(133)183 『the new WIND―――』

さゆみの言葉を、れいなは心の中で反芻する。
れいなたちがかつて闘い、砂と化していった能力者と同じ、紛いの器。

予想していないわけではなかった。
ヤツは圧倒的に強いだけではなく、圧倒的に心が読めなかった。
それは、ロックしているからではなく、心そのものがなかったから。
紛い物の器に魂はなく、与えられたのは、世界への憎悪という破壊衝動。
あの研究者がどんな実験過程によってあの男を生み出したのか、れいなやさゆみに知るすべはない。
だが、施設から奪ってきた子どもたちを培養液に入れていたあの研究者のことだ。どんな卑劣なことを試していたとしても、
驚きはしない。

「あいつは、ダークネスやけど、厳密には目的を共有しとらん、ってこと?」
「たぶん、ね。もしリゾナンターの解体が目的なら、あいつくらいの能力があれば、やろうと思えば一瞬でできたはず。
だけど、ジワジワ一人ずつおいたてて、しかもリンリン離脱以降は暫く姿を眩ましていた。
気まぐれにしては、無責任だと思わない?」

さゆみの話は筋が通っていた。それはふいに、あの回廊の闇の中でみた姿と重なって、ぞくりと背筋が凍る。
だけど、今のさゆみは、違う。彼女の瞳はまっすぐに、未来を見ている。
さゆみは一息置くと、「ここからは愛佳のレポートに書いてあったこと」と前置きした。

「あいつの刀、あれは斬った能力者のチカラを奪う」

それで、か。とれいなは納得した。
下手をすれば、あの男は闘えば闘うほどに強くなっていく。
破壊衝動しかない男の持つ刀はチカラを奪う。全く隙がないなと、喉に絡んだ淡を吐いた。

「今のところ、あの刀には、“発電(エレクトロキネシス)”、“念動力(サイコキネシス)”、“発火能力(パイロキネシス)”のチカラがある」
「雷撃に、火球に…そこに魔女の氷雪まで入ったら」

最悪やろ。と言おうとしたときだ。地に深い罅が入る。
来る!と判断し、ふたりは即座に下がった。
地割れの底から、まるで地獄の使者のように男は現れた。その手は血にまみれ、地下で何があったかを教えてくれる。
迷っている暇はない。どう戦略を組み立てるかを頭で弾こうとする。
が、それより速く、男がさゆみの懐に飛び込んできた。さゆみは目を見開き、バックステップで距離を取ろうとする。

男は腕を伸ばす。
さゆみの胸倉が捕まれ、呆気なく背負い投げられた。

「さゆ!」

れいなが具象化させた刀を振るう。それは即座に男の刀に阻まれた。
男は地に伏したさゆみの喉に足を乗せ、全体重をかける。

「汚い脚どかせぇ!」

“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”を発動させた。
男を強引に押し切り、さゆみの呼吸を取り戻す。さゆみは激しく咳き込み、唾液を垂れ流す。
さゆみの介抱をさせる暇を与えず、男は地面を蹴り上げる。
れいなが再び応戦しようと構えるその頭上を軽々と飛び越え、さゆみに狙いを定める。
その姿に、れいなはハッキリと理解する。この男は、最初にさゆみを潰すつもりらしい。
れいなと男が顔を合わせるのは2度目だが、さゆみとは初めてのはずだ。
その一瞬で、ふたりの体力や技術を推し量ったのだろうか。単なる殺戮マシーンにしては、
充分すぎる経験値だと、舌打ちしたくなる。

れいなは身を翻し、肩を震わせるさゆみの腕を引いて走った。
“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”により、脚力を一時的に高める。お互いに息が続かないのは分かっていた。
だが、僅かでも良いから、ヤツの射程圏から逃れたかった。立て直す暇もくれないなら、逃げるしかない。

男と、推定300メートルほど離れたところで能力を解除する。
再び痰が絡み、地に吐く。微かに、血が混ざっていた。

「弱い者イジメとか、最低やろ……」

はぁ、はぁと短く息を吐いて次の一手を考えていると、既に男は目と鼻の先まで迫っていた。
予想以上に、イヤな展開だとれいなは空を仰ぐ。

「誰が弱い者やって……?」

と、背中に冷たい声がした。
ぎょっとして振り返ると、さゆみが手近の石をいくつか手に取った。

すると、数メートル先の男に石を投げ、能力を発動させた。
“物質崩壊(イクサシブ・ヒーリング)”により、石が粉々に粉砕し、男は一瞬ではあるが、視界を奪われた。
その一瞬だけで、れいなには充分だった。

「ナイスさゆ!」

具象化した刀を、思い切り振り上げた。
迷わずに斬りつける。男は視界を潰されながらも、即座に下がる。
それより速く、切っ先が、男を掠めた。初めて、手応えがあった。

斬れる。斬れる。斬れる!
実感があった。僅かではあるが、初めてこの男に対抗できると確信した。

だが、それはまさに刹那のことだった。
男はれいなとの距離があるにもかかわらず、まっすぐに刀を振り下ろした。
何の真似だと思ったときには、手遅れだった。

「れいな避けて!」

さゆみの声が響いた時には、れいなの左肩から脇腹にかけて、鋭い斬撃が走っていた。
それは鎌鼬に乗せた、雷鳴の轟きだ。
体中に電撃が走る。
呼吸を失い、血が迸る。為すすべもなく、倒れる。
れいな!という叫び声が、遠くで聞こえる。

斃れたときの感覚は、さゆみと闇の回廊で闘ったあの日のそれと似ていた。
絶望感で言えば、紛れもなく、今日の方が強い。
勝てると一瞬でも思ったのに、あっさりと突き崩される。
自信があったわけではない。それでも、突破口が見えた気がした。そんな希望すらも、僅かな光さえも、あの男は砕いていく。
ヤツの背負う闇。この世界すべてへの憎しみ。
その両の手を血で染めてもなお足りないほどの怒りが、そこにはあるのだろうか。

さゆみの“治癒能力(ヒーリング)”により、れいなは呼吸を取り戻す。
だが、身体はまだ動かない。

「れいな、立って!逃げないと!」

逃げる?もう、何処へ逃げれば良い?
氷の魔女を倒し、リゾナンターたちの能力を奪い、なおも殺意しかないこの男から、逃げられるはずがない。


さゆみは、れいなの体力が回復するのを待っていられないと判断した。
戦意が喪失気味なのも相俟って、状況はいよいよ最悪だ。

「未来を紡ぐっつったのは誰よ!」

さゆみはれいなの体を強引に抱え、男に背を向けて走り出す。無謀だとは分かっていた。
だが、此処で自分まで諦めてしまうわけにはいかない。
約束したのだ。たとえ、もう二人しか居なくても、仲間がいる限り、あの頃の9人が護りたかった世界を護ると。

男がすぐそこに迫っている。そのまま斬り殺される可能性もある。
それでも、それでもさゆみは、諦めない。
闇の回廊に引きずり込んだのは、自分自身の弱さだ。その回廊を壊したのは、れいなの強さだ。
だったら。今度は。

「……最弱なんて、言わせないの」

さゆみが必死に逃げるのを嘲笑うように、男が前に回り込んできた。
どうするか、どうするのが最善かを考える。
れいなを置いて逃げればまだ時間は稼げるが、それはあくまでも自分だけが生き延びる時間だ。
そんなの、何の意味もない。
“物質崩壊(イクサシブ・ヒーリング)”で目くらましを起こすのも、二度も三度もは通用しない。
できることは、あとひとつ。
だが、それにはれいなの助けが必要だった。
肩に抱くれいなをちらりと見る。
血を流しすぎたのか、まだ意識は朦朧としているようだ。無理はさせたくないが、今は無理をしてでも闘う意志がほしくも思う。


さゆみを睨みつけながら、男は刀を振り上げる。もう、考えている暇はない。
さゆみが“物質崩壊(イクサシブ・ヒーリング)”にて窮地を凌ごうとした、刹那、だ。

柔らかい風が、確かに前髪を撫でた。
力なくれいなも、その風の行方を追いかけるように、ゆっくりと顔を上げる。
男が刀を振り下ろす。
さゆみの動作が一瞬遅れる。
雲が千切れる。
朝陽が昇る。

重厚な銃声が、一帯に響き渡った。一発や二発ではない。続けざまに何発も、断続的にそれは繰り返される。
自らの足元を掠めたそれに、男は刀を振り下ろすことをやめ、さゆみたちから距離を取った。

なにが起きたのか、判断を迷った。
連続的な銃声。その種類は恐らく、小型の自動小銃だ。
廃ビルだらけの一帯とはいえ、街中でそんなものを誰が放ったのだと振り返る。

空から、朝陽が顔を出す。
光の階段が途切れ途切れながらも、天上と地上を繋ぐ。
その階段の向こう側、光の先に、確かに見えた。
忘れ得ぬその姿に、目を疑う。
だけど、心は確かに、反応する。

その名を、叫びたくなる。
だが、喉にへばりついた声はただの一度も音にはならず、ただそこに居座るだけだった。

男の気配がまた色濃くなる。それをかき消すように、自動小銃が唸りをあげる。
銃口から硝煙が立つ。揺れる煙のその先に、彼女は、いた。

「あのさー!ドロボーはドロボーの始まりなんだって!」

だからさ。と彼女は叫ぶ。


「そのナンデモ刀で奪った小春のチカラ、返してほしいんですけど!!」


それは、朝陽が世界を染めるころ。
淡い光がまるでスポットライトのような輝きを見せるころ。
自動小銃を構えた久住小春は、黒衣の男に向かって、それはそれは世界に響くような大声で、叫んだのだ。 


投稿日時:2016/10/22(土) 22:29:52.81






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