(133)341 『the new WIND―――』

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小春の声が聞こえた気がして、ゆっくりとそちらに顔を向けた。
全く、また幻聴だろうかと、己の弱さに苦笑してしまう。だが、ぼやけた視界の先に、その人はいた。
長かった髪を短く切りそろえ、体中にマガジンを纏わりつかせた様は、あの頃からは想像もつかない姿だ。
だが、誰よりも大きな声で不満を叫び、酔狂のように暴れんとするその瞳は、雷を呼び寄せて自在に操る問題児そのものだった。

「こ、はる………?」

れいなの肩を抱くさゆみの声が震える。漸く絞り出せた音は、そこに立つ彼女には届かないほどに小さなものだった。
だが、まるで彼女には聞こえていたように、自動小銃を両手で持ち上げると、

「やっほー!道重さーーん!!田中さーーん!!」

と、子どものように叫んだのだ。

「………小春、やと?」

誰にともなく、れいなは呟いた。

全身の痛みや消えかかっていた戦意など、この状況ではどうでも良くなってしまいそうになる。
欠けてしまった櫛の歯の1本が、急に鏡台の下から顔を出したような、しかも自ら櫛に戻ってまた髪を梳かしてくれるような、そんな錯覚を起こす。

「……また、クローンとかいうオチじゃない、よね?」

さゆみもまた半信半疑でその姿を見る。
自動小銃を携えて笑顔で手を振る彼女は、あの頃の問題児そのままで、それでも俄には信じられない。
だって、あの異動が告げられて以来、一度も小春には逢っていなかったのだから。

鼓動が高鳴る中、向こうで男の気配が色濃くなった。
新手の敵にどう対抗するか、銃を放たれた男は脚でリズムを刻みながら思案しているようにも見える。

「ドロボーはドロボーの始まり、オカシクありません?」

その小春の横から、また新しい声がする。
片言で、可愛らしい、聞き覚えのある声だ。

「え。違ったっけ?」

小春がそう訊ねるや否や、横に立つ彼女は胸元からプッシュタガーを取り出し、連続で男へと放つ。
男は刀でそれを弾くが、1本だけ、タガーナイフが膝に突き刺さった。
弾けなかったことには興味がなさそうだったが、膝に生えたナイフをじっと見つめる。

「嘘つきがドロボーの始まり、ですカナ?」
「あ、それそれ!ジュンジュン頭良いね」

なんだ。なにが起こっている?
さゆみとれいなの思考が追いつかない。
自動小銃を携えた久住小春の隣に現れたのは、プッシュタガーを手にしたジュンジュンだ。
顔を合わせなかった1年でずいぶんと痩せ、スタイルだけを見ればモデルや女優と見紛うほどだ。
とても1年前まで、リゾナンターとして殺戮の現場に立ち会っていたとは思えない。

それより、彼女は本当にジュンジュンか?バナナ大好きー!と叫び、神獣として幾多の闘いを繰り広げてきた、あのころの、仲間なのか?
小春と親しげに話す様は、罠ではないのか?
誰が仕組んだ罠?そうだ、そんなの、ダークネスのあの研究者がやりそうなことだ。
私たちに希望を見せておいて、心を高鳴らせ、それが最高潮に達したときに芽を摘み取っていく。
我ながらひどいシナリオだが、あの研究者ならやりかねない。人体実験を厭わなかった彼女なら。

思考の沼に脚を突っ込んでしまうと、黒衣の男が刀を構える姿を見過ごしてしまいそうになる。
集中しろと言い聞かせる。

「行かせません、ヨ?」

男の前に、また一人、立ちふさがる。
振り下ろした刀を、携えた大型のフォルダーナイフでしっかりと抑え込む。

「1年ぶり、カ?」

ギリギリと鍔迫り合いを繰り広げる彼女に、さゆみはもう、堪えられなくなった。

「リンリン!!」

リンリンと呼ばれた彼女は、振り返りこそしなかったが、その背中で確かに、笑った。
この状態をどう呼べば良い?こういうのって、一体―――

「ボーッとしない!援護!!」

その言葉が過ぎ去るのと、眩いばかりの光の玉が男めがけて飛び行くのはほぼ同時だった。
さゆみとれいなは同時に振り返る。
敵前で視線を外すなど、闘いの基本を疎かにするにも程がある。だけど、そうせずにはいられない。

「愛、ちゃん……?」
「それに…ガキさんも……」

そこには、かつてリゾナンターのトップに立ち、最強という名をほしいままにした高橋愛と、その彼女を陰で支え、常に9人全員を見回していた新垣里沙が立っていた。

「詳しい話はあと!来るよ!」

聞きたいことが山のようにあって、話したいことが洪水のように飛び出しそうで、だけどそんな暇は与えられそうになかった。
愛が放った光をリンリンは避けたが、男もまたそれに倣うように身体を逸らし、無傷のままだ。
小春は自動小銃を構え、男の足元に弾丸を放つ。
男はバックステップで逃げながらも、一定の距離を取るとすぐさま前進してきた。
ジュンジュンが放つプッシュタガーを薙ぎ払い、さらに男は攻撃へ転じようとする。その前にリンリンが立ちはだかり、再び鍔迫り合う。
一進一退の攻防に、うまくフォローできない。多数で闘うことが久しくなかったからか、援護の感覚を忘れてしまったようだ。

「れいな、援護できんやったら、休んどく?」

援護を悩む从れいなに向かって、試すように、挑戦的に愛が笑う。
それは、常に前線で闘ってきたあの頃となにも変わっていなかった。
れいなはついに、喉を鳴らして笑う。

「ジョーダンやろ!」

そうして、さゆみの腕から逃れ、具象化の刀で立ち向かった。さゆみももう、その姿に止める言葉をかけようとはしなかった。
リンリンとれいなが二人がかりで男を抑え込もうとする。
小春とジュンジュンは、的確に攻撃を放って追い立てるが、まだ、足りない。
もっと、決定的な、何かがほしい。

「さゆ。ここは任せた」

愛に援護を頼もうとしたさゆみは、その言葉に面食らった。
その顔を見て、里沙が愛の言葉の先を紡ぐ。

「今しかないの。私達は地下施設でやることがある」
「地下って…」

地下施設が何処を指すのかなど、愚問だった。
里沙がどの場所を指しているのか、理解する。
何人かの子どもたちの人体実験が行われ、里沙が崩落に巻き込まれ、さゆみが「corridor」を拾った場所だ。
しかし、なぜ今、あの場所に…?

「話はあと!あいつ片付けたら」

そこで愛は、ひとつ、息を吸った。
次の言葉が紡がれたとき、さゆみは思わず泣いてしまいそうになった。

「帰ろう、リゾナントに、みんなで」


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―――「なんとか東へ押してください。700メートル東が目標地点です」

愛佳の声が脳内に響いたのは、男が雷撃を放ち、れいなたちが地に伏した直後だった。
もう、れいなは仲間を疑うことはしなかった。
彼女たちが、あの研究者に作られたクローンで、これがダークネスの罠であるかもしれないという可能性が消えたわけではない。
だが、たとえ姿形を真似ても、口調や匂い、仕草をコピーしても、絶対に揺るがない何かがあると、れいなは確信していた。
今、れいなは闘っている。
あの頃の仲間と、同じ目標を抱き、がむしゃらに突っ走り、世界のシアワセを優しく願った仲間と。

「700って遠くないかー?!」

小春は舌打ちしつつ、マガジンを装填する。男がその懐にすぐさま飛び込んでくる。

「小春のチカラ、ドヤ顔でパクってんじゃねえよ!」 

刀が振り下ろされる寸前に引き金を引く。反動で小春の体が数歩後退する。
男は銃弾を弾きながら、前進することをやめない。刀で弾を斬るなど、どこのアニメだと言いたくなる。
ヤツは強い。圧倒的な力を有している。いくらその刀でリゾナンターの能力を奪っているとはいえ、自身の身体能力が高すぎる。
4対1なのに、ここまで圧されるとは思っていなかった。
男が呼び寄せた雷雲が、せっかくの朝陽を隠してしまう。
だけど、それでも。
小春は、抗う。

再び、自動小銃の弾が切れる。男に絶好の機会が訪れる。入れ替わるようにリンリンが飛び出す。
フォルダーナイフで斬りつけていくが、なかなかヤツを捉えられない。

「………これなラ、どうダ?」

ジュンジュンのタガーナイフの援護の直後、リンリンはフォルダーナイフを2本に増やした。男の動作が一瞬、鈍った。
動揺したのか、酔狂だと笑ったのかは判別できない。だが、これを逃してはいけないと右足で踏み切る。
首を狙う。両腕をクロスさせて斬りつけるが、男は僅かに迅く腰を屈め、脚払いをかける。
リンリンはバランスを崩すも、即座にれいなが飛びかかった。
れいなの刀と噛み合う中、リンリンが背中に回り込む。
男がれいなの腹部を蹴り、再びリンリンのナイフを捌く。
れいなは必死に体制を立て直し、その足元を斬りつけた。ちょうど、ジュンジュンのプッシュタガーが刺さった箇所目掛けて刃を立てる。
果たして、手応えはあった。男が苦々しくれいなを蹴り上げるが、その脚には確かにれいなの刃が刺さる。
リンリンの後方から、小春が自動小銃を放つ。漸く、肩を射抜けた。
まだ倒れるほどの致命傷ではないが、少しずつ、それでも確実に、男は退いている。 

「あと、どんくらい?!」

れいなは叫ぶ。
その声に、愛佳が応える。

―――「あと500です!少し方角修正してください!北東に500!」

何処からか指示を出しているかは分からないが、愛佳にはこの戦況が“視えて”いるはずだ。
この先の、未来が。
彼女は予知できているはずだ。
それに従わない理由はない。

「ってか、東ってどっち?!」

れいなの叫びに、思わずさゆみは、笑ってしまう。
分からないで闘って、そしてしっかりと東へと抑え込めるあたり、彼女は本当に第六感が強いと思う。
が、次の瞬間、その笑顔が、消えてしまう。
代わりに零れたのは、優しくてあたたかい、涙だった。


―――「アホだねぇ、れーなは」


その時、脳内に響いたのは、愛佳の声ではなかった。

小春が戻り、ジュンジュンが戻り、リンリンが戻り……愛佳や里沙、そして愛が集った。だから彼女も、と期待していた。
そして確かに、彼女は期待に応えた。


―――「東はね、太陽が昇る方だよ」


風が、優しくてだけど力強い風が吹いた。
雷雲を散らした先、東の天には再び、太陽が座す。
世界が、淡く色づいていく。

れいなはまるで子どものように笑ったかと思うと、黙って立ち上がり、男へと向かった。


さゆみは零れてしまった涙を拭いながら、その戦局を、少し離れた場所で見守っていた。
戻ってきた仲間の、絵里と愛佳の言葉に従うならば、恐らくこの先には、男を抑え込む罠があるはずだ。
それはもしかすると、さゆみが考えている手と同じものかもしれない。
そうなれば、自分もチカラを貯めておかなくてはと、さゆみは大きく深呼吸する。
また傷み始めた脚を引きずりながら、北東へと向かう。


投稿日時:2016/10/29(土) 21:28:40.74



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