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(121)144 『リゾナンター爻(シャオ)』81話

● 

さっきまで昇っていた軌道を、今度はゆっくりと下ってゆく昇降機。 

「…なんや。紺野の差し向けた『迎え』っちゅうことか」 

不機嫌そうにぼやく「煙鏡」。 

「うちはてっきり、教育係やったごっちんがうちのこと心配して来てくれたんやとばっかり…」 

言いながら甘えた顔をしてみせると、当の「教育係」はふっ、と鼻で笑う仕草をする。 
こうやって子供じみた態度を取っていると、誰もが「煙鏡」のことを侮る。それもまた、彼女の手口なのだが。 

愚にもつかない言葉を重ねつつも、「煙鏡」はお得意の深慮遠謀を張り巡らせる。 
まずは、紺野の懐刀である「黒翼の悪魔」がここに来た理由。 
「煙鏡」の本来の目的 ― ダークネスの本拠地に「Alice」を打ち込む ― からすれば、「黒翼の悪魔」が 
不在の粛清人に代わり「煙鏡」を粛清する目的でやって来たとしても、何ら不思議はない。 
けれど、「黒翼の悪魔」が未だ組織にとっては行方不明扱いであるということ。さらに紺野が反逆者の粛清など 
ということに執心するような人物ではない。 

となると、どういう目的でこの地にやって来たのか。

「ま、うちみたいな脅威の頭脳の持ち主を、紺野が…いや、『組織』が放っておくわけないもんなあ。ごっ 
ちんクラスの大物がお迎えに来たとしても不思議でもないんでもないか」 

当然のことながら、自分ほどの人材をダークネスが手放すことなどありえない。 
「鋼脚」の手のものが自分と「金鴉」の居場所を突き止め、さらにはリゾナンターたちと交戦していること 
を知った。そこで紺野はその成果を真っ先に知るべく「黒翼の悪魔」を使いに出したのだろう。 
そう、踏んでいた。 

「で。その天才ちゃんは、リゾナンターとはどうだったのよ」 
「ははは。あんなやつら、屁でもなかったわ。今回は色々あって見逃してやったけど、あないな連中、ダー 
クネスが注目するような存在と違うわ。聞けば代替わりしてめっちゃ弱なった、って話やしな」 
「ふうん、そうなんだ」 

悪魔は納得してるのかしてないのか。 
相変わらず読めない表情、そしてその口から。 

「つーじーは、どうしたの?」 

感情が読み取り辛いからこそ、こちらの心理が抉られる。 
まさか、邪魔な存在だったからリゾナンターを利用して謀殺してやった、などとは口が裂けても言えない。 
取りあえずは「下のフロアにいる」とだけ話し、それで来た道を戻ってきているわけだ。 

「…まあ、百聞は一見にしかずや」 

ここで饒舌になるのはまずい。 
あくまでも、相方の死を悲しむ、そしてその事実が言えずにいる。そう、装わなければならない。 
必要最低限の言葉を、選ばなければならない。

必然的に、沈黙が続く。 
それでいい。そのことが、「金鴉」の死は避けては通れないものだったという演出に繋がる。 
組織には必ず復讐してやる。だが、その前に尻尾を掴まれることだけは、あってはならい。 

「ところでさ」 

意外にも、静寂を破ったのは「黒翼の悪魔」だった。 

「あいぼんたちさぁ、『Alice』に、何の用だったの?」 

思わず、心の中で舌打ちした。 
紺野と繋がってるからには、当然この場所がどういう意味を持つかも知っているだろう。「煙鏡」が新人の頃、 
そして「悪魔」がその教育係を担っていた時から。ぼーっとした顔をしているくせに、時たま核心を突くこと 
を聞いてくるのだ。 

「たまたまや。あいつらがリヒトラウムに遊びに行ってることを知ってなあ。うちとのんで急襲かけたんや。 
そしたら、ちょうどいい具合に隠し通路が見つかってん」 
「とか何とか言って。『Alice』をダークネスの本拠地に向けて発射するつもりだったんじゃないの?」 
「まさか!そんなんやったら、中澤さんに殺されるわ!!」 

冗談めいた悪魔の口調に、全身で否定のポーズを取る「煙鏡」だが、内心は穏やかではない。 

「そっか。でもまあ、疑われてもしょうがないシチュエーションだし、気をつけな」 
「あ、ああ、肝に銘じとくわ」 

悪魔に姿を見られてなければ、激しい勢いで睨み付けたことだろう。 
うっさいぼけ、あのババアの操縦方法はうちがよう知っとるんや。子供らしく、無邪気に、そして傲慢に。 
たまに甘えた顔もする。それだけで、あいつのガードは甘なるねん。知ったふうな口を利くなや、この力 
だけのボンクラが。

ただ確かに、「黒翼の悪魔」の言うことも一理ある。 
自分たちは、幹部殺しの罪で長年収監されていた要注意人物だ。それが、「Alice」の格納庫にいたとなれば、 
よからぬ想像をする輩がいるかもしれない。 

それを払拭するのが、これからの見せ所だ。 
床に流れる、惨たらしい赤黒い液体。自分たちは「組織のために」リゾナンターと激しい戦いを繰り広げた。 
結果、相方は命を落とし自らも何とか死地を抜けるのがやっとだった。そのことだけで、茨の視線を抑える 
ことができる。 

「…ごっちん。ずいぶん、ぼろぼろやん。どないしたん?」 

もちろん理由は知っている。 
「銀翼の天使」を奪いに来たつんく率いる能力者たちの相手をしたから。戒厳令が敷かれているダークネス 
の中で、紺野が唯一自由に動かすことのできる駒は、「黒翼の悪魔」を置いて他にいない。 
だが、下層につくまではまだ時間がある。暇つぶしにその話を聞くのもまた一興だろう。 

「まあ、色々ね。でももう、回復してきたかな」 

何の変哲もない、会話の返し。 
だが、「煙鏡」はそうは取らなかった。 
何故、今になって回復具合を確認している。何のために。それは。 

突如出現してきた黒い槍が、深々と刺し貫く。 
「煙鏡」の右頬の、わずか数センチ。「黒血」が生み出した漆黒の槍が、エレベーターの壁面に突き刺さっ 
ていた。 

「ご、ごっちん…どういう、つもりや」 
「見ればわかるじゃん。あいぼん…死んでよ」 

ふわりと笑う、その笑顔の影に今ははっきりと見て取れる。 
確かな、殺意の形を。

● 

「うちを…殺す? 冗談やろ。だって、さっきうちを『迎えに来た』言うてたやん」 

尻を地につけ、「煙鏡」は信じられないといった表情で「黒翼の悪魔」を見上げる。 

「冗談でもなんでもないってば。ごとーは、あいぼんを殺しにきたんだから。それに。迎えるのはあんたじ 
ゃない。下にいるつーじーのほうだよ」 
「な、何やて…」 

少ない情報の中から、「煙鏡」は自らの置かれている状況について分析し、そして激しい怒りを覚える。 
うちが殺される? さっきの「Alice」の質問が思わせぶりやなと思ってたら、やっぱりうちを粛清しに来たんか!! 
せやったら、何でうちが殺されてあいつが迎えられんねや!? こいつの言ってることはおかしいやろ!! 

「う、うちが粛清されるんなら…あいつも…のんも同罪のはずや」 
「少なくとも、こんこんはあんたよりつーじーのことを評価してたみたいだけど」 

頭の血管がぷつぷつと切れるような感覚。 
「煙鏡」の怒りは既に何周もその小さな体を駆け巡っていた。 
あいつがうちより優秀やと?ふざけんなや!!こいつ、うちの教育係やったと思って優しくしとったら!付け 
上がりおって! 
最早、公然と悪魔のことを睨み付けていた。

「なあ…うちを殺すんなら、もうちょっと待ってくれんか。のんがどこにいるか、知らへんのやろ…?」 

まずは、時間を稼ぐ。 
確かに目の前の人物は、「銀翼の天使」と双璧をなす組織の最強能力者。ではあるが、今は激戦を経てやっ 
と戦える程度の回復具合。付け入る隙は、十分にある。そうでなくとも。 

「駄目だね。あんたは、このエレベーターが格納庫に着く前に、殺す」 

悪魔は、今、こちらに悪意を向けている。 
「嘘つき針鼠」の能力を発動させる条件は、整った。 
煙に巻かれて、鏡の放つ一撃に斃れるがいい。 
「煙鏡」は、懐に忍ばせていたダガーナイフの位置を、頭の中で確認していた。 

「黒翼の悪魔」は、自らの背後にいくつもの黒き刃を浮かび上がらせる。 
なるほどこれでうちを串刺しにするつもりか。せやけど。 
うちも、「能力」使えるくらいには体力、回復しとるんやぞ。うちのこと舐めたこと、後悔しながら死に晒せ。 

「じゃあね。バイバイ、あいぼん」 

命を奪う切っ先は、「煙鏡」を避けるように四方八方へと逸れてゆく。 
それだけは、確実に起こる出来事。 
そこから先は、懐のナイフだけが知っている。 

ぶっ殺してやる。 
あんなマヌケをうちの上に置いたこと、たっぷり後悔させてやる。 
このナイフで心臓を一突きするのもいい。趣を凝らして、無限の加速度の往復でその頭を爆ぜさせるものいい。 
さあ、刺し貫いて見せろ。

エレベーターが下層に到着する、電子音。 
黒き悪魔の槍は一斉に「煙鏡」へ向け放たれ、そして小さな体を次々に刺し貫いた。 
夥しい量の血が、悪趣味な内装に彩りを添える。 

「な…?!」 

悪夢でも見ているかのような、信じがたい光景。 
だが、現実は四肢を貫く、気絶するような激しい痛みとなって襲い掛かる。 

「がぁ!!!!なん…で、や!なんでうちに、騙されへんのやあぁあぁ!!!!!!!!!」 

用を果たした黒血の槍は消滅し、解き放たれた「煙鏡」は両膝を付き悶え苦しむ。 
「煙鏡」は俄かにはこの状況を受け入れることができなかった。体力を消耗しているとは言え、たった一人 
の人間を、なぜ術中に嵌めることができない、と。 

「ごとーはさ」 

そんな中、「黒翼の悪魔」は、静かに口を開いた。 
静かすぎるくらいに。 

「あんたの顔を見た時からずっと…殺したくて殺したくてしょうがなかった」 

激しすぎる、憎悪。 
それが、自分の「嘘」を打ち消したとでも言うのか。 
馬鹿な。ありえない。組織の反逆者を粛清する程度で、ここまでの憎悪を込めることなどできるものか。

「たかが…粛清ごときで、このうちを」 
「あんたさあ、何か勘違いしてるよね。ごとーがあんたを殺すのは、組織のための粛清でも、こんこんに頼 
まれた仕事だからでもないよ」 
「は…?」 

地にうつ伏せになっている「煙鏡」の、小さな頭。 
そこに、ゆっくりと「悪魔」の靴底が押し付けられる。 
これは。この形は。 

「うちがのんにしたことと、同じことするつもりか!!」 
「は?つーじーのことなんて知らないよ」 
「くそっ!のんはな、うちが殺したんや!のんにどんな用事があったか知らへんけど残念やったなぁ!!」 

相手の意図を理解し、意趣返しとばかりに元相方の殺害を高らかに宣言した。 
これで精神が少しでも揺らげば、まだ「嘘つき針鼠」の嘘が突き刺さる可能性はある。 
だが、「悪魔」は首を振る。そんなことはどうでもいいとばかりに。 
そして、静かに、言った。 

「あんた、いちーちゃんを殺したでしょ」 

いちーちゃん。 
言葉は耳に入ってきても、その意味はしばらく頭の中で形を成さない。 
すぐ目の前まで迫ってきている死という現実に、意識が追い付かない。いや、それ以前に、なぜそれが悪魔 
の憎悪の理由になるのかが、理解できない。

「イチイ…ああ、うちらがぶっ殺した、まぬけな…幹部」 
「いちーちゃんは、ごとーの大切な人だった。それを、あんたたちが虫けらみたいに殺したんだよ」 

かつて悪童たちが葬り去った「蟲の女王(インセクト・クイーン)」は。 
悪魔の、組織内における教育係であった。そしてそれ以前に、心の拠り所となる存在だった。 
そのことを、「煙鏡」が知らないはずがない。ただ、あまりにもその事実を軽視していた。 

組織の最強能力者が、今は亡き、落ちぶれかけていた幹部職のことを今も心の裡に留めているなど。 
想像だにしていなかった。 

額に、顔全体に。 
悪魔の全体重を乗せた、いや、それ以上の圧が掛かる。 
このままでは、頭を潰されてしまう。 
死ぬ。死ぬ。死ぬ。それだけは、どうしても避けなければ。 
渦巻く恐怖とそこから逃れるための方策が入れ替わり立ち替わり脳内を駆け巡る。 

「ううううううちを殺す気か!このうちを!組織に有用なこの頭脳を!!」 

そうだ。敵方を陥れるのに、これだけ優秀な頭脳が、能力が潰えていいはずがない。 
実利という、実に判りやすい取引材料。 

「なあ、お前強いやつと戦いたいんやろ?うちが、うちがその願い、叶えたる!!」 

頭にかけられた負荷が、緩む。 
食いついた!! 
「煙鏡」は心の中で小躍りした。 
自分が死ぬかもしれないという状況に、形振りなど構っていられるものか。 

「うちな、秋葉原の『こぶ平』とコネ作ってな。いずれは協力関係結ぼうなんて思うとったんやけど… 
ごっちんのためなら、あいつら全員生贄にしたるわ!!」 

「悪魔」は答えない。 
だが、この取引は常に強者を求める彼女にとって悪くない取引のはずだ。

「うちの頭脳があれば。あいつら全員騙くらかして、一人ずつ、ごっちんの戦場に送り込める。なあ、ええやろ? 
楽しい、血を血で洗う大抗争のはじまりやで!!」 

言いながらも、彼女の賢しい頭脳は高速回転し続ける。 
あの国民的能力集団とはいざという時に手を結んでおいて、ダークネスに復讐するための切り札にするつもりでは 
あった。しかし自分の命には替えられない。こうなればとことんドンパチしてもらって、その隙を突く、というや 
り方もそれはそれで楽しいかもしれない。 

自分は間違いなく、ダークネスで一番の頭脳を誇る。 
紺野のような研究にしか目のいかない阿呆とは違う。この最高峰の頭脳は、文字通り世界を掴むことができる。 

歓喜に沸く「煙鏡」。 
だが、無情にも一旦は動きを止めていた「黒翼の悪魔」の足は、再び「煙鏡」の頭を踏みつぶさんとその力を 
強めていった。 

「な!なんでや!うちのことを殺す必要がどこにある!?」 

「悪魔」は答えない。 
そこで初めて、気付く。先ほど彼女が無言だったのは、「煙鏡」の話に耳を傾けていたからではない。 
最早、聞く耳すら持たないのだ。 

「なあ!待って!待ってくれ!うちこんなとこで死にとうないねん!!頼む頼むわお願いだから」 

「あんた。そうやって命乞いしたいちーちゃんのこと…助けてくれた?」 

無駄だった。復讐に心を奪われた人間に、理屈や命乞いなど通用するはずがない。 
「煙鏡」の能力が通用しないのと同様に。 

深い絶望に覆われるとともに、目の前が暗くなる。 
優秀な頭脳を自称した頭は、鈍い音を立てて爆ぜ、脳漿をまき散らした。


更新日時:2016/05/17(火) 14:54:38



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