艶が戻っていく。
お風呂から上がってきた聖からは眠気が消えていた。
「はーなんか、こんなに休んだの初めてかも。
寝すぎて体が痛い。里保ちゃんよくこんなに寝てたよね。
香音ちゃんがいつも雑な起こし方してたなあ」
「みずきがずっと騒いでるのと一緒やろ」
「優樹ちゃん達よりはまったりしてると思うんだけど。あ、優樹ちゃんも大丈夫?」
「いやいや、そっちの方が心配だよ。皆ちゃんと寝かせてあげて。
他にも何かあった?テレビとか見てないから外の事全然分かんないや」
「あると言えばあるけど、聞きたい?」
「聞きたい。え、聞いちゃダメなの?」
「西の方で殺人事件が起きたと」
目の色が、変わる。安堵。彼女の色が戻ってきた。
泣き腫らして濁りきった目ではなく、リゾナンターのリーダーとして
意志を込めた目で衣梨奈を見据える。
概要を話し終えると、録画しておいたニュースなどに全て目を通して
残しておいた新聞の記事を読み、一息入れる。
「久しぶりだね。こんなに大きい事件」
「情報屋によると犯人は一人じゃないかっていう話」
「一人…?これだけ一人で出来るものなの?」
「知らん。でも出来んことはないやろ……能力者なら」
「そっか……よし、頑張ろうか」
受け入れる。聖は記事をまとめながら自分を奮い立たせる。
“記憶の予定調和を越えた”のだ。
「すっきりしとおね」
「ん?うん、なんかね爽やかなの。よく寝たからかな」
「凶悪犯やけど、もしもの時はどうすると?」
絶対に死なせない。死んで終わりになんてさせない。
たとえ重い罪でも絶対に生きて償わせる」
「じゃ、その為にえり達も頑張るよ」
「頼むね」
「出来るだけやけどね。やる事はやるよえり」
「努力努力」
握手を促され、衣梨奈は握り返す。
その時、衣梨奈の携帯に着信が入る。二件の通知。
一件は工藤遥から。もう一件は情報屋からの依頼だった。
―――そういえば どうして生田さんじゃなく私が?
新垣さんなら生田さんの方が…………ああ なるほど
うまくダシに使われた訳ですね……ふふ 大丈夫ですよ分かってます
はあ そうですね前向きに行きましょう何事にも
覚えてなくても覚えてることがあるならそれでいいですよね
だって、まーちゃん達とまた話せるのが楽しみで仕方がないですもん
投稿日時:2017/02/08(水) 18:56:30.89
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