(142)99 『朱の誓約、黄金の畔 - Twins' flower -』(後編)

 「う、うーん……確かにそんな気がしてきた……でも春水ちゃん。
  今普通に寝てたよね?確実に寝てたよね?」
 「育ち盛りは睡眠欲も人一倍なんや。でも大変な事態に気付いた」
 「今も十分すぎるぐらい大変な事態だよ?」
 「違うっ、私ら今眼鏡じゃないよ、コンタクトレンズだよ。
  このまま目薬もせんと放置されるかもっていう状況を考えてみ」
 「……Impossible!」
 「その感じやと察したようやな…コンタクトを取らんと
  寝てしまうことがどんなに悲惨なことか……ふわー」

欠伸を手で押さえられず春水の欠伸姿を直で見る事になる。
変顔は見慣れてるがこれは少し恥ずかしい。
上書きされた様な言葉の列が並び、息が止まる。

 「獣は愛を鳴き、啄むのは春の水」

また聞こえた。赤ん坊の声が響く。痛くないのに痛い。頭に響く。

 「獣は愛を鳴き、啄むのは春の水」

見ると壁に取り付けられた鏡に美希の姿が映り込んでいる。
美希の目が蛇のような瞳で黒色の体を帯びていく。

 「春水ちゃ、春水ちゃん!」
 「な、なんや野中氏、びっくりするやろ」
 「私の体が、鏡!鏡!!」
 「鏡?」
 「私の体どうなってる!?What on earth is that!?」
 「んえ?………何もなってへんけど?」

美希の姿が得体のしれない怪物へと変化していく。鏡が見せつける。
怪物の象るそれは、『鳥』だ。
鏡の中の美希は鳥類へと退化させらている映像だった。
変化に致死性はないが、それだけに恐ろしい。
鳥のままで生き続けるなど最悪だ。

 「いいいいいいいいいぃぃ」
 「ちょ、野中ちゃんしっかりしいっ。鏡がどうしたんや?」

幻覚かと思われたが、鏡が幻であっても体の異常が現実だと訴えてくる。
春水が認識できる頃には美希の姿は黒い体毛で覆われた鳥類へと変化しているだろう。

獣は愛を鳴き、啄むのは春の水。
その言葉の意味を、真意を解かす思考が美希には残っていない。
あの悍ましい姿を見てから身体中に悪寒が止まらないのだ。
悪寒が麻痺へ、異常を徐々に実感する。
浸食していく自分に翼が生え出す様など考えるだけでも吐き気を催す。

 「あああImpossible! Impossible! Impossible!」
 「怖い怖いて野中ちゃんっ、何やってんのっ?」

 「■■■■!!■■■■■■■!!■■■■■■■■■!!」
 「それヤバイ英語ちゃうのっ?ヤバイ英語使ってる野中氏クレイジーやわ…」
 「春水ちゃん助け春水ちゃ……」

啄むのは春の水。

理解できるのと納得するのは同時だった。
情報端末を起動させ、脳内掲示板が意識の中に浮上する。
黒板にチョークで白字を書き足すように英語を連ねていく。

【text:一般検索『解析』
分析結果:鉄 コバルト ニッケル 鎖:強磁性体】

結果を確認して美希は『磁力操作』を春水に向けて干渉を開始する。
春水は静かになった美希を心配して何事かを言っていたが集中する。
バイオレットの煌めきに春水を捕縛する鎖が呼応するように震えた。
それに気づいたのか春水の表情も変わる。

 「何しとるんや野中ちゃんっ?」
 「ちょっと無理するけど我慢し、け」
 「野中ちゃん?」
 「時間かき、く」

鳥化でもつれる舌を必死に動かすが、本当に時間がないようだ。
夜盲症になりかけているのか急激に視力が悪くなっていく。
顏に対応が覆っていくのを感じながら美希は必死に力を行使する。
春水の鎖を必死に”引力”で働きかけるが、”重力”を伴うために上手くいかない。

 「の、野中ちゃんの顔から髭が生えてきとるっ」
 「come on!」
 「ちょっとま、バランスが取れへん」
 「come on!」

とうとう美希の言葉が言葉として成立しなくなってきたが
何の悪戯か、英語には適応されていないらしく連呼する。
春水は変化し始めた美希の状態に気持ちが慌てる。
『磁力操作』で持ち上げられた体を板張りの上で足を踏ん張り耐える。

 「ど、どうしたらええのっ?」
 「Come along!」
 「かおっ?顔貸せってどこのヤンキー…」
 「Come along!!」
 「分かった分かったっ、もう好きにせーっ」

言って春水は野中の目の前に屈んで目を閉じる。
間を置かずに、頬に温かい粘膜の感触。僅かに体毛が触れた。
後に吸い付く様な鈍い痛みに襲われる。

 「にいいいぃぃたあっ。野中ちゃん痛いっ、痛いってっ」

春水が目を開けると、すでに美希の顔は離れていく所だった。
顏の輪郭を覆うとしていた体毛が引いていき、美希は深呼吸した。

 「何でほっぺ噛んでんのっ?めっちゃ痛いっ」
 「いやごめん。ごめんよ。余裕がなくて思いっきり噛んじゃった。
  でも大丈夫、血は出てないよ、ちょっと赤いけど
  I owe you my life. Thank you.」
 「なんか全然嬉しくない~。てかさっきのなんやったの?
 野中ちゃんの顔がまるで動物みたいに毛がワサワサーって」
 「相手を変化させる事ができるチカラを使ったからですよ」

突然の声に春水と美希が背後を振り向く。
女が、横山玲奈が微笑んで佇んでいた。

 「効果の低さと遅さから凶暴な動物には変化させられませんが
  一度誰かに使ってしまうと止められません。
  でも、まさか頬を噛んじゃうなんて、あれぐらいの言霊なら
  キスしても解除できましたよ。知りませんか?『カエルの王さま』」
 「き、キスって……あ、あんた、野中ちゃんを苦しめて何がしたいん?」
 「お二人の関係を知りたかったのと、どうやって危機を回避するのか
  この目で見てみたかったんです。すみませんでした」

玲奈が律儀に謝罪をする姿に春水と美希は内心動揺していた。
だが、美希には一つだけハッキリしておかなければいけない事がある。

 「どうして…どうして私が鳥嫌いなのを知ってるの?」
 「それはですね、あの鏡が私の使う武器だからです」

玲奈が示すのは、美希の視線が固定されている縦鏡だった。
最初の頃は春水も分からなかった美希の変化を映し出していたものだ。

 「鏡でどうして私のことが…」
 「鏡は人の心を映すという事で様々な儀式に用いられてきました。
  人だけじゃなく自然も、世界も、宇宙も、光も、闇も。
  もう一つの世界で構成された心は捉えた心と同じ性質を持ちます。
  それが野中さんの心を投影したんです」
 「私の恐怖心が私の心を覆っていくイメージを見せたって事…?」
 「心を食べる者。私はそれを異獣と呼び、従うことが出来る召喚士です」

初対面の玲奈とは違い、今の彼女は落ち着いていた。
殺気や狂気じみた気配もなく、言動すらも丁寧で大人にすら思える。
律儀に解説までできる余裕を持った、これが本来の彼女なのか、それとも。

 「イジュウって何?」
 「うーん、言葉で説明するのは難しいのでここにスケブがあります」
 「なんか取り出してきた」

玲奈がいつどこで購入したのか分からないスケッチブックにマジックペンを走らせる。
四角い枠に「鏡」と書いてその左右に「異獣」と「人間」と書いていく。

 「異獣は何百年も前にもう一つの世界が生まれた時に同じく生まれた性質によって
 特別な能力を、その存在を作り上げていきました。
 そして百三十年前、鏡を移動手段にしてこちらへやってきたんです。
 どうしてこっちに来たのか、理由は誰にも分かりません。
 でも中には凶暴な子も多く、解決策を講じることになりました。
 それが私のご先祖様、当時は退治屋をしていたそうです」

「異獣」と「人間」の下に「召喚士」という明記が追加される。

 「こちらの武器では傷すら付けられなかったので、異獣が通り抜ける作用を持つ
  鏡を材料に刀や弾丸を作り出す事も多かったようです。
  つまり人を倒すためというより異獣を倒すためだけに。
  でも退治屋なんていう職業に普通の人は穢れを呼ぶとして疎遠しました。
  だから隠れ里を作ってこの世界に度々現れる異獣と戦うために
  ひっそりと戦い、暮らしてきました。でも四年前、事件が起こります」

玲奈はなんの躊躇もなく「召喚士」の文字を塗り潰した。
闇のように真っ黒な穴となって春水と美希に見せつける。

 「召喚士の里が消えてしまったんです。”里ごと”」

 「まるで大きな怪獣が踏み荒らしたというより、”食べ尽くしたように”。
  その有様に出来るとすれば、異獣のチカラしか有り得ないんです。
  あの子達は本能的に自分達のチカラを高める為に不思議な力を持った
  人間を食べます。きっと、その犠牲になったんじゃないかと」
 「で、でもおかしくない?ずっと、何百年も従えてきた人達が
  どうして今更そんな事になるの?」
 「……裏切り者が居たんです。そうとしか考えられない」

玲奈の声が重く感じる。春水が喉を鳴らし、美希も表情が険しくなる。

 「あなたはどうして助かったの?」
 「私は運良くその場に居なかったんです。こう見えても召喚士ですから
  何人かとグループを組んで退治する事もあったんですよ。
  でも、その時に一緒だった人達ももう居なくなってしまいました」

玲奈の言葉が響く。静かな闇に漂う悲壮感のようなものは、無い。
だが嘘をついている様にも見えない。本当に彼女は一人なのだ。
僅かな同情心が、二人に募る。

 「……それで、私達にその話をしたことと、この状況は関係あるの?」
 「異獣がどんなものかは分かってもらえましたか?」
 「なんとなく、でも、急に言われてもちょっと整理が追い付かへん。
  しかもまだ私ら、君のこと全然信用してへんし」
 「ああ、まあ、そうですよね。でもこうでもしないといくら
  リゾナンターさんでも協力してくれないだろうなって」
 「協力?」
 「私と一緒に異獣を倒してほしいんです。その子、ある召喚士を
  そそのかしてこの世界を支配しようとしてるんです」
 「その話が本当だっていう証拠は?」
 「本当か嘘かの問題を言っている暇はありませんよ。
  こうしてる間にも何かしらの事件を起こしてるかもしれませんね」

威圧感。言動を回避していく状態では全てをきり返してくるだろう。
表情には不気味なほど余裕を貼り付かせて玲奈はスケッチブックを閉じる。

 「きっと他の皆さんはお二人を探してるでしょう。
  その間にあの子は召喚士と一緒にこの町をめちゃくちゃにし放題です。
  後手後手に回させてしまうハンデは紛れもなく野中さん、尾形さん。
  あなたたちお二人なのではないでしょうか」
 「これ、もしかして脅迫受けてないか?」
 「尾形さん凄い。大正解です。あ、プレゼントがないですね。ごめんなさい」
 「じゃあ代わりにこの鎖を外してくれるっていうのは?
  ちょっと体勢的にもキツいんやわー」
 「良いですよ」

玲奈が言葉を発したと同時に、二人の鎖が砂の様に粉砕した。
量子分解されたそれに驚愕の表情を見せると同時に、恐怖が全身を駆けめぐる。
触れる事もしなかったのに言葉を一つ掛けただけで可能にする。
これも異獣が作用するチカラの一種なのだと見せつけられたのだ。

そしてなんの条件もなく解放されたという事は。
この空間から出る術も当然、遮断しているのだろう。

 「どうして私達が必要なの?貴方のチカラで十分成し遂げられる筈じゃない」
 「……そうしないといけないんですよ。私は、この世界を壊すことを望んでいません。
  そして私が、私であるために。だから私の復讐を手伝ってください。
  返事はいつでもいいですよ。でも早めにした方が良いです。お二人のためにも……ね」

玲奈の立つ板張りの床が突然、波を立てる。
大きな口を広げたように無機質な闇の穴が彼女の体を呑み込んだ。
美希が手を伸ばしたが、空虚を掴むだけでしかない。
さざ波の落ち着いた世界で、春水の声は僅かに強張った。

 「い、今のもイジュウってヤツなんか?チート過ぎるやろ……。なあ、私らどうしよう?」
 「とりあえず連絡を取るよ。この場所を報せなきゃ。
  悔しいけど、私達にはそれぐらいしか出来ないみたいだから…」
 「連絡するってどうやって?」
 「You'll see. 私を信じてて」

美希は自分のこめかみを指で示す。

【call:一般処理『信号送信』
 新規系列:完了 白紙処理・脳内容量拡大:完了
 To:
 本文:                          】


内容を書き、見えない紫電となって美希の言葉が空間を彷徨う。
兎のように四肢を伸ばし、壁の外へと吸い込まれていく。
誰かが受け取ってくれると信じて。脳内に浮かぶ顔に必死に祈る。
春水が美希の手を握った。心強さに美希の心は穏やかになっていく。

 「じゃあ今日はここでお泊りやな…決めた。コンタクト取るわ」
 「あ、春水ちゃんだけ。私も取る」

一人だけならきっと恐怖心を鏡に喰われていただろう。
春水の笑顔に救われる心をしっかりと自分のものであると手を強く抱きしめた。


投稿日時:2017/02/21(火) 20:31:14.47


作者コメント
行き当たりばったりなのはストック無しでそのまま書いているので
自分もどんな結末になるのか分からないスリルを覚えてます…w
横山玲奈ちゃんの分裂はほぼ書き手の実験によるものです。
果たしてどちらが生き残るのでしょう。
野中美希ちゃんの脳内掲示板と能力に関してはまたのきかいに



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