(110)200 「旅立ちの挨拶」1

久々に。



この場所に来るたびに、たくさんの記憶が甦る。
その中で私は、大半、ずぶ濡れになっていた。
頭からつま先まで、じっとりと重くなった身体をプールサイドに乗せて天井を見上げている場面が多い。
その姿に、情けなくないといえば、嘘になる。


―――「水を理解したかったら、自分もちゃんと水に曝け出さなきゃダメだよ」


最初に訪れたのはいつだろうとふいに思う。
今日の日付を西暦で頭に浮かべ、イチ、ニイと指を折って数字を引いていく。
ああ、もう5年も前になるのかと、改めて、月日の重さを感じ取った。


―――「成長、できた?」


ただひたすらに、走り続けてきた。
自分の信念を貫くための、闘いだった。

すべて、自分で決めたことだ。
訳も分からずに、ただ自らの信じた「正義」のために、ひたすらに血の雨を降らせてきたこの5年。
闘いを喜びとは思ったことはなかったが、背中を合わせて、肩を組んで共に立ち向かってきた、この5年。
決して無意味ではなかった。
だけど、私は5年で、何を得たのだろう。
そして、何を失ったのだろう。

鞘師里保はひとつ息を吐き、プールサイドに腰を下ろした。
水面は微かな風に揺れるも、空間には「凪」が広がり、しんと静寂が支配している。
この無音の中で、生が息吹く瞬間を感じ取ることはたやすい。
とくんとくんと撥ねる心臓は、此処にひとつしかない。

その心臓を、里保は何度も、抉ってきた。
もちろん、自分のではない。
他者の、名もなき「敵」たちの、生を、だ。

正義という大義名分を抱えても、所詮は人殺しだ。
世界の平和とか、人類の恒久のシアワセとか、御託だけならいくらでも並べられる。
“闇”に対抗するための絶対的な“光”であり、ジョーカー。それが、リゾナンターたちの共有するただひとつの、「共鳴」。
その共鳴は静かに響き、同心円状に広がっていった。

すべて、自分で決めたことだ。
訳も分からずに、ただ自らの信じた「正義」のために、ひたすらに血の雨を降らせてきたこの5年。
闘いを喜びとは思ったことはなかったが、背中を合わせて、肩を組んで共に立ち向かってきた、この5年。
決して無意味ではなかった。
だけど、私は5年で、何を得たのだろう。
そして、何を失ったのだろう。

鞘師里保はひとつ息を吐き、プールサイドに腰を下ろした。
水面は微かな風に揺れるも、空間には「凪」が広がり、しんと静寂が支配している。
この無音の中で、生が息吹く瞬間を感じ取ることはたやすい。
とくんとくんと撥ねる心臓は、此処にひとつしかない。

その心臓を、里保は何度も、抉ってきた。
もちろん、自分のではない。
他者の、名もなき「敵」たちの、生を、だ。

正義という大義名分を抱えても、所詮は人殺しだ。
世界の平和とか、人類の恒久のシアワセとか、御託だけならいくらでも並べられる。
“闇”に対抗するための絶対的な“光”であり、ジョーカー。それが、リゾナンターたちの共有するただひとつの、「共鳴」。
その共鳴は静かに響き、同心円状に広がっていった。

共鳴の発端が誰であったのか。
里保はそれが、4年半前に此処から歩いていった、一人の女性だと聞いている。
その人と交わした言葉は少ない。だが、彼女は圧倒的な“光”だった。
何度か顔を合わせ、ともに闘った日々の中で、里保は漠然と、その人への憧れを募らせていたのかもしれない。
一緒に居る時間はあまりにも短く、その憧れが、いつしか自分の使命へと変わっていったのも自覚していた。
真っ赤な使命は中心に座し、それが里保の「共鳴」の根幹ともなった。

それから暫くしないうちに、次々と先代たちが旅立っていった。
理由は一様ではない。
上層部と呼ばれる男たちとの対立や、能力の跳ね返りによる身体的負担、あるいは別の能力を有した仲間を連れていった者もいる。
リゾナントの扉を叩いて5年。
何もできずに膝を抱えて泣くことの多かった末っ子の里保は、いつの間にか、仲間の中でもトップに近い場所に立たされることになっていた。


―――「捕まえてみせますよ、田中さん」


あの頃に立てた誓いを、私は果たすことができたのだろうかとぼんやり思う。


―――「れなは負けんよ。なんでもいちばんじゃないと、気が済まんけんね」


果たせないまま終わるのだけはごめんだった。
たとえ自己満足だったとしても、言い出したからにはやり遂げたかった。
圧倒的ともいえる力の前に無様にひれ伏すことなく、どんな洪水が訪れても揺るがない、大木のようになりたかった。


だからこそ、ひとつの結論を出した。
考えて考えて考えて考えて、考え抜いた末での、結論だ。
もう決して揺らぐことはない、17歳の、決断だ。
幼くて危ういことは理解していた。
自分にどれだけのものが背負えるのだろうと、自惚れるなと言い聞かせる。
私にできることなんて限られている。分かっている。分かっているつもりだ。
それでも私は、前に進まなくてはいけないんだ。
自分自身を、鞘師里保と云う存在に対し、責任をもって、向き合わなくてはいけないんだ。


―――「信じとーよ、さゆも、絵里も。そして、鞘師のことも」


塩素の匂いが鼻を掠める。
この場所に来ると感傷に浸ってしまうのは、いつも此処が、里保のスタートラインだったからかもしれないと思う。

見送ってきた、たくさんの先輩。
その背中に追いつこうとがむしゃらに駆けてきた時間。
行く手を阻むものは一人残らず斬り捨ててきた。

その人生を、捨てる訳じゃない。
この場所を離れたからと言って、闘いの日々からは逃れられない。
斬ってきた無数の生命を背負って、この人生の幕をおろすその日まで、罪と罰を考えながら、それでも自分の「正義」のために、生きていくんだ。
もっと、もっと、もっと強くなるために。


―――「そんなこと、鞘師は、しない」


そんな中、やはり色濃く残るのは、あの人の言葉だった。
初めて出逢ったあの冬も、地下プールを壊し始めたあの夏も、コインをひっくり返されて自分を失いかけたあの春も。
すべての時を超えて過ごした、あの人との最後の秋。

平和の音が聴こえるまで傍にいてくれると誓い、
感情の刃ですべてを壊しかけたその瞬間さえも、バラバラになる心を繋ぎとめてくれた、あの人のこと。

ああ、私は、“あの人”を追いかけていたのだろうか。
共鳴の発端であったとされる彼女ではなく、歴代最強と謳われ、新しい仲間とともに歩き出した彼女でもなく。
歴代最弱とも揶揄され、それでも静かに時代を紡いできた、“あの人”のことを。

「……さんっ……」

その名を呼ぼうとした、瞬間、だった。
背後に微かな気配を感じ、身を翻す。
途端、今の今まで里保が座っていた場所に、鋭く何かが振り下ろされた。
何が起こったのか。
奇襲かと舌打ちしかけた里保の前に、

「あー!もう!あとちょっとだったのにぃ!」

そんな言葉が降ってきた。
思わず眉をひそめ、そして「え?」と返してしまう。

眼前に佇むのは、ひどく不機嫌に眉間にしわを寄せ、前髪をぐしゃりと乱暴にかき上げた、佐藤優樹だった。


投稿日時:2015/12/14(月) 23:27:52.08





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