(148)218 「The curtain rises」 2

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劣勢という言葉が嫌いだった。
そもそも負けず嫌いな彼女にとって、自分が弱者であることは絶対に認められない。
初心者だろうが未経験だろうが関係ない。
目の前にいる敵に向かってがむしゃらに挑むしか、自分が自分であることを証明できなかった。

状況判断なんてくそくらえ。
私は、闘う。相手を殺すまで、闘う。
勝つまで、闘い続ける。
それが私の、アイデンティティだ。

「遅いっ!」

そんな楓ですら、3発目の殴打を受けた時点で、自分が劣勢だと認めざるを得なかった。 

「身体の大きさに似合わないスピードの持ち主」と判断したが、それがそもそも誤りだった。
この男の武器そのものが「スピード」だ。
物体は、速度が上がるほど、何かにぶつかった際の衝撃度も大きくなる。
何かの漫画かアニメでの知識ではあるが、拳銃の秒速は確か350メートル。音速とほぼ同じくらいだ。
たとえパチンコ玉だとしても、そんな速度で放たれたら、人の骨も肉もひとたまりもない。

この男も、同じだ。
拳を投げ込む速度が速いばかりに、衝撃が大きく、楓への負担も大きくなる。
「スピード」が能力かどうかは分からないが、正面から肉弾戦に持ち込むには、あまりにも不利だ。

ああそれにしても。
頭がくらくらする。

「うわ、血出てるし…」

額を切ったのか、ぼたぼたとそれが垂れてくる。
鏡がないからわからないが、割と多めの血を流している気がする。 

額の皮膚は弱いから、血の量に対して、さほど傷は深くないという事も多いから、心配はない。
これも、漫画の知識だ。

「工藤さんが憧れそうな怪我ですよ」

いわゆる「厨二仲間」の先輩のことを考える余裕はある。
大丈夫。劣勢であることを認められるくらい、状況を分かっている。

少し、変わったのかもしれない。
此処に来る前の、私から。

「余裕だな。少しは楽しませろよ?」

男が目の前から消える。
そこで楓は、自分の認識の甘さを呪う。

男の武器がスピードと認識したばかりだったのに。
「拳の速さ」にのみ、意識が向いていた。

この男自身が加速する可能性を失念していた。

「っ!」

風の動きが変わる。
左だと判断し、避ける。
紙一重で、男の拳を躱す。

「避けたな。まぐれであってくれるなよ?」

殲滅するつもりでリゾナントに足を運んでやったんだ。
蓋を開けたらド新人がひとりで留守番なんて、オレはついていない。
オレが殺すに値するくらいの実力くらい、持っていろよ?

腰を落とした男が、ぐるんと長い足をコンパスのように回転させた。
足元を掬われる。
ぐらっと重心がズレる。
男の腕が伸びてくる。
身体を反り、ギリギリで躱す。

そのままバク転の要領で下がり、再び喫茶リゾナントの図面を考える。
何度考えても、2階に上がる余裕はない。
楓は覚悟を決め、男に突っ込んだ。

「自棄でも起こしたか!」

男もまた、同じように突っ込んでくる。
「韋駄天」と闘う際、その速さに臆してはいけない。
いつだったか、あの人が話してくれたことがある。
自分が敬愛する人が、旅立ちの日に行った、「鬼ごっこ」のことを。
未成熟な“瞬間移動(テレポーテーション)”、つまりは“韋駄天”を捕まえた、鬼ごっこだ。
その時その人は、“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”を行使した。
高速移動で生じた摩擦熱が、勝負を分けたのだと、話を聞いた覚えがある。

自分には、そんな力はない。
ならば、自分にあるチカラで、闘うしかない。

男の拳が上から降ってくる。
高速のそれは、まるでギロチンのようだ。
確実に首を撥ねる処刑装置から逃れるように、楓は身を低くし、そして滑り込んだ。

「なっ?!」

楓は、男の股を潜り抜けた。
股を潜るという事は、歴史的に見てもひどく屈辱的なことだ。
リゾナントに来る前の楓ならば、たとえ戦略の一種だとしても、決してそんなことはしなかっただろう。

だが、今は違う。
楓が持っているのは、プライドではなく、誇りだ。

楓は男の股を潜り抜け、素早く体勢を立て直す。
背後を取られた男は、勢いそのままに裏拳を繰り出す。
その攻撃を読んでいた楓は、渾身の力で男の腰に蹴りを加えた。
男は倒れはしないものの、バランスを崩す。
それで、充分だった。
楓は椅子に飛び乗り、カウンターを飛び越えた。そのまま厨房へと雪崩れ込む。ガシャンと派手に調理器具が転がる。
無様だ。滑稽だ。スマートさもない。
それが、今の自分だ。
泥臭くても良い。


―――「………うち、強くなる」


その人は、振り返られなかった。
圧倒的な強さを保ったまま、狂気と血に塗れ、そして温かな「赤」を纏って、此処を去った。

追い付くと、決めた。
追い越すと、決めた。

そのためには、まず、目の前の、敵を斃すことだ。

「は……?」

楓は武器を手に取る。
自分の手にはあまり馴染まないが、敵を斃せる、武器を。

「なめているのか…貴様」

男は、楓の右手に持たれた武器を認識し、ひくひくと笑う。
それは、油断でも、過信でもない。
純粋な怒りだと、楓は知っている。

「これが私の武器だ」

楓は、調理器具のひとつであるスープレードル、通称おたまを握りしめ、構えた。


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「オレを過小評価しているのか?それとも、自分を過大評価しているのか?」

男は意識的にか、楓の好きな漫画の一節を用いて、問うた。
だからこそ楓は「どちらでもありません」と、また、同じように返した。

「これが私の闘い方です」


投稿日時:2017/05/14(日) 21:21:42.46






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