(105)57 『リゾナンター爻(シャオ)』 53話



「ご用件はそれだけですか。じゃあ、長話はこれで。私も、そこまで暇ではないので」

それだけ言うと、白衣の科学者・紺野あさ美は携帯を切った。
恐らく受話器の向こうの相手は怒りを煮えたぎらせていることだろう。
しかしそれははっきり言ってしまえば、「大した問題」ではない。彼らが、密かに起こそうとしている行動を含めて。

組織のスポンサーとして、彼らは重要な存在であった。
しかし逆に言えば、彼らを繋ぎとめておくメリットはその資金力以外の何物でもない。
いつの世も、金で繋がる関係はその程度のものだ。

まるでどこぞの社員食堂のような、質素な作りの食堂ではあるが。
適度に日が差し、健康にはよさそうだ。
普段は明かりもつけない真っ暗な部屋で過ごすことの多い紺野ではあるが、たまには気分転換
の一環としてこのような場所で食事を摂るのも悪くないと考えていた。

ふと、目の前が暗くなる。来訪者だ。


「『首領』も含めた組織の総意、ねえ。自分、いつからそんなに偉くなったん?」
「…盗み聞きですか。貴方ほどの地位の人間がすることとは、思えませんが」

組織の本拠地の、もっぱら一般構成員が使うような食堂。
そんな場所で科学部門を統括する立場の紺野が食事をしているのも珍しいが、組織の長が席についているとなると。 
最早、異常事態である。

さすがに、周囲がざわめき立つ。
もちろん、名目上のトップはダークネスと称する黒頭巾で顔を覆った謎の人物である。
故に一般の構成員たちは「首領」がそのような立場にあることを知らない。
ただ、かなり高位にある人物らしいことは理解していた。

そもそも彼女の地位については、こうやって幹部の人間と対等以上の会話をしている時点で推して知るべきだろう。
紺野に上から目線で話ができる人間など、組織にそうはいない。

「ま、あいつらに関してはうちも堪忍袋の緒が限界迎えてたんやけど」
「その気になれば、いくらでも代わりはいる。ということですか」
「あちらさんが『先生』んとこや『理事長』さんとこを選択肢に入れてるのと、同じくらいにはな」

言いながら、紺野が大事に切り分けていた芋のひと欠けを拾い上げ、口にする。
あっ…私のおいも、という紺野の名残惜しい呟きを無視し、

「それはともかく。『天使の檻』がえらいことになってんなぁ」

と本題を切り出した。


「ご存じでしたか」
「あないな派手なことしとったらうちでも気付くわ。あの人のやりそうなことやな」
「私の、師匠だった人ですからね。それ以前に、ダークネス。いや、さらに源流へと遡った…」
「昔話なんて、どうでもええ」

紺野の言葉を遮る「首領」。
そこには有無を言わさぬ凄みすら感じさせる。

「なっちは…『天使』は、絶対奪われたらあかん。それは、分かってるやろな」
「ええ。ですから、切り札を差し向けました」
「豪華な取り合わせだこと。あの人ならきっと『ロックやな!!』って歓喜するやろ」
「まあ、全てが終わったら、改めてご報告いたしますよ。例の二人組の件も含めてね」

「首領」が例の二人組、という言葉に反応する。
誰を指しているのか、言うまでもない。

「改めて聞くけど。それは必要なことなんやろうな?」
「ええ。避けては通れない道です」
「ほんなら、ええ。そっちの件は、もとより自分に任せてるしな」

空間が、音を立てて裂け始める。
まるで生きているかのように鋭い切り口を開いたと思ったら、「首領」ごと呑み込み、そして跡形もなく消えてしまった。
あっという間の出来事だ。表情を窺い知ることはできない。だが、紺野にはわかる。
あの時、彼女は二人組に決断を下せなかった。それはおそらく今でも、変わらないはずだ。

「さて。時間まではもう少し、あるはずですね」

すっかり静かになってしまった食堂。
紺野は壁掛けの時計を見やると、再びゆっくり過ぎるランチの続きを始めた。


投稿日時:2015/06/04(木) 13:57:02.04






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