(110)157 「水鳥跡を濁さず」


大通りから数本外れた静かな路地に待ち合わせの店を見つけたとき私の手は冷えていた
私は地図を折りたたんでカバンにしまい込み、店の中を覗き込んだ
(またか)
今日も彼は来ていないようだ。というよりも店の中にお客はいないようだ
凍える寒空の下で待つメリットなどない、と合理的な私の頭は結論付け、足が勝手に進む
「いらっしゃいませ」とこの店の店長であろうか、声をかけてくれる
この何気ない一言がこの国に帰ってきた、と改めて感じ、この国の人間だと自分を再認識させる

壁に背を向けないと安心できなくなったのはいつからであろうか?答えはわかっているが
私はカバンからさっき買ったばかりのファッション誌を取り出し、注文したカモミルティーを飲み始めた
ファッション誌には色鮮やかな洋服や流行りのメイクで輝く同世代から少し上の女性
自分と遠い世界にいるにも関わらず、近づきたくなる、そんな叶わない願いが浮かんでは消えていく

カランコロンとベルが鳴り、店長が立ち上がったのが視界の端で捉えられた
しかし店長は先程と違い「いらっしゃいませ」と迎えなかった

「Oh! Miki! My precious honey, I’m so sorry for late.」
やってきた客は私の姿を見つけると慌てて駆けてきた40代半ばの米国人だったからだ
「いらっしゃいませ」を英語でなんて言えばわからなかったのだろう
それよりもなぜ外国人がこんなところにいるのという顔を浮かべられるのが経験済みであった私は笑顔で立ち上がった
「Hey Daddy!! What’s happen? You are late for 20 minutes」
「Oh sorry」
「Sorry? Dad, don’t you kid me? ・・・」
アメリカ育ちの私にとってはこれくらい朝飯前だが、これを聞いた店員は驚くであろう
顔だけ見たら純日本人の私が流暢な英語を話しだしたのだから
とはいえ「Daddy」とこの相手のことを呼び、つらつらと英語で間髪入れずに話し出せば、
親子なのだなと彼らは感づいてくれる
おおよそ「親子で久々にあったにもかかわらず父親が遅刻し、怒られている」とストーリーを作るであろう
どこの国でも親子の喧嘩はあえて割り込もうとしないはずだ。タイミングをみて、怒っているふりを終えればあとは興味を持たないだろう


「・・・そろそろいいかね、ミキ」
「ええ、いいわ」
我々は2分程度、「遅刻したのは隣のベティおばさんがシュークリームを焼いてきたから」とでっちあげの理由で口論した
「しかし、相変わらず可笑しな理由を考え付くわね、あなたは」
「それはミキを楽しませようとする、私のユーモアさ」
当然これらも英語で言っているのだが、店主も、キッチン奥にいた小柄なコックも興味をもたなくなっているので普通の会話に戻している

「でも、遅刻するその癖はどうにかしたほうがいいと思いますよ」
「この場所、わかりにくくてね、正直迷ってしまったんだ」
実際、自分自身も先に来ていたとはいえ、この店を探すに10分かかってしまった
見つけにくいからこそ選んだのだろうが、その選んだ本人もみつけにくいとは皮肉なことだ
ここまで来れば気づいているだろうが、私とこの男性は本当の親子ではない
にもかかわらず、どうして親子のふりを演じているのか

それは私達が特別な間柄だから。変な意味ではない
私も彼も同じ機関に属している同僚、いや師弟関係にある
アメリカにいたころから彼は私の指導教官であり、親子のように支えてくれている大事な人だ
「どうした、チェルシー?まだ怒っているのか?」
彼は私のことを世間体の「美希」ではなく、コードネームの「チェルシー」と呼ぶ
「いいえ、もう怒っていません、というよりも元から演技なのはご存知でしょう?先生」
「いい加減、先生はやめてくれよ。君は一人前の捜査員なんだからな」
そして彼は、ハハハと笑いコーヒーにスティックシュガーを2本入れた

「先生、砂糖の取りすぎはよろしくないのでは?医師からも控えるようにと言われているのでしょう?」
「なあに、医者のいうことは気にしてたら何もできんよ。自分の体は自分で一番わかっている
 薬も飲んでいるしな、調子がいいんだ。チェルシー、安心しなさい。君を置いて私はいなくはならんさ
 それよりもチェルシー、最近調子はどうなんだ?」
「まあまあです。ミキとしての友達もできましたし、学校も通っています」


東京に戻ってきた私に与えられた名前は『野中美希』という帰国子女だった
ごく一般的な学校に通い、ごく一般的な思春期を過ごし、ごく一般的な人間関係を築くことが求められた
それは機関であったり、私の対人技術なりで容易に目標に至った
学校では「英語と体育が得意な美希ちゃん」で通じている

「学校ではいじめられていないか」
そこでぷっと笑う。機関出身の私をだれがいじめのターゲットにしようか
「どうした?アメリカ帰りはいじめられると何かの本で読んだぞ」
「先生、心配ありませんよ。私は先生の生徒ですよ。No problemです」
両親を失った私を育ててくれた先生は、本当の親のように私のことを心配してくれる
師弟関係を超えて、先生は私に愛情を注いでくれているのが嬉しい
ただあまりにも親しくなりすぎ、思春期特有の反抗期も迎えているのだが、それ以上に問題があった

機関に所属しているがゆえに私達は親密になりすぎてはいけない、のだ
仲間の、機関の秘密を守るために我々は徹底した秘密主義を叩きこまれた
だから、私は先生の本名を知らない、知っているのは仕事上の名前のみだ
チェルシーが仕事上の名前、美希が社会上の名前、そして本当の名前
私は3つの名前を使い分けてこの世界で生きている

「それならいいのだがな・・・俺も齢のせいか気弱になったな
 仕事のほうは頑張っているようだな。上から聴いているよ」
「ありがとうございます」
彼は今日の新聞を取り出して、私に見せてきた
「これ、チェルシーが原因なんだろ?」
JRの某ハブ駅で起きた原因不明の停電の記事を指してきた

「頑張るのはいいのだが、もう少し静かに動けないものか?」
昨日のことだ。奴らが電車に爆弾を積み込み、テロを仕掛けようとしている情報が入った
私は単独で乗り込み、未然にテロをふせいだ


残念なことに無事に事を終えることはできず、送電線が切れることになり、首都圏の交通に影響を出してしまったが・・・
「奴らと出くわしたことはわかっている。しかし、もう少し慎重にしなくてはならないぞ、チェルシー」
先生の独特な云い回しを私は適切な日本語に直すことはできないが、言葉は優しかった
先生は素直に褒めたい気持ちと、機関に所属するが故の葛藤に苛まれているのだ
「密命」を受けて動く私達は何よりも社会に気づかれることを心がけてはならない
昨日の私の仕事はその点で、機関から厳重注意を受けることとなり、こうして先生に呼び出されることになったのだ

「申し訳ありません、先生。私が未熟なばっかりに」
「わかっているのであれば、追及はしない。君も一人前の証が与えられているのだから
 本当ならチェルシー、君に厳しい話はしたくないんだ」
思わず俯く私の肩をぽんぽんと叩き、顔をあげると優しい笑顔をみせてくれた
「ところで、申し訳ないのだが、私も何か注文をしたいんだ
 小腹も満たしたいのでサンドウィッチでも頼んでくれないか?」
私はサンドウィッチを注文し、ついでにコーヒーを2人前追加した

「日本語は相変わらず覚えるのが難しい。まだまだ箸も上手く使いこなせないしな
 チェルシーは器用だな。日本生まれながらも英語をしっかりと勉強し、我々の機関に配置されるのだから」
「いえいえ、私は平凡です。ただ、頑張らないといけない理由が大きいだけです」
「謙遜も日本人の美徳だな。我々には難しいものだ」
サイフォンからこぽこぽ漏れる音が耳に心地よさを与えてくれた

「そうだ、チェルシー、昨日の戦闘で装備が壊れたらしいな
 頑丈さが取り柄の一つだというのに、全く持って難しい」
ロッカーのキーが手渡される
「いつものロッカーに入れておいた。技術部からも注文が入っている
 『チェルシーにはいくら武器を与えてもすぐ壊してくる。困った子猫ちゃんだ』とのことだ」
技術部の面々を思い出し、申し訳なさを感じ、後で手紙を書こうと心に決めた


そこにサンドウィッチが届き、先生は食べながら、私に角砂糖をとってくれと頼んだ
「今度はいつもの磁場制御に加えて、目標を自動追尾するようにマーキング機能がつけられているとのことだ
 チェルシー専用の武器、とのことだ。くれぐれも大事に使ってあげなさい
 しかし、このサンドウィッチ、美味しいな。私好みだ。チェルシーもどうだい?」
一切れ頂戴した。パンの甘さと適度な焦げ目のついたベーコン、とろけたチーズ、フレッシュなトマト、ハーブの香り
一喫茶店にしてはあまりにも高貴な味であった

そんな私の感情に気づかずに先生は話題を続けていた
「君が装備を壊しやすいことについては本部も嘆いているぞ。あまりに多すぎてついに私のところにまで連絡が来たよ
 『教官として責任を感じてくれ。またハイラムに会ったときになんて顔をすればいいのかわからないではないか』だと
 全く現場を知らないお偉方様は、簡単に言ってくれるものだな。私は今のままでも構わないと思うがね。」
ハイラム、その名前を耳にし、頭のデータベースが顔の知らない彼の姿を浮かび上がらせた
ロサンゼルス市警所属特殊事件担当だったはずだ、私達の機関の人間ではない

なぜ本部がハイラムさんにそんなに対抗心を抱くかというと、彼の過去の経験にある
彼は私達がかねてから追っている組織のテロの被害を最小限に抑えたという実績を有しているのだ
たった9人で数千人が犠牲になるはずのテロを最小限の犠牲で済ませられた、そんな奇跡を彼は可能にした
本部のコンピュータで調べる限り、そこには私と同じ日本人が関わっていたというのだ
それもたったの9人、正確には2人は中国人ではあったが。

そんな神業みたいなことができるのであろうか?
疑うことしかできないが、事実としてデータベースに残っているのだから信じるしかない
しかしその9人の情報は一切記されておらず、どんな人物なのかわからなかった
興味本位で調べようとしたが、先生にも、他の教官からも止めるように言われ、なくなく諦めた
調べられたのは9人が自らを『リゾナンター』と名乗っていたことと、リーダーが20歳を少し超えた女性であること
他の8人については非常に情報が乏しく、参考になるものは一つもなかった
戦闘のスペシャリスト、なのだろうか、彼女達は・・・


「それから本部からもう一つ報告書をはやく出してくれとの催促もあった
 色々と忙しいのだろうが、君の報告を楽しみにしている者もたくさんいるのだから
 まあ、私もなかんか自分の仕事がたまっているので困っているのだがね」
一人で日本に帰ることとなり、普通の生活を送るためにはそれなりの普通の人間関係を築かなくてはならない
それは楽しいようであり、苦しいことであった。この任務が終わったとたんに永遠の別れが決まっているのだからだ
それは機関に所属する身分として避けては通れぬ掟であり、悲しいことだが、いつの間にか慣れてしまっていた
だからこそ、普通の少女と過ごす私の中に時折冷めた自分に気付き、楽しいはずの時間を冷静に捉えてしまう
勿論それは普通の人には気付かれることはないのだが、自分らしさを失っている気になる
仕方がないこと、それは全て・・・

昨日もそうだった、奴らが動き出した情報が入り一人で現場に向かった
機関からの装備で簡単にその場を制圧した
しかし、奴らの一人が残した言葉がなぜだろう?胸に残って離れない
「何が『ガキだから余裕』だ……こいつの強さ、リゾナンター並じゃないか」

どこかに埋もれていた記憶が呼び起こされた
なぜそんなに興味が出たのか、魅かれているのかわからない
ただ、その「リゾナンター」に私はあってみたい
この仕事を、世界にいればいずれは会えるのであろうか
きっとその時には、私はもっと・・・

「さて、そろそろ、私は帰るとしよう。チェルシー、カバンをとってくれないか?」
最後の最後までコーヒーの優しい香りに包まれ、先生とともに私は店を出た
店の中を名残惜しそうに先生は覗き込んだ
「・・・この仕事でなければもう一度来れるものなのにな、残念だ」

ええ、その通りです
私ももう一度訪れたいと思う、素敵なお店でした
でも、規則は規則。二度と訪れることは許されない
だから、店の名前だけを永久の記憶に刻み込もう
店の名前は『リゾナント』  


投稿日時:2015/12/12(土) 09:16:25.32





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