(125)63 『リゾナンター爻(シャオ)』92話 (最終話) 

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「なるほど…これは…」

部屋の照明を一切つけぬまま、仄かに光を放つモニターを注視する、白衣の科学者。
そこに映し出されていたのは、「叡智の集積」が欲していた情報の全て。

「jacob's ladder ですか。天へと続く階段とは、よく言ったものです」

つんくが密かに作成し、自らのパソコンに厳重に保管していたデータファイルの名称「ヤコブの梯子」。
再構築不可能なレベルにまで細断化されたファイルの内容の復元は、既に終えていた。

しかしながら、能力者への対処を専門とする警察機構もこんなものである。
反逆者と言ってもいいつんくの保持していた最高機密の情報を、こうもあっさり闇組織に奪われるとは。
奪われたことにすら気づいていないとは言え、その守りの弱さは紺野にとって憐れむほどのレベルであった。
現場における最高指揮官を失った今、彼らの存在は今まで以上に希薄なものになるだろう。

データ上で復元されたファイルに、紺野は改めて目を通す。
つんくの目指していたもの。

― 「幸せは地獄の一歩手前」という言葉があります。
大好きなお菓子でも100個食べろと言われれば、誰もが嫌になります。
何個がちょうどいいのか。人の話をよく聞き、気づいたことをメモに残す地道な習慣こそがアイデアの源です。―

一見すると、単なる呟きにしか見えない文章。
彼らの持つ技術力ではこの文章すら復元させることは不可能だろうが、たとえ復元できたとしても意味の分からないポエムとして捨て置かれたに違いない。
しかし紺野には、この文章が何を意味しているのかが理解できた。
いや、紺野にしかわからない、と言い換えてもいいだろう。つまり。

逆に言えば、「地獄の一歩手前」こそが幸せ。
つんくは、紺野に「地獄」を再現させることで「幸せ」を顕在化させようとしている。
まるで世界を満たす闇が、一筋の光を際立たせるように。
そう、解釈した。

そしてその結論は紺野が目指していた目的と、寸分狂わず符合する。
改めて自らの推測が正しかったことが、確信を持って理解できた。

つんくさん。あなたの遺志は…私が受け継がせて貰いますよ。

今は亡き師に花束を捧げるかのように、思いを馳せたその時だった。

「随分、用心深いのね」
「おや、どこかに出かけられてたんですか? 『永遠殺し』さん」 

苦虫を噛み潰したような顔をして扉を開けたのは、「永遠殺し」。
自らの能力が阻害されていることに気付き、不機嫌を顕にしていた。

「わたしに能力を使われて、不味いことでもあるのかしら」
「いえ。『計画』も最終段階に入っているので、用心深くさせていただいてるだけですよ。ちなみにこの部屋を覆っている『能力阻害』 の力ですが、本拠地のメイン電源と直結させていますので、どこかの輩が私の命を狙おうとすれば本拠地の電源を全て殺す必要が出てくるわけです」
「本拠地を人質にしてるつもり?」
「いやいや。本拠地の主電源が落ちれば、非常防衛システムが作動して侵入者は絶対に外に逃げ出せませんからね。
例え私が死んでも侵入者は必ず捕まるということです」

「永遠殺し」はため息をつく。
この程度で尻尾を出すような人間ではないことは百も承知ではあるが。

「リゾナンター…小田さくらと会ってきた」
「ほう。『さくら』ですか。元気にしていましたか」
「あんたの目論見通り。きちんと『リゾナンター』らしく、成長してるわ」
「そうですか。別に彼女をリゾナンターにしたくて差し向けたわけではありませんが。
まあ、私の自信作が今も健在であるならば、何よりです」
「ついでに、最後通牒を突きつけてきたわ」

そこで初めて、紺野は椅子をゆっくり回転させて「永遠殺し」と向き合った。

「それは…いけませんね」
「あら、どうして? あなたも彼女たちを殲滅させるつもりで『金鴉』『煙鏡』の二人を差し向けたんじゃなくて?」
「確かにそうですが、状況が変わりました」

1ミリたりとも表情を崩さない「叡智の集積」。
時の支配者は、思わず声を荒げそうになるのを抑える。状況? あんたはただ、自分の計画のためにリゾナンターを温存させたいだけでしょう。冗談じゃない。何を企んでるか知らないし興味もないけど、その計画、ご破算にしてあげるわ。喉まで出かかった言葉は、彼女が本来持つ冷静さによって胸の奥底へと押し戻された。 

「状況ね。何が変わったと言うのかしらね」
「簡単ですよ。リゾナンター程度に関わってる時間は、なくなったと言うことです」

物は言いよう、と噛みつきたくもなるが。
しかし「永遠殺し」はその時間がなくなった理由のほうに意識が向く。

「算段がついたんですよ。『能力者の理想社会』の実現のね」
「何ですって?」
「私はこれまで、いくつかの下準備を仕掛けてきました。『電波を利用した物質の拡散効果の実験』『共鳴能力の入手』、それに今回のこともそうです。それらが、いよいよ実を結ぶんですよ」

紺野は、口角を上げずにレンズ越しの目だけで笑って見せる。

「幹部のみなさんにも、色々動いてもらう必要が出てきます。有体に言えば、我々がこの国の頂点に立つための準備、と言ったところでしょうか。片手間にリゾナンターを相手にしている暇など、なくなるはずです」
「『首領』はこのことを?」
「もちろん。能力者の理想社会の実現は彼女の悲願ですから」

紺野の言うことには、何の矛盾も無い。
実際に幹部たちがそのような特命を与えられるとしたら、道重さゆみを失いオリジナルリゾナンターを全て失った連中にちょっかいを掛けている場合ではなくなる。
だが、何かが引っかかる。「永遠殺し」は眉間に皺を刻み、紺野のことを見る。

「ただ。彼女たちが我々の計画の成就に立ち向かって来るなら、話は別です。その時は、好きにしたらいいでしょう。まあ、自らの手で彼女たちを始末しようとしているライバルは多いと思いますが。『氷の魔女』さんなんかは、特にね」

『氷の魔女』。
盟友とも言うべき『赤の粛清』を高橋愛に殺されてから、魂が抜けたようになっていた彼女は。
「金鴉」「煙鏡」がリゾナンターに戦闘を仕掛けた後も不気味な沈黙を保ったままである。その静けさが逆に、彼女の心の中の嵐を表現しているような気さえ「永遠殺し」には感じられていた。

「次の幹部会議で、話は大きく動くことでしょう。『黒翼の悪魔』さんも戻って来られますしね」
「やっぱり…戻って来るのね」

「鋼脚」から事前に聞かされてはいたものの、改めて紺野の口から聞かされるとその衝撃は決して小さくない。
彼女は何のために姿を消し、そして何のために戻って来るのか。仔細については「鋼脚」からは聞かされてはいなかったが、紺野がらみの案件だったことは容易に想像できる。おそらくこのことすら「首領」は了承済みであろう。
組織の右腕だったはずの自分が、計画の中心部からはるか遠方へと遠ざけられている。憎しみは全て、目の前の科学者へと注がれた。

「いずれにせよ我々の見る夢は、同じはず。違いますか?」
「…楽しみにしているわ。幹部会議」

それだけ言い残して、「永遠殺し」は紺野の私室を出てゆく。
紺野が見かけ上にしろまっとうな動きをしている限り、自分のほうから行動に移すわけにはいかない。それを紺野はよく知っていた。

「ふう。相変わらずおっかねえなあ、保田さんは」

入れ替わるように、おどけたような声がする。

「ただ、あの凄まじい気の中で平然としてられるお前もお前だけどさ」
「…いらっしゃったなら話に加わってくださいよ、『鋼脚』さん」
「よせよ、疑われるのはお前の日頃の行いが故ってやつだ。それにそんな義理もねえしな」

闇をかき分けるように紺野に近づく、金髪のライダースーツ。
「鋼脚」は、紺野の座る回転椅子に肘をかけ、既にブラックアウトされたモニターに顔を近づける。 

「…情報部にも教えられない計画、ってか」
「申し訳ありません。ただ、先程も『永遠殺し』さんに話した通り。能力者の理想社会実現のためにはこの計画は必ず実行しなければならない。計画が組織にとって有用であることは・・・きっと『不戦の守護者』さんが生きていたら、証明してくれたでしょうね」
「お前、相変わらずいい趣味してんな。自分で殺っといてさ」
「彼女を殺したのは里田さんです。私ではありませんよ」

取りつく島もない、とはこのこと。
これ以上紺野から情報を引き出せないと見るや、「鋼脚」は屈めていた体をすっと伸ばす。
まるで、獲物を狩る野獣のように。
空気が、一瞬にして張りつめた。

「能力阻害システム…あたしの体術は、阻害できないだろ?」
「吉澤さんは、そんなことはしませんよ」

お前そういう時だけ名前で呼ぶのな、呆れるような調子で呟いた後。
背を向ける紺野の肩に、そっと手を置いた。

「どうかな。あたしも組織に忠誠を誓った身だ。お前が組織に仇成す存在なら…迷わず蹴り潰すさ」
「なら尚更です。私は決して組織に後ろめたいことをしているわけではありませんからね」
「どうだか」
「ああ、そう言えば」

諦めを帯びた言葉を残し、その場を立ち去ろうとする「鋼脚」に、今度は紺野が声を掛けた。

「今更ですが。『金鴉』さんと『煙鏡』さんのことは、残念でした」
「…同期も、あたし一人になっちまったな」

そこには、悲しみも、怒りすらもなく。
ただただ。喪ったものの姿があった。

それきり、一言も話すことなく。
「鋼脚」は、入って来た時とは打って変って、力なく部屋を出て行った。

あと1年。
紺野が自らに課した計画遂行のタイムリミットだった。
それ以上かかってしまうと、これまで保ってきた組織の危ういバランスが崩れてしまう。
「永遠殺し」「氷の魔女」「鋼脚」そして「首領」。彼女たちの思惑は複雑に絡み、
ともすればのっぴきならない状況にもなりかねなかった。
その上姿を「消させていた」組織最強の能力者が、帰ってくるのだ。彼女のことをどう説得しても、
やはり1年が限界だろうと踏んでいた。

役者が揃うには、もう少し、か。

紺野の描く絵図、それが日の目を見るには、今しばしの時間が必要だった。 


愛佳の走らせる車は、ひたすら深い森を突き進んでゆく。
この現代社会に、ここまで俗世と隔離されたような場所があったのか。ハンドルを執りながらも、
つくづく愛佳は能力者社会の懐の深さを思い知る。

「能力者たちの隠れ里、ですか」
「うん。姿を隠すには、うってつけの場所なの」

よんどころのない事情で闇組織の手から逃れなければならない能力者たちが、一時的に身を寄せる場所。
文字通り隠された場所であることから、「能力者たちの隠れ里」と呼ばれていた。
さゆみはそこに身を寄せると言う。

「そこでね、お店をやってみようかと思うの。簡単な料理を作ったり、ケーキを焼いたり。もともとは絵里と一緒にそういうお店をやりたいって思ってたんだよね」
「ああ、そう言えばそんなこと言うてはりましたなあ」

いかにも懐かしい、といった表情をする愛佳。

「りほりほや、他のみんなとは一緒にはいられないけど。そうやってお店をやることで、あの子たちとは繋がってるような気がするの」
「…あいつらに、道重さんの居場所を教えてあげなくてもよかったんですか?」

愛佳の何気ない質問。
さゆみは、瞳を伏せて俯きつつも、

「それは、あの子たちを危険な目に遭わせてしまうから」

ときっぱり言い切った。 

治癒と崩壊の力を併せ持っていたさゆみの存在はそれほどの、闇社会の人間からは垂涎の的であった。
ならば、余計な情報はできるだけ与えない方がいい。
さゆみが最後の別離を手紙で済ませたのも、その理由が大きかった。

「でも、愛佳だって」
「ええ。今回のことで、思い知らされました。うちが『予知』の力を持っていた過去ですら、
敵にとっては利用すべき手段なんやって」

愛佳もまた、さゆみを送ったその足で空港まで向かう予定であった。
彼女が渡米を決意したのは、もちろん必要最低限の戦闘能力や諜報能力を身に着けるためでもあるが。
敵に付け入る隙を与えてしまった、いざという時の精神の脆さを鍛え直すためでもあった。

「ちょうどええ具合に、ロス市警のハイラム警部がええとこ紹介してくれるらしくて」
「ああ、あの…」

さゆみは、異国で出会った人のよさそうな中年の顔を思い出していた。
とある依頼で当時のリゾナンター全員がロサンゼルスに渡った時のこと。
彼女たちの行動をサポートしてくれたのが、ロサンゼルス市警のハイラム・ブロック警部だった。その後も、愛佳は語学留学も兼ねた米国の渡航時に、しばしば連絡を取っていたのだった。

「まあ見といてください。必ず今のリゾナンターの力になれるようになって、帰ってきますから。何なら新たなリゾナンター候補でも送り込みますか?」
「いいね。でも、それに関してはさゆみの方が先かもね。だって、『隠れ里』には元気な子がいっぱいいるから」

「能力者の隠れ里」には、さゆみたちリゾナンターがダークネスやその他の非合法組織から保護することになった、未成年の少女たちも多く暮らしていた。もし彼女たちの中にリゾナンターとしての素質を持つものがいれば、今のメンバーたちの戦力増強にはうってつけとも言えた。

「しかし、警備のほうは大丈夫なんですか? いくら厳重に結界によって守られてるとは言え」
「それは大丈夫。隠れ里と言っても、防衛に特化した能力者の人たちが何人もいるし、いざとなったら『空間転位』で隠れ里ごと移動することもできるらしいから」
「里ごと…」
「それと能力を失ったとは言え、かわいい子はさゆみが身を挺して守ってあげるの。フッフフフ」

もしかして隠れ里にとって、さゆみが一番の脅威なのでは。
そんな疑念が愛佳の脳裏に過ったのは秘密の話。

一本道の道路はやがてゆるいカーブを描きながら、森を抜ける。
両脇に草原が広がる拓けた場所で、さゆみは愛佳にここでいいから、と声をかけた。

「え、ここなんですか?」
「うん。あとはさゆみ一人で大丈夫。それに危険な目に遭わせられないのは、愛佳もだから」

ほんの一握りの人間以外は、里がどこにあるのかさえもわからない。
「隠れ里」の安全性を、愛佳は改めて思い知らされる。

「落ち着いたら…またみんなでパーティーしましょうよ。その時は、ジュンジュンやリンリン、久住さんも呼んで」
「そうだね。愛ちゃんやガキさんに…絵里も」

別れが辛くなるといけない、とさゆみは足早に車を降り、愛佳が再びエンジンをかけるのを見送る。
遠ざかる車体はしばらく視界の奥に佇んでいたが、やがてそれも見えなくなっていった。

柔らかな風が、草原を揺らす。
さゆみの頬を撫でるその優しさは、必然的に亀井絵里のことを思い出させた。

このような形でリゾナンターを離脱することを、絵里はどう思うだろうか。
さゆみは、自らに問いかける。
リーダーという重責を拝命した時から。ダークネスの、闇の脅威のない景色を後輩たちに見せたい。その思いだけで、ひたすら走ってきた。けれどその夢は、思いがけない形で後輩たちに託すこととなった。

― それもまた、さゆらしいんじゃないかな ―

もちろん、絵里がさゆみの問いにそう答えた訳では無い。
けれど、さゆみには彼女ならそう言うだろうと、思っていた。
それもまた絵里らしい。そんな言葉を添えつつ。

若葉薫る草原へと、足を踏み入れるさゆみ。
どこからともなく空間転位の力が具現化された光が差し込み、その姿を包み込むと。
後には誰の姿もなく、そよそよと風が草葉を揺らしている光景だけが、残されていた。 



作者コメント
『リゾナンター爻(シャオ)』 了 
完結させるのに2年もかかってしまいました… 
次回作はまたのきかいに 

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