(134)310 『リゾナンター爻(シャオ)』番外編 「繰る、光」1



田中れいながリゾナンターを離脱してから、数か月。
非合法組織の中でも最高峰クラスとされるダークネスに抗いかつ退けてみせたリゾナンターは、高橋愛が率いていた9人のリゾナンター時代のそれに迫る勢いを得ていた。
チームのアタッカーであったれいなを失ったものの、彼女がメンバーたちに分け与えた力と各人の研鑽により、れいなの抜けた穴を補っていた。そのことは、彼女たち新生リゾナンターたちの成した功績からも明らかであった。

道重さゆみが率いる若き能力者たちの元に、次々と舞い込む案件の数々。
通称「Password is zero」と呼ばれる極秘プロジェクトの参加を皮切りに、シージャック事件の解決や、九州地方を本拠地とする巨大組織の下部団体との衝突、果ては元ダークネスの幹部「蠱惑」が引き起こした騒動の鎮圧。秩序を司る側からも、闇に生きる集団からも。リゾナンターは注目を集め始めていた。

これは、彼女たちリゾナンターが解決した案件のうちの一つ、とある話。



「この子の、奪還…?」

リゾナンターに舞い込む仕事の窓口を一手に引き受ける、後輩光井愛佳の訪問を受けたさゆみ。
愛佳から受け取った一枚の写真には、あどけない表情の少女が写されていた。
喫茶リゾナントは相も変わらず閑古鳥ではあるが、逆にこのようなあまり公にはしたくない話をするには丁度いい。というのも皮肉な話ではあるが。

「ええ。この子をとある屋敷から救い出す、というのが先方の意向らしいです」
「…監禁されてる、ってこと?」
「あくまでも、依頼人の話を100%信じれば。ですけど」

多分に含みのある愛佳の言葉。
この依頼には裏がある、それはさゆみにも何となくではあるが伝わっていた。

「正直な話。うちはこの話、道重さんに受けて欲しくないです。せやけど…」
「目が…助けを求めてる?」

さゆみの言葉に、ゆっくりと頷く愛佳。
写真に写った少女は、どことなく怯えているように見えた。
表情は固く、その瞳は。

誰か…ねえねえ、誰か…

そう、呼びかけているようにすら思えた。
愛佳が、リゾナンターから離脱してからかなりの年月が経つ。しかし。志を共にした最初の9人がこの喫茶店で過ごした日々のことを、今でも鮮やかに思い出すことができた。
メンバーたちはそれぞれ、辛い過去を抱えていた。悩み、苦しみ、そして助けを求めていた。
愛佳自身も、そうだ。あの日、薄暗いホームの上で助けを求めていなければ。その声を、「彼女」が拾ってくれなければ。

「わかったよ。この仕事…受けさせてもらいます」
「…ええんですか」
「資料を見るに、敵戦力に能力者の存在は認めらない。どんな罠が仕掛けられていても、今のメンバーなら大丈夫だと思う。それに、今回はちょっとした組み合わせを試してみたいの」

愛佳は首を傾げる。
おそらく、派遣するメンバーのことを言っているのだと思うが。
それよりも愛佳は、さゆみに言いたいことがあった。

「あの、道重さん。この子…」
「ん? さゆみ好みの年齢だよね」
「いや、そうやなくて。この子、昔の道重さんに似てません?」
「そうかな」

艶のある黒髪や、はっきりとした目元。おまけに、左右逆ではあるが口元に黒子があるところまで。
さゆみ自身はあまりしっくりとは来てないものの。
愛佳には、写真の少女とまだ幼さを残した当時のさゆみは何となく重なるものがあるように思えた。



数日後。
鬱蒼とした木々に囲まれた山道を、二人の少女が歩いていた。
少女、と言ってもそのうちの一人は汗を拭く仕草すら年相応に見えない色気を放ってはいたが。
見た目、ハイキングにでも来たかのような格好。赤と濃ピンクのリュックサックが、ゆさゆさと揺れる。
空は灰色の雲に覆われ、森の深さも相まって薄闇の様相を呈していた。

「里保ちゃん、もうすぐ目的の村に着くね」

後ろを振り返りながら、リゾナンターのサブリーダーである譜久村聖が言う。
後方には、とぼとぼと歩く小さな姿。戦う際の凛々しき姿はどこへやら、メンバーいち歩くのが遅いと揶揄含みの称号を戴いている鞘師里保は、あくまでもマイペースを崩すことなく歩いていた。空模様からすると、急な雨に見舞われる恐れもある。できればその前に、目的地にたどり着きたかったのだが。

「……」
「ねえ、里保ちゃん聞いてる?」

里保の返事は、ない。
最寄りのバス停から、歩くこと数時間。
確かにバスの中でぐっすりと熟睡していた里保は、叩き起こされたせいか道中顔に表情がずっとなかった。
だが、それとは聊か様子が違うように見えた。
その理由は、すぐに判明する。

「…敵襲」
「えっ?」

里保が口を開くのと同時に、二人の前に躍り出る数体の影。
大きな影が、四つ。そしてその影に寄り添うようにぴったりとついて来る影が同じく、四つ。

「ここから先は通すわけにはいかんな」
「”くるとん”は渡さんぞ!!」
「しかしどんな連中が差し向けられたかと思ったら、ただの小娘ではないか!」
「怪我したくなければ、尻尾を巻いて逃げることだな」

黒ずくめの忍者のような服を身に纏い、顔も黒子がするような頭巾と布で隠されていた。
このような格好をする連中は、大抵何らかの秘術を扱うと相場は決まっているが。

「…それは、こちらの台詞です」

里保が、いつの間にか刀を抜いていた。
抜刀の瞬間、いや、帯刀していることすら気づかなかったことに男たちは焦り、そして一気に緊張の度合いを強める。

「ふくちゃん。後ろに、下がってて」

里保に言われ、後方で待機する聖。
相手は一人で十分、と思われたと悟った男たちは揃って怒りを顕にした。

「随分舐められたものだ!」
「とくと見よ、我らが『刃賀衆』の秘技を!!」

小さな四つの影が、一斉に襲い掛かる。
後方の男たちと同じく頭巾と布で顔を覆い隠した格好の黒子たちが、携えていた小刀を同時に里保目がけ振るった。
しかし。

流水のような、淀みない足さばき。
利き手の右側に最も近い黒子の刀を愛刀「驟雨環奔」で止め、逆側から斬りかかる黒子の刃は水が象る第二の刀が防ぐ。
ぎりぎりと食い込む刃と刃。激しい鍔競り合いではあるが、徐々に里保が圧してゆく。力でねじ伏せるのではなく、体重移動によって巧みに相手を往なし、勢いを殺しつつ。
その間にも残りの黒子が里保の体を貫きにかかるが、それも叶わない。

何故なら先ほど地面に撒いた水が珠状に渦を巻き、黒子たちの体を打ち据えていたから。
さらに、両側から里保を攻める黒子たちも完全に力を逃がされ、
態勢を崩されたところを遭えなく峰打ちの餌食となってしまう。

「…まだ、やりますか?」
「『四人』相手にそこまでやるとは、そこそこ腕が立つようだ。だが、もう四人を同時に相手にできるかな」

大の男でも昏倒してもおかしくない衝撃を与えたはずだった。
しかし、里保の攻撃を受けたはずの黒子たちは、何事も無かったかのようにむくりと立ち上がる。

「我々を見下した無礼、その命で償え!!」

里保を取り囲む小さな黒子たち、そこからさらに男たちが襲い掛かる。
だが、里保は動かない。代わりに。

「ふくちゃん。後方の男たちを」
「わかった!!」

聖は、里保一人に戦闘を任せるために後方に下がったのではなかった。
得意とする念動弾による、援護射撃。元はかつて対峙した能力者、「キュート」の岡井千聖の能力であったが、オリジナル以上の照準精度によって聖の能力の主力となっていた。

四つの「壁」と、里保。
このいずれにも当ることなく、弾丸は標的である男たちの体に命中する。

「ば、馬鹿な…!!」

予想だにしない攻撃を受け、男たちは次々と地に伏せてゆく。
それに呼応するように、小さな黒子たちも膝を落とし、そしてそのまま動かなくなった。

「やっぱり…」
「どういうこと?里保ちゃん」
「『刃賀衆』…こんなところにいたなんて」

言いながら、黒子のうちの一人を抱き起して、聖にその背を見せた。
そこには禍々しい紋様の描かれた、細長い紙切れのようなものが。

「これは…お札?」
「札に念を込めて、命なきものを傀儡とする。『刃賀衆』の一派だけに伝わる秘術、らしいよ」
「だから操り手を倒したことで傀儡も沈黙したんだ…でも、刃賀衆って?」

聖にとっては、耳馴染のない名前。
里保は目的地に向かって歩きながら、「刃賀衆」に纏わるとある昔話について説明する。

時は戦国時代。天下統一を目指したとある武将が、敵方武将の根城を攻めるために当時裏の世界で一大勢力を築いていた「刃賀衆」を雇い入れた。しかしそれを聞いた敵方の武将は、西方よりある集団を呼び寄せることで対抗する。
その両者の争いは、苛烈を極めたという。

「その末裔が、今でも細々と裏稼業をしつつ暮らしてる。とは聞いてたんだけどね」
「どうでもいいけど里保ちゃん」
「なに?」
「何で聖の二の腕をさすりながら話してるの?」

真面目ぶった顔で話している里保であったが、なぜかその右手はすりすりと。

「いや、これはふくちゃんの肌が勝手に吸いついて」
「もう。変なとこだけ道重さんの影響受けてるんだから」

聖たちリゾナンターの本拠地である喫茶リゾナントは、一部の常連のおかげで何とか商売が成り立っている暇な店。その最中にさゆみが見つけた大発見、それが聖の二の腕がすべすべしていてとても良い触り心地だということだった。
そして聖は、どさくさに紛れて聖の二の腕をぺたぺた触る里保の行動を見逃していなかったのだ。

「それより、話の続き。長い争いの中で、「刃賀衆」はとある弱点を突かれてその戦闘集団に敗れ去ったんだけど、その弱点というのがね…」

話を逸らしつつも、二の腕を触ることをやめない里保。
しかしそれも、あるものを目にしてぴたりと止まる。

「里保ちゃん」

おそらくこの先は「刃賀衆」の里なのだろう。
里保たちの前に城壁の如く立ち塞がる、黒子たちの大群がそのことを示していた。
先程の人数など比べ物にならない、数十、いや百近くはいるように思える。

泣き出しそうだった空から、雨粒がぽつり。ぽつり。
里保の「認識」が正しければ、彼らは決着を急ぐはず。

「ちょうどいいから、再現してあげるよ。「刃賀衆」が、「水軍流」に敗れ去った理由をね」

敵の「大群」に物怖じすることなく、里保は刀を抜いた。
かつては雨が降るたび、里保は自らの能力の暴走に怯えていた。幼き日に友を喪った、心の奥底に沈めておきたい過去が頭を過ってしまうからだった。けれど。

さゆみに。多くの先輩たちに導かれ。そして、自らもリゾナンターとして。
数々の困難を乗り越えて来た今なら、できるはず。
里保は、ゆっくりと、そして目を細めつつ天を仰いだ。



瞬く間の出来事。
少なくとも、聖にはそうとしか見えなかった。
刀を空に向けたかと思うと、降り始めた雨は巻き取られるように刀身に集められ、そして里保を押し潰さんと迫りくる鋼の黒子たちを容赦なく水浸しにしてゆく。
まさに、水の暴力。荒ぶる水の流れによって、「大群」は完全に鎮圧されてしまった。

「水使い…だと?」
「『刃賀衆』の操る傀儡の弱点」

尚も立ち上がろうとする男を柄先で昏倒させ、里保は傀儡の黒子に貼られていた札を剥す。

「それは、札が水に濡れてしまうと完全に効力を失うこと。この札は何かのコーティングがされてたみたいだけど、うちの操る『生きた水』の前には通用しない」

聖は、目の前の少女の実力に改めて気づかされる。
ほぼ同時期に喫茶リゾナントの扉を開いているはずなのに、彼女は常に自分の二歩も三歩も先を行っている。もちろん、里保はかつてそのポジションを担っていた田中れいなの後継を期待されている存在なのは重々承知の上。しかし、聖にもプライドがある。負けたくない。

ただ、そんな今はそんなライバル心はどこかへ置いておかなければならない。
さゆみがわざわざ自分と里保を指名してこの仕事へ向かわせたことの意味。単純に考えれば同じ時期にリゾナンターとなったもの同士の、アタッカーとサポーターの組み合わせだろうが、さゆみがそんな理由で自分たちを選んだのではないことくらい、聖にもわかっていた。
その答えを仕事が終わる前までに、用意しておかないといけない。おそらく仕事の成果とともに、さゆみに聞かれるはずだ。

「里保ちゃん。クライアントの依頼内容は、あの建物の中に囚われてる女の子を助け出すこと。だったら、その子を監禁してる人の部隊が他にもいるかもしれない。急ごう」
「うん。そうだね」

返事とともに、抜いた刀を鞘に納める里保。
向こうのほうに、城と見紛うばかりの大きな屋敷が見えていた。
祖父から聞いた、「刃賀衆」の話。それと現実に彼女たちに襲い掛かって来た軍勢の実力は、ほぼ変わらず。
ならば例えこの先にどんな人間が待ち構えていたとしても、自分たちの敵ではないはず。そう踏んでいた。
しかし事態は、思わぬ方向へと向かってゆく。

「誰だ!!」

思わず鬼の形相で、現れた人影に叫ぶ里保。
そこで、ようやく聖も気付く。気配を完全に殺して近づいてきた小さな影に。

「お前さんたちが、『りぞなんたあ』とかいう。なるほど。正義の味方を気取るだけの実力はあるようじゃが」

芥子色の単着物に、えびぞめ色の羽織姿。目にかかるほどの豊かな白い眉毛は、まさに好々爺といった様相を醸し出してはいたけれど。

「あなたは…?」

聖と里保は、完全に警戒態勢に入っていた。
対峙しているだけで、皮膚がひりつくような感覚。そして、里保を持ってしても接近を許してしまうほどの隠形術。
これだけの人物が、ただもののはずがない。下手をすると、敵の新手の可能性すらある。
ただそれは半分正解で、半分外れであった。

「わしは…『刃賀衆』の頭目を務めておる。そして、今回の依頼人でもあるのじゃ」
「えっ」
「ここでは色々とまずい。案内してやろう。あそこの屋敷にな」

老人が何を企んでいるのかはわからない。そして、彼が依頼を出した理由も。なぜ少女を捕えている「刃賀衆」の頭領がそれを救出する依頼を出す必要がある。
が、ここは少女が囚われているであろう屋敷に近づくチャンスでもある。虎口に入らずんば虎児を得ず、の諺よろしく、老人の後を二人はついて行くのだった。



「もぐ…なるほど…囚われの…ぱく…少女というのは…もぐ…おじいさんの…くちゃ…お孫さんでしたか…ごっくん」

屋敷の中にある、囲炉裏の設けられた一室にて。
暖かな湯気をくゆらせながら、当地の名物らしい「ほうとう」が丁度いい具合に煮立っている。
頭領の思わぬもてなしに、遠慮なく舌鼓を打っている里保。そんな強心臓にある意味賞賛、ある意味呆れつつも聖もまた「ほうとう」の旨さに心を動かされていた。

「ほほほ、『鞘師』の子は腕だけでのうて、食の方も立つようじゃ。遠慮はいらん。仕事の前に、たんと食っていくがいい」
「あの…」

最初は少しずつ食べていたのが、段々とその一口が大きくなって頬を膨らませている里保を余所に、聖が不安げに「刃賀衆」の頭領である羽賀老に訊ねる。

「何じゃ、嬢ちゃん」
「お孫さんを助け出して欲しい。それが依頼内容だったはずですが。
聞いた話ではこの屋敷の中にいらっしゃると聞いていたのに」
「ああ。孫の朱音は、この屋敷におる」

実にあっさりとした、羽賀老の答え。
なので、聖の抱く疑問はさらに膨れ上がる。

「そんな。じゃあどうして助け出して欲しいなんて」
「あの子はな…呪われた子なんじゃ」

それまで止まらぬ勢いで膳を掻き込んでいた里保の、箸が止まった。
が、羽賀老は、淡々と話を始める。

「『刃賀衆』にはの。代々、一族の秘儀を受け継ぐ素質のあるものが生まれる。わしらは、そのものを『繰沌(くるとん)』と呼んでおるのじゃが。そして、当代の『繰沌』に…朱音が選ばれた。だがの。一つだけ、大きな問題があった」
「問題…とは?」
「朱音は、あまりにもその素質が強すぎたのじゃ。そしてその素質に対し、あまりにもその器は小さすぎた。
結果…力の暴走を生むことになる」
「……」
「一族の秘儀の他に、あの子に作用する力が存在する力があるのやもしれん。ただ一つ、確かなことは。制御できん力は、周りの人間を傷つける。もう、何人も里のものが朱音の力で命を失っておる」

制御できない、巨大な力。
聖は確信する。羽賀老の孫であるその少女は、「能力者」であると。

「今は、刃賀に伝わる緊縛術でその身を抑えておるが…いずれはそれも解かれ、より多くの犠牲を生みかねん。そこで、わしはある一つの決断を下した」
「そんな!なんてことを!!」

羽賀老が言うより早く、里保が大きな声を上げる。
その顔は真剣さと怒りが入り混じり、ある種の硬さを帯びていた。

「さすがにわかるか。わしが出した依頼の、本当の意味が」
「里保ちゃん…?」
「制御できないからって、それで殺すなんて乱暴すぎる!! 何でそんなことを、簡単に!!!!」

里保の刺すような視線を浴びてもなお、老人は静かな佇まいを見せている。
暴風にしなやかに揺らぐ木のように。いや、最早折れてしまうほどの「硬さ」がないだけかもしれない。
なるほど、自らの手引きで孫娘を殺すなどとは口が裂けても部下たちには言えまい。それで、外部からの依頼という形を取ったのか。聖は何とか老人の思惑に辿り着くも、その心中までは理解することはできなかった。

「簡単ではない。わしも苦悩し、躊躇した。じゃがの、この里を、刃賀の歴史を守るためには仕方がないのじゃ。朱音の『次の繰沌』のためにもな。もうこれ以上、犠牲を出すわけにはいかな」
「ふざけるな!!!!!!!!!!!!!!!」

喉を裂くような声を張り上げ、里保が立ち上がる。

「このような非情な決断を、『水軍流』…『鞘師』のものに委ねると言うのもまた、運命じゃな。ただ。朱音を救うためには、あの子の命を絶たねばならん。あの子に会えば、わかる」
「『チカラ』をコントロールできなければ命を絶たれるなんて!そんなの、そんなの何の解決にもなってない!!だったら!!うちは!!もっとずっとずっと前に死んでなきゃならないんじゃ!!!!!」

あまりの里保の剣幕に、割って入ろうとした聖も思わず二の足を踏んでしまう。
自らの孫の命を絶つことで「救ってほしい」と願う羽賀老。数百年を超える因縁の一族の末裔にそのようなことを頼まなければならない彼の心境は、いかほどのものだろうか。聖には想像すらつかないであろうが、そこに並々ならぬ決意、苦渋の決断があったことは徐々にではあるが、伝わってきてはいた。

その一方で、普段は滅多に感情を高ぶらせることのない里保がここまで怒りを見せる理由も。
かつて。里保は聖たち同期の3人に、幼き頃に親友を自らの制御できなかった力で死の淵に追いやった苦い過去を告白したことがあった。
滅多に自分の弱みなど話すことのない里保、いや、それを乗り越えると宣言するあたり、
強がっているという見方もできてしまうが。
乗り越えなければならない壁である、そう自分に言い聞かせていた幼い顔。
平気な顔をしていても、どことなく辛そうに見えてしまう表情は深く深く聖の心に刻まれた。
今の里保は、かつての自分と似ている朱音の境遇に、思わず感傷的になってしまったのではないか。

だから聖は、里保の手をそっと握り締める。
里保を説得するような言葉は、到底持ち合わせてはいない。けれど、これだけは伝えることができる。
自分はいつでも、里保の味方であると。

「あ…ごめん…」

聖の心が通じたのか。我に帰り、恥じ入るように座り込む里保。
確かに、あまりにも朱音という少女と自分の過去は符号し過ぎていた。ただし、自分には理解ある家族がいた。自分の成長を、暖かな眼差しで見守る祖父の姿があった。背格好は違うが、目の前の老人が里保の祖父と重なったのも感情が抑えきれなくなった理由の一つかもしれない。

危うく、自分を見失うところだった。
里保は自分たちが何のためにここへやって来たのかを改めて思い返す。
仕事として、そして、リゾナンターの一員として。聖とともに、この山々に囲まれた里へとやって来たのだ。
仕事は、完遂しなければならない。

「取り乱して、すいませんでした。まずは、お孫さんに合わせて下さい。話はそれからです」
「そうだね。お願いします。私たちなら、本当の意味でお孫さんを救うことができるかもしれません」

そうだ。自らの目と耳で判断しなければ、何も始まらないのだ。
そのことは、闇の機械に囚われた小田さくらを救い出した時に実感したことだった。

「…運命に、身を委ねた身じゃ。朱音を『救って』くれれば、わしは何も言わんよ…」

その言葉は諦めか、一縷の望みか。
老人は静かに立ち上がり、そして階上へと続く階段に向かってゆっくりと歩き始めた。


投稿日時:2016/11/06(日) 00:44:13.47


作者コメント
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編 「繰る、光」 

もう少し続きます


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