(142)175 『猫の気まぐれは黒く白く』

気だるい午後。
外の陽射しに身をさらしながら椅子に座り、テーブル側の壁に
背を預けていると眠くなる。
喫茶店の休日にする事といえば掃除や雑務。
それが終わった所で珍しく事件依頼もない上に予定も入ってない。
こういった弛緩した時間を過ごすことも嫌いではない。

テーブルに肘を載せ、飯窪春菜は愛読している雑誌に目を戻す。
とても学究的な態度で、興味深い主題を長年にわたって精力的に
追跡している雑誌に視線を走らせる。

足音がして、扉の開く音が続く。
視線の端に人影、顔を上げると厨房から出てくる背広姿が見えた。
僅かに跳ね上がる鼓動。

 「あれ、まーちゃんどうしたの?一人でなんて珍しいじゃん」
 「そんな日もあるんだよ。はーあ」

佐藤優樹が春菜の体にもたれ掛かる。重い、とは言えない。
ただ想像以上に重量を感じて「グフッ」と声が漏れる。

 「ちょっとちょっと、読書の邪魔しないで」
 「面白い?マンガ?」
 「昨日発売した雑誌。中身はまあ小説だったり漫画だったり」
 「かしこぶっちゃって」
 「…なんか怒ってる?なんか言い方にグサッと来るんだけど」
 「暇なだけだから気にしないで」
 「気になるってか重いっ。まーちゃんで潰れちゃう」

春菜は顔面の全表情筋を引き締めて哲学者の神妙さを作り
目には身代わりで処刑される親友のために走る英雄の真摯さを宿し
唇からは新しい学説を熱弁する徒ゆえの言葉を放つ。

 「いい?まーちゃん。私とまーちゃんの体格や年齢は確かに
  私の方が勝っているかもしれない、でも持ってる部分っていうか
  まだ発展途上の十代とちょっとギリギリな二十代との間にある
  僅かに薄くてそれでも大きな壁ってものがある訳よ」

春菜の論理的かつ思索的な言葉に、優樹の反応は一つだった。

 「うるさい」

完敗。大完敗だ。冷たい言葉に春菜の表情も僅かに陰りを見せる。
思わずこの場に居ない石田亜佑美に憎悪を向けかけて頭を振った。
抵抗しようと体勢を逆に傾けようとするが、その何十倍もの力で
優樹が自身の体を押し付けてくる。あ、押されてるなーどころではない。

最後の、究極の抵抗を遂行する。

 「どかないとーこうだっ」
 「わひゃひゃひゃーっ!」

無防備な背中の脇に細く長い腕を滑り込ませ、一気に動かす。
くすぐり攻撃にはさすがに耐え切れず大声を上げて飛び退いた。
大勝利。春菜の表情はまさに悪戯の成功に微笑みが浮かんでいた。

 「こしょばいー!!」
 「えいっえいっ、どうだっ」
 「きゃー!」

春菜のくすぐりに優樹は耐え切れない、だが春菜も止めない。
興奮状態の優樹が彼女の腕を掴み、制するが離してくれない。
世界が揺れる。手が離れない。振動が意識を揺さぶり揺さぶられ揺さぶった。

優樹がしっかりと掴んでいる為に離れない。既に手は離れていた。
あ、ヤバイ。春菜はこの状態に覚えがあった。
耳鳴りが激しくなる。合図だ。優樹の能力が発動している。

 「ままままーちゃ、まーちゃ」
 「きゃー!きゃー!」

優樹の声で掻き消されてしまう自分のか細い声が悔しい。
一瞬にして闇が覆う。
意識が消える。

ああ、せめて来月で最終回のアニメを見納めてからが良かったな。
そんな思考が巡り、途絶えた。



二階の居住区にある一室。
譜久村聖と工藤遥、そして優樹の姿が並んでいた。

三人の目はベットの中で眠る春菜に注がれている。
聖が『治癒能力』が付与された紙片を片手に春菜の容体を回復させていた。
異能で傷ついた傷は一般の病院ではどうにもならない事がある。
特に優樹の『振動操作』はガラス状の物体ならば簡単に粉砕できる威力だ。
脳震盪ならまだしも頭蓋内血種や意識障害が起こらないとは限らない。

 「ただいま帰りましたーって、どうしたんですか?」
 「まーちゃんがやらかしちゃってはるなんがぶっ倒れちゃったんだよ」

小田さくらの手には衣装鞄が提げられていた。
だがそれには何も発さず、遥は優樹に叱責する。

 「まーちゃん、反省しなよ。無意識にしたってやり過ぎ」
 「……」
 「まーちゃん」
 「……」
 「優樹ちゃん、はるなんが目を覚ましたらちゃんと謝るんだよ?分かった?」
 「……はーい」
 「あたしにはだんまりかよ…」

どうやら優樹と遥の間には何かあるらしい。さくらは冷静に分析していた。

 「でも、でもどうやって謝ったらいいの?」
 「ただ謝まるだけでいいんだよ。はるなんも事情を話せば分かってくれるよ」
 「でも、でもでも絶対怒ってる。まさがはるなん怒らせてるの分かるもん」
 「何かしたんですか?」
 「……」
 「佐藤さんが怒らせたって思う根拠はなんですか?」
 「……どぅーが悪いんだ」
 「は?」
 「どぅーが、どぅーがまさに何も言わずに出かけて行ったから!
  探してもいないし連絡もつかなかったから!
  はるなんだけしかいなくて退屈だし、なんかこおワーッてなってたから!」

 「何もって、ハルちゃんと言ったよ?昨日言ったでしょ出かける事」
 「まさ覚えてないもん!誰も教えてくれなかったもん。お団子も居ないし
  皆居ないし、でもはるなんだけ居たから、嬉しかったの…」

優樹の言い訳が、つまりは遥の不在が原因である事は分かった。
興奮状態に陥った事も春菜の存在があったが故の安心感からなのも分かった。
となればやる事は一つだろう。

 「じゃあ工藤さんにも謝ってもらいましょ一緒に」
 「ええ、そういう方向にもっていく?」
 「大丈夫ですよ。ちゃんとフォローもしてあげますから」

遥の動揺に、さくらは片頬に笑みを貼り付けた。
さくらが片手を掲げ、全員の視線が集まる。

 「実はさっきお仕事料金のおまけにこんなものを貰いまして」
 「……え、やだ。やだぞハルはそんな、な、なあまーちゃん!」

衣装鞄の中身に遥が声を上げる。

 「小田ちゃん、一体なんの仕事してきたの」
 「そうですね。しいて言えば石田さんが自信喪失するほど過酷な護衛を少し」
 「この格好で?」
 「はいなかなかのスリルでしたよ」

何の躊躇もなく微笑んで見せるさくらに、聖は亜佑美を抱きしめたくなった。

 「そういえば当の本人は?」
 「次の仕事に一人で向かってしまいました。私はこれを持って帰れと言われて」
 「なるほどね……でも、いい考えかもしれない。うん」
 「ちょ、譜久村さんまでそんな事言わないでくださいよ。
  譜久村さんが賛同しちゃったらそれだけで詰んじゃうんですから」
 「私をどんな奴だと思ってるの。でも、はるなんの機嫌を直すなら一番だよ。ね」
 「ええ、絶対うまく行きます。石田さんはともかく、飯窪さんは好きでしょうから」
 「ま、まーちゃん…なんで黙ってんのさ」

聖の肯定からさくらに阻まれ、優樹は衣装鞄を見下ろしたまま沈黙。
遥の顔には絶望が生まれていった。

正直な所、次に目を開けた風景は天国か地獄か。
もっと言えば病室か霊安室かと思っていた。
まるで夢を見ていたかのように春菜の自室には遅い午後の陽光が射し込んでいる。
数分前に聖が春菜の容態を見に来た時に、彼女の安心と喜びの表情が見て取れた。

 「良かった、まだ安静にしてて。何か飲み物持ってくるから」
 「私は生きてるんですか?」
 「軽い脳震盪だよ。でも今日一日は休まないとダメだからね」
 「あ、はい。すみません」

聖が居なくなると、人の気配がいつも以上に遠いものになったような気がした。
閉まりきっていない扉の向こうからは、時折一階からの声や音が漏れてきた。
それ以外の音は一切ない、窓のカーテンが風に揺れる音すら聞こえそうなほど
世界は静かなものとしてそこに在る。

思えば、優樹はどうしたのだろう。記憶が少しずつ鮮明になってきていた。
事故だという事を春菜は知っているが、彼女が詳細まで説明するだろうか。
誤解を招いて皆に責められてやしないだろうか。
負傷すると心配と不安な連想しか浮かばない、心も同時に弱っていた。

廊下から足音が響く。
靴下で擦り歩く音が部屋に近づいてきている。
戸惑うような足音だなと思っていると、部屋の前で止まった。
廊下側から手がかけられたらしく、扉の取っ手が回され、扉が少し開く、止まる。
妙な沈黙。
焦れた春菜が声をかけようとすると、取っ手が震えた。

 「は、はるなん?ハルだけど起きてる…?」

扉の隙間から遥の声が聞こえた。

 「あ、おかえり。帰ってきたんだね。ねえまーちゃんは下に居るの?」
 「や、あ、その、と、隣に居る」
 「ごめんね。迷惑かけちゃって。まーちゃんから事情は聞いてるよね?」
 「まあ、一応。あの、入ってもいいかな?」

不思議だ。遥もそうだが優樹とのコンビを組めば騒ぐように部屋に
入ってくるのに、奇妙な間を感じる。
遠慮し過ぎる質問に、それでも春菜は笑顔で受けた。

 「いいよ。入ってきな?」

疑問ながらも春菜は返答する。上半身を乗り出して壁に体を預ける。
僅かに眩暈がしたが、意識は保てた。
しかし取っ手は途中で停止したままで動かない。

 「どぅー?まーちゃん?」
 「まーちゃんこらっ、押すなってっ、まーちゃんから先入れよっ。
  ああもうっ、はるなん、一個だけ約束してもらうぞ!」
 「は、はいっ?」

いつものハスキーボイスではなく、地獄の底にいる亡者の口から
出ているような声に春菜の声も高く上がる。

 「とりあえずハル達が入っても、見ても、何も喋るな、一言も、喋るな」
 「ひ、一言も?」
 「良いって言うまで一言も、そうじゃないとハルははるなんに手を出しかねない」
 「わ、分かった」

遥の真剣な懇願に春菜は唾を呑み込んだ。意味は分からないが理解させられる。
扉の向こうにいる彼女の言葉からは凄まじいまでの圧力と覚悟。
春菜は妹のように可愛がる遥や優樹への愛情が揺らがない自信はあった。

 「何も言わないよ。絶対」
 「絶対だからな」
 「絶対。うん、まーちゃん。絶対何も言わないからね」

優樹に呼び掛けるが返事は無い。もしかしたら落ち込んでいるのだろうか。
遥が先頭に立っているという事は、何かがあるとして腹筋に力を込めて身構える。
いよいよ取っ手が回転し、扉が開かれた。
春菜の目が、しっかりと二人の姿を捉える。

 「………………………………………………へ?」

それはギリギリ二人には聞こえない声が漏れ出す。

漆黒の布地の袖口や、大きく襟が開いた胸元には純白のレースの縁取り。
短いスカートからは白い素肌の太腿が伸び、すぐに白い膝上丈の口下に続く。
レースで包まれた袖から伸びた白色の腕の先、手の五指には白絹の手袋。
それだけなら可愛い侍女である。
だが衝撃は二段構えというのが通例だろう。

遥と、遥の背後で見えないように抱き付いている優樹の頭部を横断するのは
夜色のレースと、繊細な飾り布の左右からは、黒い獣毛に覆われた三角耳。
いわゆる黒猫の耳が飛び出ていた。
ご丁寧にスカートの下からは黒猫の長い漆黒の尻尾が揺れている。

工藤遥と佐藤優樹はいわゆる猫耳なんとやらになっていた。
春菜の輪郭が細くなる。呼吸を貪っている訳でも蛸の物真似の最中でもない。
声が上がらない。静かに視線が震えるしかない。

うつむく髪に隠れていたが、遥の頬に朱が昇っていくのが確認できた。
今度は意味も分からず、理解も出来ない。
ただ徐々に膨らむ喜びに口角が歪み始めるのを止められない。
二人の肩が震えて、猫耳と猫尾まで震えている姿にいっそう歪む。
口を手で塞ぐが、耐え切れずに笑いがこみ上げる。だが耐える。

 「うん、うん、よし。いいよはるなん。喋っていいよ」

遥も覚悟を決めたのだろう。頬が未だに朱色に染まっているが
その瞳は現実を受け入れた光を帯びている。僅かに諦めた色もあるが。

 「ははは、あはははははははははははははははははははははっ!」

春菜は爆笑した。
声を吐き出して、春菜は腹筋を痛めたように腹を押さえ、二人を指さす。
遥の拳が震えているのを見て春菜はグッと口を手で塞いだ。

 「どう、したの?その、喜びしか生まれないあられもない姿は。
  え、えっと………ま、まーちゃん?恥ずかしいなら無理しなくていいんだよ」

春菜の声に深呼吸。明らかに深呼吸した。溜息にも似た吐息を遥の背中に吹きかけている。
それに対して遥が「熱いっ」と引き剥がそうとするが、執着にはどうしようもない。
そして満遍なく吐き出した後、突き飛ばすように優樹が遥と共に部屋に侵入する。

 「はーよっし。癒しタイム終了!」

何かを吹っ切ったように、開き直ったように腰を叩いて胸を張り、宣言する。
どうやら遥の匂いで優樹には癒し効果が得られたようだ。
それは良かった。良かったが、問題はこれからだ。

 「じゃ、そういう事だから」

春菜の思考もむなしく優樹がまるで一人ファッションショー並みの時間で
颯爽と退場していこうとする、遥がそれを止めた。

 「いやいやいや待って待ってまーちゃん。ここまで文字通り身を削ったのに
  そりゃないでしょ、特にハルの頑張りを無駄にしないで。ほら、どうよはるなん」
 「え、え?」
 「別に頭がおかしくなった訳じゃないからな。その、まーちゃんが
  謝りたいから聞いてあげてほしいのよ。な、まーちゃん」
 「……もう平気なの?」
 「あ、うん。譜久村さんには一日安静にって言われたけど、明日にはちゃんと元気だよ」
 「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

悪気があった事を自覚している優樹の気持ちに春菜は感動すら覚えていた。
自分の意見は譲らないが、明らかに自分が悪いと思う事は素直に謝罪してくれる。
そんな彼女がとても愛らしい。

 「大丈夫だよ。ほら、仲直りの握手しよ」

ベットから右手を伸ばし、微笑む。優樹が一歩進み、近寄り、手を伸ばす。
両手で包み込まれたかと思うと、優樹の体に抱きしめられたのが分かった。
嫌悪感など一切感じない、とても心地のいい幼さの代謝が残る体温だ。
滑らかな黒髪の上にある三角耳が傾いて揺れた。

 「猫耳は分かるけど、この服どうしたの?」
 「お団子のお土産。オタクのはるなんが喜ぶからって」
 「や、まあ、ええっと。なんだろう、素直に頷けない。
  でも可愛いよ二人共。嫌だったはずなのに私のためにしてくれたんだ。
  それだけでも嬉しすぎるし、ほら、もう元気になっちゃった」
 「……でも別にはるなんの為じゃないよこれ」
 「あれ、そうなの?」
 「どぅーの嫌がる事がしたかったの。まーちゃんが着るって言ったら
  どぅーも絶対に着るし、そしたらまさも着るけど、どぅーが着るなら
  まさも着るの全然イケるし、だからはるなんのためじゃないの。
  でも喜んでるなら結果オーライだと思う事にした」
 「…そっか。で、くどぅーは巻き込まれたわけね」
 「まあ外で着るわけじゃないし、はるなんの前だけだしもう全然慣れたもんね」
 「…ふーん」

遥の余裕の態度に、春菜の心に芽生える思いがあった。
言わなくてもいいのだが、もう少しだけ自分の為に居てもらおう。

 「じゃあ慣れてるならもう恥ずかしい事もないってこと?」
 「まあそうだな。猫耳は何回もやってるし、服だって似合ってない事ないし」
 「でた。自分大好き。じゃあさ、語尾にニャン☆とかつけても大丈夫よね?」

一瞬の空白。遥の顔には虚脱。

 「いや、それとこれとはまた別問題だから」
 「今のどぅーは猫娘なんでしょ?
  なら言葉の変化があっても不思議じゃないんじゃない?」
 「まーちゃんもやるよな?」
 「まーちゃんはもうこれだけサービスしてくれてるからねえ。
  謝罪も貰ってるから、あとはどぅーが体を張ってくれるだけでこの話は
  本当のエンディングを迎えるんだよ」
 「ラスボスに立ち向かう前にもうボロボロなんだけど」
 「どぅーが何もしないならはるなんもまさもどぅーをずっと嫌いになるから」
 「そうなっちゃうかもねえ。この前貸した漫画の続きとかアニメのDVDとか
  ラーメンを奢ってあげる約束も無くなっちゃうかもしれないねえ」
 「そんなあ~」

情けない声で遥が訴える、が、二人からそれを阻止する術を与えられている。
羞恥の苦渋と春菜から与えられる筈の愛情に答えようとする健気さが
遥の表情と瞳に同居していた。
凄まじい自制心に遥は大きく深呼吸をした。

 「……言えばいいの?」
 「ん?」
 「何をはるなんに言えば、いいのさ」
 「そうだなあ。でも典型的なのは聞いた事あるからね、メイドさん的な奴。
  思い切って両手を掲げて片足上げた猫の格好で『ご主人様、大好きだニャン☆』
  とか言ってくれれば凄い満足するかも」
 「じゃあ壁に向かって言えばおっけーな」
 「ダメですー、ちゃんとこっち向かないと認めません」
 「うーあーーーーまーーーーちゃんーーーーっ」
 「どぅー、これも人生だから。早くやんないとはるなんの体が悪くなっちゃうから」

優樹の言葉に春菜がわざとらしく頭痛に悩むフリをする。
溜息。遥の切り替えは予想以上に早い。

結論からして、優樹も遥も、根は優しい女の子だった。
部屋の中央に背中を向けて立つ。
両手が緩慢に挙げられていき、丸めた両の五指を顔の前に上げて揃える。
左膝を曲げて跳ねるように掲げ、足首を傾げる。
そして春菜の方へと振り向きつつ、顔面の表情筋全てが引きつりながらも
満面の笑みを構成して口から下を微量に出し、唇を舐め、言った。

 「ご主人様、大好きだニャン☆」


一瞬の空白。凍りつく病室。誰かの唇が破裂した。

 「ぎゃははははははははははははははははははははははははは!」
 「なんでまーちゃんが爆笑してんだよ!てか見んな!」
 「ははははははははははははははははははははははははははは!」
 「んな!!?」

優樹の笑声に重なるように、扉の向こうからも笑い声が響いてくる。
扉から現れたのは四人。
目尻に涙を浮かべていたのはいつ帰ってきたのか石田亜佑美。
笑いを我慢して聖が顔を俯いている。
傍らに居た生田衣梨奈が悪そうな笑みを浮かべ。
さくらですら憂いのある表情に笑みを浮かばせていた。

 「やー凄いですね。まさか本当にやってくれるとは」
 「笑いの神様がぶっ倒れるぐらい喜んでるって絶対」
 「でもきっと似合うって信じてた。どぅー可愛いもん」
 「はい、くどぅー笑って笑って、可愛く撮ったるけん」

衣梨奈の構える携帯に硬直する遥、無情にもシャッター音が響いた。

 「み、見てたの?」
 「うん。丁度あゆみちゃんとえりぽんが帰って来たから。
  ちなみに見に行こうって言い出したのもこの二人」
 「待って、生田さんが帰って来てるって事は…」

遥の言葉に、三人が微笑んで扉の影に手招きをする。
先程まで同じ場所で見ていたであろう四人が謙虚な姿勢で顔を出した。
尾形春水は右手に携帯を構えて。
野中美希は先輩二人の姿を見て両手を頬に添える。
牧野真莉愛はこれ以上ないほどの煌めきを放った瞳と笑顔を。
羽賀朱音は何も言うまい。

 「工藤さん、ちゃんと保存しときましたんでね…」
 「So cute! Keep a pet!」
 「まりあ付いて行きますよ!たとえくどーさんが猫になっても!」
 「可愛かったですよ、とても、とても、工藤さんが可愛い。ふふふ」

朱音が公では見せられない笑顔を浮かべてジッと見つめる。
その後ろからもう二人の姿もある。
活動期間はまだ短いが、それでも教育係の凛々しい姿を見る事が多いであろう
遥のポーズには各々の反応を見せる。

 「いや、その、全然似合うと思います。私には出来ませんけど。
  工藤さんなら許せるっていうか、許してもらえるっていうか」
 「工藤さんの頑張りは勉強になります。為になります。
  なのであと一時間ぐらいはそのままで居てほしいと思っちゃったりしました」

加賀楓は僅かに目を逸らしながら照れ臭そうに感想を述べ。
横山玲奈は遥に現在の格好を継続しろと強気な眼差しで強要していた。

 「……今ハル、何を信じていいのか分かんない」

拳を掲げて立ち尽くす遥の瞳に、真っ黒な絶望が浮かんだ。
皮肉な痙攣を起こす唇が歪み、僅かに目尻に輝くものがあった。
顔を真っ赤にさせ、そして項垂れる。
「後で覚えとけよ」という小声が優樹と春菜には聞こえた。

 「さてと、良いものも見れたし、はるなんも目が覚めた事だし。
  皆も帰ってきたって事でご飯食べようか」
 「「「「さんせーい!」」」」
 「二人は着替える?それともずっとそのままで居る?」
 「「そっこーで着替える!」」
 「ちょっとこんな所で脱がないで、脱衣所行きなさいっ」

遥と優樹の声が被り、猫耳や夜色のレースを外し始めた。
そのままその場で全て脱ぎ捨てる勢いだった為に春菜が制す。
二人の姿が一瞬、昔の幼いものへと変わったような気がした。
瞬くだけで現代の彼女達に戻っていたが、春菜は笑う。

 「何笑ってんだよはるなん」
 「なんだか、身体はいっちょ前に大きくなったけど中身は変わらないよね」
 「はいはい。どうせガキですよ。はあ、まーちゃんのせいですっごい疲れた……」
 「どぅーを泣かすためにまたやろうね」
 「もうやんないよ。絶対着ないから」
 「まーちゃんが着るならどぅーも着るよね」
 「んーん。まさ着ないよ」
 「あれ、そうなんだ。ちょっと寂しいなあ」
 「猫じゃなくてもいいでしょ。癒し期間は売り切れです」
 「じゃあ今度はまーちゃんで癒されようかな」
 「もうやんないよっ」
 「おーいそこの三人、何あたし抜きで盛り上がっちゃってんのさ」
 「あ、出た。猫になりきれなかった女が」
 「は?どういう意味?」
 「仕事先じゃあ随分苦労したみたいだねえ、猫かぶりのあゆみさん?」

春菜の言葉に首を傾げる亜佑美だったが、人差し指で示された方向には
床に脱ぎ落された三角耳を拾うさくらの姿があった。
三角耳を被らずに両手で頭に乗せて、さくらが呟く。

 「石田さんの猫メイド姿、可愛かったにゃーん」
 「お、小田ァ!!」
 「写真あとで見せてよねー」
 「了解だにゃん」
 「ちょっと話し合おうか?ん?携帯出しなさい!」
 「はっはっはっはっは」
 「あ、ちょ。待ちなさいよ、小田ァァァァァ!」
 「小田ちゃんがやるとどうしてああもあざとく見えるんだろうね。しかもめっちゃ棒読み」

二人が人間の姿を取り戻し、亜佑美がさくらの携帯からようやく画像を
削除した後、二階のリビングでそれぞれの夕食に舌鼓を打つ十一人の姿がある。
食事前、衣装鞄に残っていた猫耳を見つけたさくらは真莉愛に、美希に、朱音に装着させる。
春水には朱音が無理やり付けたが、予想以上に乗り気の様で、猫のようにねだり始める。
三人からのブーイングにどことなく喜んでいる。

楓が玲奈に装着させるが、玲奈は楓の隙をついてリボンの付属された猫耳を装着させた。
楓は気付かないまま付けていたが、真莉愛に突っ込まれて頬を赤らめる。
聖が衣梨奈に猫耳を取り付けようとするが「髪が乱れる!」と怒られて落ち込む。
あまりに落ち込むものだから衣梨奈は「自分で着ける」と言って装着した。
さくらが構える猫耳を遥に羽交い締めされた亜佑美が装着されそうになる所を
優樹がさくらの背中に突進したために二人が抱き合う事故が起こったりもした。

笑いながら見ていた春菜の傍に優樹が座り込む。

 「結局、みんな付ける事になってんじゃん」
 「まあそういうもんだよね。ああそういえば思い出した。今日が何の日か」
 「何?」
 「22日は猫の日だよ。猫と一緒に暮らせる幸せに感謝する日。
  猫とともにこの喜びをかみしめる記念日が今日なんだって」
 「人間が猫になるのってどうなの?」
 「じゃあ単に感謝の日、でいいんじゃない?」
 「じゃあはるなん」
 「何?」

 「あゆみー!」
 「ん?」
 「生田さーん!」
 「はーい」
 「お団子―!」
 「なんですかー?」
 「らぶりーん!」
 「はい!らぶりんです!」
 「はーちーん!」
 「はーい!」
 「野中―!」
 「yeah!」
 「はがちーん!」
 「はーいっ」
 「かっちゃん!横山ちゃん!」
 「「はーい!」」
 「ふくぬらさーん!」
 「なーにー?」
 「どぅー!」
 「なんだよー」

優樹の弾ける笑顔と共に大きな愛を叫んだ。

「だーいっすき!!」

痛々しいながらも輝かしい青春の中で彼女は笑う。

コルクボードに最初に載せられていた全員の猫コスプレ写真は
ある一部からの必死の懇願によって公開は差し控えられた。
その後、コスプレ衣装はどうなったかというと。

 「ねえ、せっかく貰ったんだからお店の正装にする?」
 「「却下!」」

大事な思い出として箱に詰められ、押し入れの中に封印されている。 


投稿日時:2017/02/25(土) 01:52:12.24





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