(118)234 『雨ノ名前-rain story-』2

家を出て二十分、雨はまだ続いている。

「あれが依頼のあった現場です」

目の前にあるのは一棟の社屋。
右に同じような洒落た外装をした建物が隣接している。
飯窪は傘を差し、鮎川は傘を差し、外套を着たまま歩く。
鮎川の足元で水たまりが弾けた。

社屋ビルの前を通り、隣の邸宅前に到着。
低い三段の階段を上がって、扉の前に立つ。

「依頼主からは許可を取ってありますから、扉は開いてますよ」

無断侵入の説明をしつつ、飯窪は扉を開ける。
曇天でさらに陽光が射し込まなくなった薄暗い廊下が見えた。
戸口を覗き込もうとする鮎川のために横に退く。

「まず現場を見てもらったほうが良いですね」

飯窪と鮎川が廊下を歩いていく。
途中の階段を通り過ぎて、突き当りを左に曲がる。
奥に開け放しの扉と、警察が張った立ち入り禁止の帯が見えた。

黄色い帯を手で払い、奥の部屋に入る。

「勝手に入っていいの?」
「入室の許可は出てます。事故として処理されてますから」
「事故?」
「死亡したのはリルカ・オーケン。映像や書物、ようするに物語関係の
輸出入と制作を行ってる方で、この貿易映像社の副社長でした。
今朝、彼女は自宅の書斎で死体となって見つかりました」
「外国の人?」
「ハーフだそうですね」

部屋にある家具は、書類棚と重厚な執務机。
貿易社の商品である書籍やDVDは山と積まれている。
苛烈な仕事が私生活にまで浸食してきたのが見てとれた。
絨毯を控えめに染める血痕が、不運な事故を静かに物語る。

「そこがリルカさんの死体があった場所ね。
殺人の可能性はないの?」

鮎川の目は血痕が落ちた絨毯を見下ろす。
血痕の周囲には陶器の破片が落ちていた。

「朝にご家族が発見し、通報して警察が調査しました。
現場と物証の状態から見ても、リルカさんは深夜まで
自宅で仕事をしていて、立ち上がった時に過労かなにかの
原因で足下がふらついた。
そして寄りかかった棚の上にあった花瓶が落ちて、頭に落下」

飯窪は一歩歩み寄り、陶器の破片を指で示す。

「痛みで後方に倒れた時、机に後頭部を打ってしまった。
当たった角度が悪かったみたいで、午後一時から二時の間に
死亡したと考えられます」

入手した警察の簡単な検死情報を思い返す。

「そう見えて、実は誰かが仕掛けた殺人事件、という展開は?」
「物語ならともかく、一般人は手のこんだ殺人はしません。
ないとは言い切れませんが」
「殺人じゃなく単に事故死だとしたら、救われないわね…。
まだこんなに若いのに副社長になっても、机に頭を打って
死ぬなんて悲しすぎる」

鮎川の面差しに哀しみが宿った。

「副社長という座も大変だったようですね。
この映像会社を社員二百人規模の会社に育てあげ、三男一女を
会社の各部門を任せるほどに育て上げた訳ですから」
「夫はどうしていたの?」
「ルリカさんが発見される前夜にすでに行方知れずになってます。
元々気弱な方であまり経営に向いてなかったそうです」
「驚くほど夫が怪しいじゃない」
「元々あまり家に寄りつかなかったみたいで、事故死という結果もあって
警察の動きも鈍い。娘さんだけが心配して、旦那様の身柄を
捕捉してほしいと依頼してきたんです。それも警察よりも先に」

鮎川を眺める。

「私の目的は、その旦那様を見つけ出すことにあります」
「見つけて、それで?」
「それだけですよ」
「それ、だけ?」
「それだけです。この事件には鮎川さんが恐怖している事は
ほとんど影響していないお話ですから」
「余計な仕事はしない、ってこと?」
「……私達が正義の味方をしているのは、誰かの人生を
めちゃくちゃにした相手に復讐するためではありませんから」

まだ納得していない鮎川に飯窪は携帯端末を差し出した。
そこにはこの貿易社の経営主の経歴と、顔や全体の写真があった。
鮎川の鼻先に不快感の皺が浮かぶ。


机に座って控えめに微笑む社長、ロック・オーケン。
痩せた体に白の混じった髪は三対七という半端な横分け。
何かを睨み付けるような鋭利な目。
貧相な顔にペイントで十字架を模した模様が描かれている。
まるでピエロか何かの様だ。

「……いかにもって感じね。
怪しいDVDでも売ってたんじゃないかってぐらいの面構え」
「見た目で判断するのは良く無いですよ。
それなりにいいところもあったと思いますよ」

小声で「多分」と付け加えてしまった飯窪の弁護にも
鮎川は侮蔑の小さな笑みを口の端に刻む。

「ロックさんの私室は二階です」

二人で部屋を出て、廊下まで戻る。
階段を上って二階に到着すると、廊下の横手にある扉を開けた。
左右の壁一面と床に、雑誌と本とDVDが溢れている。
左手の棚の中段ほどに、画面と録画再生機がそれぞれ六台。
何の為かは分からないが、六つの画面を一度に見る事態が想像できない。

窓際の机の上では、数年前に上映された映画がテレビで放映されていた。

「なんで勝手にテレビが?」
「自動再生でしょうか」

映像のひとつには、飯窪も見た事がある映画があった。
丁度、変身ヒーローが悪の計画を阻止している最中で
ヌンチャクを振り回す特撮ヒロインというのも斬新ではある。

「まるで子供の部屋じゃない…」

鮎川の言葉通り、貿易社の社長の部屋に仕事の用具は何もない。
時間を知らせる時計すらなかった。
この部屋は、ただ子供のままで大きくなった男のための
夢物語と玩具で埋め尽くされ、戯れるためだけの部屋だった。
楽器や電子器具の山。
音楽楽器の雑誌が混ざっているのを見るに、彼は音楽にも精通してたらしい。

ロック・オーケンの理想を投影したような本は床に転がっていた。
表紙では、勇敢な戦士が右手に剣を握り、美女を
左腕で抱きつつ、白い歯を見せて笑っていた。
二人でさらに部屋を捜索したが、ロックの行方を示すようなものは出ない。

携帯端末を見つけて電話帳や住所録を見つけたが、空白ばかり。
何件かはあったが馴染みの楽器店のものがほとんどで
個人的な友好関係がほとんどない。
数少ない交友関係にその場で電話してみるが、誰も彼の事を知らない。

鮎川の不機嫌さが頂点にまで達する前に、二人は外に出る事にした。


更新日時:2016/04/12(火) 02:24:08.14


作者コメント
「鮎川夢子」さんを知ってる人はその人物像で見てもらえると
ある意味で面白くなるかもしれません。(登場人物も同じく)
ちなみに書いている人はあの映画を見ておらず、原作との混合なので
別人として捉えてもらっても大丈夫です。





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