(134)35  「道標」1

閃光弾を放たれたのは、小田さくらにとって想定内だった。
彼女がそれを腰に提げていたのは分かりやすかったし、いずれはこの光を失うことは覚悟していた。
その前に決着をつけるのがベストだったが、さくらは思いの外に、周囲に居る何十人という一般人を相手にすることに心を痛めていた。


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気付いた時には囲まれていました。なんて甘っちょろい言い訳だとは自覚していた。
だが、さくらがそういった気配を感じられたのは、逢魔が時を迎え、光が闇へと変わる頃だった。
いつの間にか、さくらの周囲には、死んだ目をした男たちがのっそりと立っていた。
闇夜に佇む彼らからは「生」の匂いを感じられず、さくらは怪訝な顔をする。
それでも、これが洗脳の一種だとはすぐに気づいた。

「……親玉は何処なんですか?」

答えがないと分かっていても、訊ねてみる。
恐らく誰かが、彼らを操っている。脳の一部を弄って、戦闘人形に仕立てたようだ。
まったく、性格の悪いヤツが奥にはいるのだなと理解する。

男の一人が吼えたかと思うと、持っていたナイフで斬りかかってくる。

一般人を巻き込む訳にはいかない。と咄嗟に判断した。
“時間編輯(タイムエディティング)”を何度か試み、強引に突破していく。
殺せない、というのは思った以上に厄介だ。
リゾナンターの規定に、「一般人は殺さない」と堂々と書いているわけではない。
だが、リーダーである聖は、口には出さないが背中でそれを嫌がる。

一般人を手に掛けたとしても、よほどのことがない限りバレることはないはずだが、
それを許せなくなったのは、自分が此処にきて、随分と「仲間」と同じ時間を過ごした証なのだろうか。

男たちが振りかざすナイフや鉄パイプを避けながら、ひたすらに逃げる。
まったく、そんな物騒なものを持ってはいけませんよ。と口にしたくなる。
身体には徐々に傷が増えていく。

“時間編輯(タイムエディティング)”は、長時間使えない。
僅か5秒という時を超える能力は、多用しすぎると身体に大きな負荷がかかる。
同じリゾナンターの仲間も、能力を多用すると、技の跳ね返りや体力の消耗をする場面は多くあるが、さくらのそれは、メンバーの比ではない。
やはり、「時を超える」という、神への冒涜ともいえる能力は、奨励されるものではないのだろうかと思う。

精神を操作された男たちは、間髪入れずに襲いかかってくる。
思考がない人間とは、厄介だ。体力の衰えも気にせずに向かってくる。
きっと、その身体の方に限界が訪れたとしても、奴らは立ち上がるだろう。
死すらも恐れぬ行軍だ。彼らの四肢が散切れるまで待っている暇はない。
それでも、一人で相手にするには限界がある。

一気に能力を解放し、振り切るしかないのかもしれない。
現実問題として、この人数から逃れるのは難しそうだ。
元々さくらは瞬足でもない。チカラを最大限に解放したところで、逃げ切れる保証はなかった。
男たちの攻撃を避けながら必死に戦略を立てていると、遠くから黒い塊が投げ込まれるのを見た。
その瞬間、さくらは迷わず能力を発動させようとする。が、次々と投げ込まれるそれに、無意味だと悟る。

「っ―――!」

閃光弾と催涙弾が炸裂した。
強過ぎる光が一帯を包み込み、さくらは一時的とはいえ、自らの世界を失った。
同時に催涙弾が肺へと入り込んでくる。呼吸を最低限に抑えようとするが、煙は容赦なくさくらの身体を浸食する。
咳が何度も重なり、息を吐く度に再び催涙を吸引し、呼吸が叶わなくなる。
光を失った瞳からはボロボロと涙をこぼし、花粉症と見紛うほどに鼻水を垂れ流して膝を折る姿は無様だった。
光と煙が引き、その中心に男たちが集まってくる気配がする。まるで死体に群がる蠅のようだ。
一人の女の子にここまでするかぁ?と笑いたくなる。

ああ、もう、どうしよう。
視覚と嗅覚を失い、聴覚だけを頼りにこの場を逃れるしかないようだ。
風が抜ける方に走るしかない。体力がもつ確証はないし、大怪我を負うことになるだろうが、死ぬわけにはいかない。


―――死なないで。


いつだったか、さくらのボスであるあの人は、そう言った。
怒りでもなく、哀しみでもなく、きっと、さくらの知る限り、最も冷たい瞳で、そう言ったんだ。


―――聖が命令する。絶対に、聖より先に、死なないで。


それは随分と、無茶苦茶な命令だと思った。
だけど、不思議とさくらは、護らなければと思ったんだ。
さくらを受け入れてくれたあの人を。
何処にも行き場がなかったさくらを、何の躊躇いもなく受け止めてくれたあの人を。
生きる意味をくれたあの人を。
生命を授けてくれたあの人を。


「死ねないんですよ、私」

譜久村さんを、護らなきゃって、思ったんだ。

「死ねない事になっているから…」

その言葉は、心を失った彼らに届くはずもなかった。
だが、これは酔狂でも、強がりでも、見栄でもない。
さくらが、小田さくらであるが故の、誓いだ。
此処で生命を捨てることはできない。
それがさくらの、ただひとつの、盟約だから。


風切り音が聞こえる。
男たちに差し出すのは、首ではない。
それでも左手一本くらいなら構わないと、未練を残しながら覚悟を決めた。

「っ―――?!」

走り出そうとした瞬間、だった。
目の前に優しい風が吹き抜けたかと思うと、金属が噛み合う音がする。
何が起きたのか、視覚を失った世界では判別できない。
数秒経っても、さくらの首は刈られていない。
血も出ていない。痛みもない。さくらはしっかりと生きている。

一体何が―――?

さくらは激しく咳き込みながら、全神経を研ぎ澄ませる。

そう思ったとき、微かに“音”がした。
さくらの前に立つ、靴音。
さくらの前に立つ、髪が揺れる音。
さくらの前に立つ、存在の音。


「………お待たせしました、小田さん」


その声に聞き覚えがあった。
高い潜在能力を有しながら、自分自身にロックをかけてしまい、最大限に引き出すことができない。
人一倍努力を重ねているのに、なぜかそれが別の方向に走ってしまう。
ついつい甘やかしたくなる、後輩―――野中美希の“音”だと、さくらはようやく、把握した。

「ちぇる……?」

恐る恐る訊ねてくるその声は、さくらがまだ視力を回復できていないことを示していた。
美希はさくらの頬の傷に触れながら、「いいえ」と返した。

「私はちぇるではありません」

予想外の言葉に、さくらは「え?」と返してしまう。何を言っているのか理解できなかった。

「通りすがりのheroです」
「ちぇるだよね、その発音」

が、すぐに、理解した。
半ば被せるように言葉を発したさくらに、美希は少々、不服だった。

「No,No, 私はちぇるなんて知りません」
「いや、バレバレだから」
「あっれぇ~?なんでわかっちゃうんですかね、おかしいなぁー?」

2回ほどのやり取りで、美希は諦めた。
すぐに認めてしまうあたり、彼女は可愛らしいと思う。

「………すみません、遅くなってしまって」

美希は笑顔を引っ込めると、男が振りかざすナイフを避け、軽く頸椎を刺激し、動きを封じる。
さくらはその目に映すことは叶わないが、風の流れから、無駄のない動きだろうと把握した。
先ほどまでのひょうきんさが嘘のようだ。
それだけ彼女もまた、成長しているのだと気づく。

「おかしいですね、まだ洗脳が解けないようです」
「…術者が傍にいるんじゃ」

「いえ、先ほど既に粛清しました。見つけ出すのにちょっと苦労しましたが」

え、もう?とさくらは聞き返したくなった。
親玉を探そうと躍起になっていたのも束の間、美希は既にそれを粛清したという。
此処で彼女が嘘を吐く理由などない。
いつの間にか、彼女はそこまで、強くなったのだろうか。

「術者を見つけるのが遅くなってしまって…到着まで遅くなってすみません」

方向音痴で迷っていたわけじゃないんです。と、別に怒ってもいないのに、彼女は言う。
襲ってくる男の懐に飛び込み、的確に関節技を決め、動きを封じる。
「殺さない」という誓いを守りながら、同じように、さくらを全身で、護ろうとする。

「タイムラグがあるのかもしれませんね」
「ラグ?」
「はい。今20人近くの一般人が巻き込まれています。
ただ、既に洗脳が解けて気絶している人もいますから…術者の洗脳が強すぎるんでしょう。いずれは精神も戻ると思います」

巻き込まれるなんて、まるでキミのような人たちだね、とからかおうとする余裕は、さくらにはなかった。
覚悟していたとはいえ、光を失ったことと、呼吸を奪われたことが、冷静な判断力を削っている。
なぜだろう。
死ねない誓いを立て、この窮地も乗り越えると決めていたのに。
なぜだろう。

うまくロジックが組み立てられない。

「とにかく、此処を離れましょう。無駄に闘って体力を削ることはありません」

そうして美希は、さくらの手を取って歩き出そうとした。
が、そこで感じた圧倒的な闇に、脚を止める。
「タイムラグ」というひとつの仮説が外れたことに舌打ちしたくなる。
どうやら詰めが、甘かったようだ。

「リゾナンターって、バカの集まりなのかしら?」

目の前に現れた新たな術者は、美希とさくらに向かって、妖しく微笑んだ。


 投稿日時:2016/10/30(日) 22:39:29.79





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