(119)119 『リゾナンター爻(シャオ)』75話

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10分。 
10分、凌げばいい。 
それは里保の覚悟であり、彼女を見守る春菜たちの願いでもあった。 
しかし。 

「のん、相手は専守防衛で行くみたいやで」 
「…ああ、そんなこと、させるかよ」 

こちらの心を見透かすように、やり取りをする二人。 
双子みたいなのに双子じゃない「金鴉」と「煙鏡」の思考のコンビネーションは明らかに脅威だった。 

里保が、水で象った刀を横に寝かせて構える。 
防御を意識した構え。それを見た「金鴉」は。 

「のんの能力は、擬態。能力者の血を摂取することで、そいつの能力もいただくことができる…」 

里保に説明するように、呟く。 
何を今更。そう思う里保に、追い打ちをかけるような言葉が続く。 

「せやけど。基本的なこと、忘れてるやろ」 

「煙鏡」がそう言うのと、「金鴉」が懐から取り出した「何か」を口に入れるのはほぼ同時だった。 
それが何なのか、「千里眼」の能力を持つ遥の目が捉える。

「ああっ!あいつ、あいつ!!」 
「どうしたの、くどぅー」 
「蟲を!たっぷり血の詰まった蟲を食いやがった!!」 

遥の言うとおり、「金鴉」は隠し持っていた蟲を、ばりばりと音を立てて噛み潰す。 
かつて組織の幹部だった「蠱惑」の能力である「蟲の女王(インセクトクイーン)」と、血を摂取する必要が 
ある「金鴉」の「擬態」は抜群の相性だった。結果。 

「その目で。よーく、見とけ! のんの『擬態』の正確さをな!!」 

それまで、体を崩壊させ、維持することもやっとだった体のフォルムが。 
徐々に、変わってゆく。艶やかな黒髪。透き通るような白い肌。西洋人形のような整った顔立ち。 
口元のほくろでさえも、完璧に。 

「な、なんてことを」 
「どう? 『さゆみ』の能力は」 

里保の目に映るのは。 
紛れもなく、道重さゆみ。 

「あいつ!よりによってみにしげさんに!!」 
「はははは!あんだけうちらの精神揺さぶったんや!今度はこっちの番やで!!」 

憤る優樹を嘲笑うかのように、「煙鏡」が吐き捨てる。 
相手の姿形に擬態する能力を「金鴉」が乱用しなかったのは。それを相手への致命的な切り札とするため。
「おいで、りほりほ。さゆみがあの世に送ってあげる」

「みっしげさんの声で!ふざけたことを!!」

リゾナンターたちは、現リーダーであるさゆみを慕っているものばかりではあるが。
普段はその感情を表に出すことができずにいた里保にとって、さゆみへの想いは格別なものがあった。
それだけに。
一気に「金鴉」のさゆみとの距離を詰めつつ、もう一振りの水の刀を出現させる。
二刀流。里保の心は揺さぶられ、荒ぶっていた。
精神的な揺さぶりとしては、効果覿面。
完全に刀の間合いに標的を捉えた里保は、片方の刀を上段から振り下ろす。
さらに、中段からの胴薙ぎ。これらをほぼ同時に、仕掛けた。
さゆみの姿をしていても、所詮相手は本物ではない。
覚悟と気合が、生まれつつある躊躇を凌駕していた。
「さすがは水軍流の使い手。情には流されんか。でもまあ…」
二つの刀の軌跡が、交わる。
「金鴉」は、さゆみの姿をした「金鴉」は避けることもせずに身を踊り出し、そして斬られた。

迸る鮮血が、里保の柔らかな頬に飛び散る。

殊更に。必要以上に。 
さゆみの姿をしたその女は、痛みによる悲鳴を上げた。 

「いっ!痛いよ!痛いよ、りほりほ!!」 

斬られた箇所を手で押さえながら、助けを懇願するような目で里保を見る「さゆみ」。 
そのビジュアルは。視覚から得た情報は。予想以上に強烈なインパクトとなって里保の脳に襲いかかった。 

― うちが、うちが道重さんを斬った? ― 

ありえない話。 
もちろん、目の前にいるのは本物のさゆみではない。 

「さゆみは、こんなにりほりほのことを愛してるのに」 

血を流し、苦悶の表情を浮かべつつ、さゆみの姿かたちをしたものが。 
こちらへと、ゆっくり向かってくる。 

里保の心は、激しく動揺する。 
自らの手で「さゆみ」を斬った罪悪心。そして「さゆみ」を斬らせた「金鴉」への怒り。 
本物ではない。本物ではないとわかっているのに、感情が止められない。 
身が裂けんばかりの憤怒は、やがて再び深淵の魔王のもとへ。 

「ずいぶんうちらをコケにしてくれたからな。ささやかな復讐、っちゅうことや」 

自分たちの心を春菜に乱された「煙鏡」は、憎悪の矛先を里保へと向けていた。 
身の毛も弥立つような、里保の暴走。その凄まじい威力、脅威は承知済み。だが、こちらには能力を限界 
まで引き上げた「金鴉」がいる。さらに、里保のことを仲間たちが放っておくわけがない

いずれにせよ、連中を襲うのは破滅。 
それに付き合う必要などあるわけもない。「Alice」をフイにするのは少々惜しいけれども、組織に復讐す 
る方法など他にいくらでもある。 
「煙鏡」は、まさしく純然たる悪意をもってこれからの未来図を描いていた。 

その間にも、里保の体を怒りが駆け巡る。 
様子がおかしいことに気付いた仲間たちが、次々に叫んだ。 

「鞘師さん!その人たちの策に乗ったらいけません!!」 
「里保ちゃん!そいつは道重さんじゃない!!」 
「鞘師さんしっかりしろ!そんなやつに負けんじゃねえ!!」 
「やっさん!!!!!」 

だが、その声は里保には届かない。 
心の闇のクレバスから、赤い目をした魔王が顔を覗かせる。 
破壊。暴虐。ここにいる、全ての人間を血祭りに上げ、亡き者にする。 
邪な、赤い衝動が里保の心を覆い尽くそうとした時。 

― 鞘師は、そんなこと。しない ― 

そこには、さゆみの顔があった。 
無論それも、本人ではない。里保が描く、記憶の中のさゆみ。 
いつも里保を陰日向から見守り、助言を与え、時には過度なスキンシップもあったが。 
そのさゆみが、里保を食らい尽くそうとした幻を打ち消した。 
外れかけた地獄の窯が、ゆっくりと元に戻ってゆく。 

「そうだ・・・うちは・・・うちじゃ・・・」 
「可哀相なりほりほ。せめて・・・さゆみの手で殺してあげるねっ!!」 

あくまでも「さゆみ」を装い、里保を捕まえ縊り殺そうとする「金鴉」。 
だがそれはもう、通用しない。

すれ違いざまに、二度、三度。 
里保の放った太刀筋は、「さゆみ」の体を切り刻んでいた。 

「ぐっ!て!てめえ!!」 
「無駄だ。その小細工は、うちには通用しない」 

膝をついた「金鴉」は、ついに「さゆみ」の形を保てなくなる。 
再び肌が煮立ち、顔が崩れ、崩壊の兆しが顕となった。 

余計なことしやがって。 
「金鴉」は「煙鏡」の奸計に乗ったことを後悔した。あの「緋の眼をした魔王」と再戦できるというから、 
敢えてくだらない策を受け入れたというのに。 
そのような意志を込めた視線を送るも、相手は素知らぬ顔で空に浮かぶだけだった。 

「・・・ま、いいや。お前さえぶっ潰せば、全部終わる・・・」 

気持ちを切り替え、改めて里保に目を向ける。 
問題ない。こんな奴に、負けるわけがない。何故なら自分は、ダークネスの幹部。 
「失敗作」などでは、決してないのだから。 

「金鴉」に残された時間は、そう多くない。 
早く「煙鏡」に処置を受けなければ。だがしかし、時間がないのは里保も同じ。 
激戦のダメージは、徐々に限界へと近づいていた。 
恐らく、次の段階はない。互いが、この戦いに決着をつけようとしていた。

「いくぞおらぁ!!!!!!」

耳を劈く咆哮とともに。

「金鴉」が上空に飛び上がった。勢いのままに里保に向け落下し近接戦に持ち込む構えだ。
一方、里保もまた敵の襲撃に備えて再びひと振りになった水の刀を持ち直す。


刀と拳の、激突。


火花のように激しく、水しぶきが舞う。
手応えはある。けれど、切断するには勢いが足りない。
「金鴉」が右拳を振るえば、刀を右に向け受け流す。左拳を振るえば、左に力を逃がす。
次々と見舞われるラッシュを、里保は確実に捌いていた。


「すげえ…鞘師さん」

遥の千里眼が、そのありえない攻防を全て捉えていた。
並みの反射神経の人間なら、あっという間にミンチと化すであろう攻撃を、いなしている眼力。そして体捌き。
それは能力の賜物では無く、水軍流の鍛錬によって生み出された後天的なものであることに。
改めて賞賛と驚愕の入り混じった思いを寄せる。

「金鴉」が渾身の力を込めて繰り出した右ストレート、これをフィニッシュブロウと判断した里保は、
水刀を滑らせ勢いを殺しにかかる。しかし。フェイント。
体を思い切り沈ませ、丸太の如く襲いかかる「金鴉」の膝蹴り。
まともに受けたら、内臓が無事では済まない。


里保は。
その膝蹴りに合わせ、前蹴りを放つ。
蹴り出された踵と膝が、激しく衝突。たまらず後退した「金鴉」を、今度は里保が攻め立てた。
刀の斬撃に加え、軽快なステップからの蹴り技。先輩である田中れいなから刀技を使わない近接攻撃を教わり、
かつての敵であった矢島舞美や須藤茉麻との組み手によって磨かれた賜物だ。
威力は然程ではないものの、水の刀と合わせた圧倒的な手数は、
パワーファイターである「金鴉」を攻めあぐねさせるには十分すぎる代物だった。


「ちいぃ!うぜえんだよ!!」


力押しでは埒があかないと判断した「金鴉」は、その手の平から念動力を発する。
足元の床が次々と破壊されてゆくが、里保の前にはだかる水のヴェールがその衝撃を吸収していた。

「ぐっ!!」
しかし消耗した末の障壁では、完全に衝撃を防ぎきれない。
増してや体力を減らしている状態の里保に、そのダメージは決して無視はできるものではない。
前からの猛攻に、一瞬、態勢を崩す里保。

その隙を「金鴉」は見逃さなかった。水の防御壁を突き破り、畳み掛けるように拳を振るう。
里保も、負けじと体を立て直しながら水で象った刀を刺突の形で突き出す。


どちらが先に、届くのか。それは、互いの勝敗に結びついていた。


拳と刀。


二つの力の、行く末は。




透明な、光を湛えた水の刀が、「金鴉」の肩を貫いていた。
そして。「金鴉」の金剛の拳は。里保の体を抉るように。

凝縮された力が、里保の体に捩じり込まれる。
肋骨がばらばらに砕け、内臓がぶちぶちと音を立てて破壊されてゆく。
赤い花を咲かせるように、里保は小さく血を吐いた。


「鞘師さん!!!!」


結末に、その場にいたリゾナンターたちが悲鳴を上げる。
スローモーションで崩れ落ちた里保は、ぴくりとも動かなかった。


「や、やったぜ…ざまあみろってんだ…」


無慈悲なる小さな魔人は。
勝ち誇るように右手を掲げる。その狙った先には、倒れている里保の頭があった。
有言実行。文字通り、とどめを刺すために。


「里保ちゃんに…触るなぁ!!!!」

恐怖の呪縛より、親友が失われてしまうことの悲しみが打ち克った香音が、処刑場へと駆け出す。
だが。間に合わない。能力の「物質透過」も。そして香音自身も。


ぐちゃ。

肉の潰れる、嫌な音がした。
それを、「金鴉」は不思議そうな顔で、見ていた。


振り下ろしたはずの、拳。




それが、どろどろに溶け、床へと腐り落ちていた。




更新日時:016/04/17(日) 00:31:13






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