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(149)82 「Re:約束した日」

ふと、目が覚めた。
鎮静剤が効いているのか、それとも日頃の疲れが出ているのか、このところ眠っている時間が多い。
寝るのは嫌いじゃない。だが、こうも毎日眠り続けるのは、好きではない。
怪我人は、寝て、力を回復させるのが仕事。
それは当たり前のことなのだが、こんなに毎日寝ていて、すぐに現場復帰できるのだろうかと卑屈に笑う。

隣のベッドを見ると、空だった。
また、だ。
彼女と同じ病室に入院しているはずなのに、ここ数日、彼女はあまりベッドに居ない。
行先は大抵わかっているし、目的も予想がつくから、迎えに行くことはしない。
だが、今日はどうにも、放っておけそうにない。
切り取られた窓の外、四角い空が妙に鈍っているからか、小田さくらはベッドから降りた。

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陽が沈む、逢魔が時。
夜を連れてくる時間、太陽は姿を隠し、闇が広がる。
今日は空に雲が展延している。夜には雨が降るのだろうかと思いながら、病院の屋上へと上がった。
階段の途中から、ぴりぴりとした空気を感じ始める。
こんなに分かりやすく「闘気」や「闘志」をむき出しにした持ち主など、一人しかいない。
重苦しい鉄の扉を開ける。
風と共に、その気迫が一気に押し寄せてきた。
戦場の空気はこんなものかと、久しぶりの感覚にぞくぞくする。

「っ…!」

その人物を見つけ、声を掛けようとして、思わず、止まった。
一瞬、彼女が、あの人に見えた。
さくらが敬愛し、追いつこうと背中を追い続けた、あの人に。

「……野中」

だが、違う。彼女は、野中美希だ。
背格好や、雰囲気、ストイックさなど、似ている部分はあるが、彼女は、違う。
似ていると思ったのは、ああ、その獲物のせいか。
何処から持ち出したのか、美希はデッキブラシを振り回し、素振りの練習をしていた。
迷いなき太刀筋を何度も繰り返す。
入院着でなければ、画になるのだろうなと、さくらは思う。

「野中」

彼女はさくらの呼びかけに応えなかった。
黒い髪を振り乱し、見えない敵と闘うように、必死に「剣」を振り翳す。

迷いはない。
太刀筋に狂いもない。
だからか、どうしても、その面影を想う。


―――「永遠なんて…哀しいよ」


最前線に立ち、限りある命を奪っていったその人は、そんな言葉を残した。
狂気と紙一重にあるギリギリの中で、それでも己と仲間を信じ、刀を振るった。
その後ろ姿を、私はまだ追ってしまうのだろうなとさくらは思う。

「野中」

歩きながら、もう一度、呼ぶ。
そして、気付く。
彼女は、さくらの気配を感じ取っていないわけではない。
それだけ自分の世界に入り込んでいる。というよりも、闘いの世界に呑み込まれていた。
口元が微かに緩んでいる。剣を振り翳すことに喜びを覚え、そこに自分の存在価値を見出している。

あの人―――鞘師さんのコインの裏に居た、赤眼の狂気の翼。
本当に、彼女も、飼っているのだろうか。その胸の中に、紫色の狂気を。

「ちぇるし」

さくらはそれでも、迷わない。
敢えて美希の前に立つ。
進路を妨害し、両手を広げる。
美希は真っ直ぐに「剣」を振り下ろす。

風が啼く。
陽が沈む。
太陽の断末魔が聴こえた、気がした。

「……小田さん?」

頭蓋を割る寸前、剣は止まり、デッキブラシに戻る。
剣圧が薄れていき、美希の呼吸が荒くなる。

「どう、したんです?」

はぁっ・はぁっと肩で息をしながら汗を拭う美希に、それはこっちのセリフでしょとさくらは笑う。

「病み上がりでそんな鍛錬したら傷開くよ?」
「平気です、もう、だいじょ―――!?」

大丈夫、と言おうとする美希の鼻をつまむ。
散々男に殴られて鼻骨が派手にひしゃげたらしい。

「いだだだだだだ!!」
「ほら、ダメじゃん」

涙目になる美希を笑いつつ、鼻を解放した。
「ひどいですよぉ…」とべそをかきそうになりながらさくらを見つめるその様は、やっぱり犬のようだった。
先ほどまですぐ傍にあった狂気は、もうとっくにその姿を消している。

「ちぇる」

ああ、本当に。
キミは―――

「鞘師さんに、なる必要はないんだよ?」

私たちはすぐに、あの人を追いかけようとする。
絶対的な強さを持った人にあこがれ、そのためにもがき、足掻く。
自分たちが持っている強さでは足りないと、焦り、走り、苦しむ。

上を目指すのは悪いことではない。
だけど。


「別に……そんなつもりは」
「じゃあ、何でそんなもの、持ち出したの?」
「……武器は多いほうが良いです。使えるものは、何でも使いたいだけです」

目を逸らす、悪いくせ。
嘘を付けないのは、優しさと弱さの両方を持っているから。
それは、野中、キミだけの武器だよ。と思う。

「野中、キミはだれ?」

問われた美希は、一瞬言葉を失くす。
なんと返すべきか、必死に頭の中で探している。
掃除用具入れからでも引っ張り出してきたデッキブラシを見つめ、「私は…」と口にする。

「野中美希です」

瞬間、風が啼く。
ぶわっと舞い上がり、ふたりの間をすり抜けていく。
黒髪が揺れる。
視線が真っ直ぐに絡み合う。

「野中・ちぇるしー・美希じゃなくて?」
「何ですかそのミドルネーム」
「その方がカッコ良くない?」
「私がそんな風に挨拶したら、小田さん絶対に笑いますよね?」
「笑う。すっごく笑う」

ひどいですよぉと美希は肩を竦める。

さくらもまた笑い、少しだけ背伸びをした。
ぽんぽんと頭を撫でてやる。

「野中は、野中だからいいんだよ」

彼女はきょとんとしたあと、ああと目を細めた。
その表情は、やっぱり、鞘師里保に似ていた。違うはずなのに、その姿を追ってしまうのは、私の我儘だと思う。
勝手に期待しているんだ。この子なら、あるいは。

野中なら、鞘師さんのように、なれるんじゃないかと。

野中は野中で、鞘師さんになる必要はないと言い聞かせているのに。圧倒的な矛盾を抱えてしまう。

「……追い付いてみせますから」

重く、低く響いた彼女の声に、さくらははっとした。
美希の声は、真っ直ぐで、透明で、そして美しかった。
彼女と改めて瞳を交わす。

「小田さん、約束してくれましたよね。私が危なくなったら、止めてくれるって」

美希は自分の入院着の胸元をぎゅうと握った。
「ココに、何かがいるのかもしれないって、分かっているんです」と苦々しく吐いた言葉に、耳を疑った。
彼女は、気付いていた。自分の奥底に、彼女自身も知らない「自分」がいるという、可能性に。
そしてその「自分」が、仲間を危険に晒すかもしれないことを。

「だから、私も約束します。小田さんを独りにしません」

鞘師さんにはなれないかもしれませんけど。と笑いながら、ゆっくりと、続ける。

「同じ場所まで辿り着きます。護るでも、護られるでもなく、一緒に、闘います」

彼女の瞳に、迷いはなかった。
「記憶の上書き」により、何もかもを失って彼女を傷つけたのに、彼女はそんなこと気にもせず、笑う。
それが、彼女の信念なのだろうと思う。
ああ、もうとっくに、私は彼女に超えられていたのだろうか。

鞘師さんのように、背中を合わせて闘える仲間が欲しかっただけだった。
それがどれだけ驕り高ぶった考えかは、ずっと分かっていた。

だけど、彼女はそんな私の浅はかさを簡単に超えていく。
常識も、境界も、ちっぽけなプライドさえも。
彼女はきっと、時空さえも超えてしまうんだろうなと、さくらは思う。私よりも、よっぽど強大な力を有している。

「待ってるよ、ちぇる」

だから私はせめて、先輩として、涙を堪えた。
「ごめんね」なんて謝罪、きっと彼女は求めていないのだから。
彼女が「超える」に値する先輩であろうと、さくらは身を正す。

完全に陽が沈み、夜の闇が世界を支配した。
それでも、此処に在る2つの光は、静かな輝きを放ち続ける。

紫色の淡い光は、闇に呑まれることなく、その生命を堂々と主張した。


投稿日時:2017/05/21(日) 21:41:33.64


作者コメント
以上「Re:約束した日」
http://i.imgur.com/fdCDaW1.jpg を見て
ガタガタッてなって書かなきゃいけないと思ったんです

7連続までいけて、8回目で埋め立てエラーが出ましたが支援が入るとまた書けるようです
支援ありがとうございました! 



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