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(137)159 『リゾナンター(爻)シャオ』番外編 「滾る、光」1

銀盤。
その名に相応しく、白く、研ぎ澄まされたような美しさを誇る。スケートリンク。
心地のいい凍気に包まれながら、うちはその中央に立っていた。
四方からこちらを照らしてくるスポットライト。その眩しささえも、愛おしく思えた。
もうすぐ、お気に入りの曲が会場から流れてくる。
たった数分。けれど、うちが持てる力の全てを表現することのできる、数分。

うちは、その瞬間。氷上の舞姫になる。
氷を刻む、心地の良い音。息遣い。心臓の、鼓動。全てが、うちを動かすリズムになってゆく。
ステップからの、ジャンプ。フライングスピン。そこからの、大きく円を描くような滑走。
うちは今、銀盤とひとつになっている。もう少し。あと少し。
フィニッシュのアクセルジャンプを決めようとした、その時だった。

右足が、焼けるように熱い。
炙るように広がってゆく熱は、やがて氷のリンクに穴を穿つ。

バランスを失ったうちは。目の前が、昏くなっていった。



勢いのままに、跳ね起きた。
また、あの時の夢。
尾形春水は、悪夢がとうの昔に過ぎ去った過去の出来事であることに安堵する。

せや。もう、あの時のうちは…死んだんや。

ベッドの周りを、見回す。
薄暗い部屋の中で、泥のように眠っている、「仲間たち」。
金髪、鼻ピアス、天使のタトゥー。あの頃の自分なら出逢いようもない連中だけれど、皆気のいい奴ばかりだ。
男所帯に紅一点、と来れば下心丸出しで近づくものもいるのが当たり前。ただ、春水の「強さ」を見た不埒な男たちは一様に大きな体と粗末なモノを縮み上がらせる。今では、全員が忠誠心溢れる立派な「騎士様」だ。 

原因不明のアクシデントによって、春水の人生は絵に描いたように流転していった。
そして流れ着いた先が、大阪でも名の知れた不良集団である「悠宙舞(ゆうちゅうぶ)」。
春水はそこの「姫」として祭り上げられ、面白おかしく毎日を過ごしていた。

もちろん、あの夢のように輝いていた日々とは比べ物にならない。
けれど、失った物を懐かしんで生きるだけのカスみたいな人生は真っ平ごめんだった。
春水は、渇いた喉を潤し続けるが如く、ひたすら夜の街を彷徨い続ける。

ベットから降り、窓を開ける。
昨夜からのぶっ通しの宴のせいで、既に夜は白み始めていた。

うちは、これからどこに行くんかな…

春水の独り言に、誰も答えてくれない。
酒臭い鼾が、何重奏にもなって鳴り響くのみだ。
そうだ。これからも、きっと仲間と馬鹿をやって。気に入らないやつには「炎の蹴り」をぶちかまして。
面白おかしく、生きていくのだろう。どこにでも行けるとも言えるし、どこにも行けないような気もした。



「はーちん!また『弐狐道(にこどう)』のやつらが!!」

仲間の一人がひどく焦った様子で「悠宙舞」の根城に駆け込んだのは、とある退屈な一日の終わりかけ。
敵対チームである「弐狐道」の連中が、大挙して「悠宙舞」の縄張りを荒らしているのだという。
武闘派で鳴らすメンバーたちは、嬉しそうに腕撫し出した。

「あいつら、この前もはーちんにフルボッコされとんのに懲りんやっちゃなぁ!!」
「へへっ、またはーちんの蹴りで顔面バーベキューにしたろか」
「自分はーちんに頼り過ぎやろ!ちっとは自分の腕で働けや!!」

血の気の多い連中が騒ぎだす中、春水は首を傾げる。
確か。この前の小競り合いの時に、「弐狐道」のヘッドの鼻っ柱に蹴りを思いっきり叩き込んでやったはず。
一瞬にして黒焦げになったボスの顔を見て、その場にいる手下たちはみな顔を青くさせて戦意喪失していたはずだ。

「頼りになる用心棒でも、雇ったんか…」

となると、その可能性は高い。
そうでもなければあの負け犬連中が再びこちらに噛みつこうなどという、馬鹿な真似はしないはず。
春水はそう、予測を立てていた。

ただ。
どんな奴が来ても、負けない自信が春水にはあった。
ふざけたことを言うやつは大抵この「脚」で叩き潰してきた。呪われた力、自分の運命を狂わせた、力。けれどこれがあるおか
げで、春水は喧嘩という喧嘩に、負けたことが無かった。
自分を奈落の底に突き落とした能力のおかげで、とも言うべきことなのかもしれないが。それでも春水にはこの能力についてありがたいと思うことなど、ただの一度としてなかった。

壁掛けに吊るされた、水色の特攻服を乱雑に手に取り、羽織る。
不良みたいやから嫌や、と一度は断ったものの。メンバーたちの熱量に押し切られてしまった。
背に刻まれしは、「武汰免(ぶためん)」の文字。武を以って、全てを淘汰することが許される。何故なら、彼女には地獄の業
火が常に足に宿っているから。

「…気合入れていくで!!」

春水の掛け声に、猛り狂う男たち。
その中には本来のチームのリーダーである間(はざま)保人という少年もいたが、
彼は既にチームの主導権を春水に譲っていた。
それほどのカリスマ性、実力を春水は否応なしに身に着けていたのだった。



ちっ…あいつら、ちょこまこと鬱陶しいわ!!

春水は、挑発を仕掛けては撤退を繰り返す「弐狐道」の先兵たちを追いつつも、そのせせこましい戦法にうんざりしていた。
消耗戦に持ち込むつもりなのだろうが、そんなものは小手先の手でしかない。おそらくはこの戦法の絵を描いているのも、奴らの「用心棒」。ふん、しょうもな。
既に、春水は相手の器を見切っていた。

アスリート生活から引退したとは言え、春水は一日たりとも鍛錬を怠ったことはない。
自慢の脚力は、次第に頼りない仲間たちを置き去りにしてゆく。

まあ、ええ。うち一人でも、どうにかなる。

そう思いつつ、「弐狐道」の男たちが最後に曲がった角にさしかかった時。
春水の直感がその先にあるものを感じ取る。だがそれすらも、彼女にとっては些細なこと。

「手の込んだことを。ただのアホとちゃうかったんやな」

特攻服を翻し、正面に立つ。
差し込む眩い光は、唸るバイクたちのヘッドライト。
曲がり角の先。更地になった大きなスペースには、数十人の男たちが待ち構えていた。
獣のような粘った視線が、次々に春水を射る。

「アホはお前や!まんまとひっかかりおって!!」
「さしもの尾形さんも、こんだけの数相手にどれだけ持ち堪えるか。楽しみやのう」

じわり、じわりと。
男たちの集団は、春水を取り囲みはじめる。

「お仲間たちが来る前に、素っ裸にして楽しんだるわ!」
「ま、お前の洗濯板で楽しむのは難儀なこっちゃろうけどなあ!!」

言いたい放題の男たちを前に、春水は少しも動じない。それどころか。

この感じ…懐かしいな…たくさんの光に囲まれて…まるで。

次の瞬間、春水は動きだしていた。
一番近いバイクに向かって駆け出し、給油口目がけて鋭い蹴りを放つ。
威力自体は然程でもないが、溢れる炎と高熱が給油口を通してエンジンタンクを直撃する。結果。

「ひっ、ひいっ!!!!」

威勢よく唸っていたバイクが、炎とともに弾け飛ぶ。
それが、春水の「ショートプログラム」の幕開けとなった。

「バ、バイクはあかん!乗り捨てて襲うんや!!」
「足、足!蹴り技に気ぃつけ!!」
「あの人たちが来る前に何とか恰好つけたるんや!!」

春水の蹴り技の恐ろしさは、男たちの心に炎とともに焼き付いていた。
それでも、多人数で組み伏せれば何とかなる。そんな希望的観測に基づいた行動。

しかし春水の動きは、並みの男たちには到底捉え切れるものではない。
右に、左に軽やかに避けながら。時には旋回を加えつつ。舞うような身のこなしに、男たちの手は次々に空を掴まされてゆく。

「そうら、自分らの大好物の『火の出る脚』やでえ!!」

態勢を崩し、春水の射程圏にまんまと入ってしまった哀れな男たちを。
鮮やかな蹴り技と炎が、襲い掛かる。
打撃としてはやや軽いが、その欠点を補い余るほどの炎。受けた場所から火の手が上がり、必死の形相で火を消そうと転げまわる。

「ひ…怯むな!行け!行ったれ!!!!」

「弐狐道」の総長は、怯えきった部下たちを鼓舞する。
だが、既に焚火に勝手に突っ込んでゆくフライドチキンの集まりは春水にとって敵ではなく。
1人、2人と腰砕けになって逃げてゆく。やがてそれは雪崩を打ったような大きな流れになる。
そしてついに、総長の目と鼻の先にまで春水の接近を許すことになってしまった。

「何や。総力戦っぽいから、期待しててんけど」
「は!ぐ…ぐう…」

辺りを見回す総長。
だがそれは既に大方逃げてしまった使えない部下たちを探してのことではない。
彼は、ひたすら待っていたのだった。

「なーにキョドってんねん。男やろ。最後はタイマンで勝負といこか」
「ま、まままま、待ってや! これは、そういうつもりと違うて」
「せやったら、手下ぎょうさん従えてデートの約束か。アホ、自分鏡で面見たことないんか?」

青ざめた情けない顔にとどめの一発を加えようとしたその時。
それまでが嘘のように、ぱあっと男の表情が明るくなる。

「ね、ね、姐さん!」

足が竦んでいたのでふらふらになりながらも、総長が駆け寄った先には。
女が、いた。

「大の男が小娘相手に、なんやねんこれ。もっと頑張りぃ」

とろくさい喋り方。かまぼこ型の瞳。
肩の先まで伸ばした黒髪に切りそろえた前髪。
そして、なぜか。ピンク色の看護服を着ていた。

「いや、でも。姐さんやったら。あんな奴、一発で」
「そやね。ちょっとちゃぷちゃぷしたろか」

柔らかな笑顔を湛え、男の頬を撫でる女。
春水は、女に対し明らかに嫌悪感を抱いていた。何や、あのへらへらした女。とでも言いたげに。
男に媚びるような仕草もそうだが、何よりも、自分より「ええもん」持ってるのが気に食わない。

「おい!!」

何故看護服なのかはよくわからないが、相手が「弐狐道」が呼んだ用心棒なのは明らか。
ならば、叩き潰す。春水は既に戦闘態勢に入っていた。

「お前、何もんや」
「見てわかるやろ。看護師さんやで」
「アホか。うちは救急車なんて呼んでへんわ」
「必要になるやろ? これから…な」

その顔に貼りつけた笑顔同様に、柔らかな声と物腰ではあったが。
こいつ、やばい。春水の直感がそう囁く。

「ははは!お前もここまでや!!『弐狐道』舐めたらあかんでぇ!!!!」

虎の威を借りる狐を絵に描いたように、ここぞとばかりに総長ががなり立てる。
そんな姿を、優しく見守っていた女。と思いきや。

「自分、まだそこに居てるん?」
「は?」
「ほなさいなら」

そう言うや否や、総長の体が物凄い勢いで吹っ飛んでいったかと思うと。
横倒しになっていたバイクに激突。ぐしゃりと嫌な音を立てながら、血を吐きそのまま動かなくなった。
これにはさすがの春水も面食らう。

「な、何や。お前、何してんねん!!」
「あんたと、お・な・じ」

言葉の意味するところは、すぐに理解できた。
即ち、通常ではありえない現象を操る人間。ということ。

「は、ははっ」

笑いがこみあげてくる。
こんな呪われた力を、自分以外の人間も持っているとは。
けれど、春水の心を埋め尽くしたのは親近感なんてものではなく。

「上等や。あんたやったら…うちの全力、使えそうやもんなぁ!!」

言うなれば、同族嫌悪。
春水の両脚から噴き出す、激しい炎。
その勢いは、足元のアスファルトを黒く焦がすほどに。

「へえ…それが『火脚』。手から翠の炎出す人は知ってるけど…足から出すんは珍しいなあ」
「うっさい!ごちゃごちゃ言わんと、さっさと…」

言いかけて、言葉を止める。
目の前に迫る危機感が、春水に口を開く余裕を完全に奪い去った。
ピンクの看護服は、しなやかな動きで一気に春水との間合いを詰めてゆく。

こいつに触られたら…あかん!!

危機感が、はっきりとした形を成してゆく。
この女に触られてはいけない。必死の反射神経で、女の伸ばした手をかわした。

「ふふっ。タッチされたら『負け』やで?」
「ええ年こいて鬼ごっこか!!」

背後から迫る、何か。
慌てて身を屈めると、先ほど春水が爆散させたと思しきバイクの部品が頭上を掠める。
飛来物はそのまま、遥か向こうで倒れている男の体に激突した。

「な、なんやあれ…」
「ほーら、よそ見!!」

女の能力に驚愕する暇も無く、女はこちらに襲い掛かってくる。
どうやら蹴りや拳を繰り出すつもりはなく、あくまでも触るだけのようだ。それと。

「わっと!!」
「さっきあんたがバイクばらばらにして助かったわぁ。おかげで『手数』が増えて」

絶え間なく飛んでくる、バイクの部品。
どういう原理かはわからないが、二段構えの攻撃手段を有しているようだった。
とにかく、相手を攻撃できる隙を見つけるまではこれらの攻撃を避け続けなければならないのは確かだ。

回避に優れる春水の動きは、手練れと思しき女の手を以ってしても容易に捉えられるものではない。
それでもタイムリミットは確実に近づいていた。女は、決してマークを緩めようとはしない。
やがて。

「はっ、はっ、くそ…うちの動きについてけるなんて」
「せやろ? これでも支店の2番手なんやで?」
「はあっ? 支店って何の…痛っ!」

鋭い衝撃が、頬を掠める。
また、バイクの部品が飛んできたのだ。しかも、もう少しずれていたら直撃していたかもしれない。
春水の動きが鈍くなっている証拠だった。

「そろそろ…『鬼ごっこ』も終わりにしよか」
「……」
「何やの? スタミナ切れで言葉も出えへんの?」
「…ってた、とこや」
「ん?」
「うちも…そう思ってたとこやっ!!!!」

突如、春水が女に向かってダッシュを仕掛ける。
傍から見ればそれは自殺行為だが。

崩れ落ち、地を這う春水に女が嬉しそうに声をかける。

「うちの能力は、『磁化』言うねん。触れたもんを、ぜーんぶ磁石にできるんやで?」

そうか。そういうことか。
うちの体が、磁石に。だから、飛来物はより近いうちのほうに。
春水はそう悟りつつ、利き腕でないほうの肩甲骨が無事なことに安堵する。

「それが…それが何や。うちはまだ…戦える!!」
「これ見ても、そう言えるん?」
「!!」

立ち上がった春水が見た物。女が指さした先にあったものは。
太ももに装備されている、何本ものナイフ。

「あんたが磁石になった以上、このナイフ避けるんは、不可能や。わかるやろ?」

まずい。春水は意図せず、喉を鳴らす。
奥の方に鉄骨資材はあるものの、相手がナイフを投げるまでにたどり着けるとは思えない。
となると、追尾機能を持ったようなナイフから身を守るのは最早絶望的とすら言えた。

「磁石にしたのは、肩の部分。体の反対側は…心臓やで」
「くそっ!!」

こうなれば、自らの手を遮蔽物にするしかない。
相手はそれを見越して手数で対抗してくるかもしれない。それでも、やらないよりは何倍もましだ。
どうせ腐りかけた人生、こうなれば二人火だるまで道連れ。
そんな悲壮な覚悟を決めかけた矢先。

「あんま新人候補虐めたら、あかんで?」

良く通る、直線的な声。
その姿を見て、春水の絶望はさらに色濃くなってゆく。

水色の看護服に、皮ジャンという奇抜ないでたち。
ピンクのほうとは対照的に鋭角的なルックスを持ったその女が、女の仲間。
つまり自分の敵であるということは考えるまでも無く明らかだった。

「え…援軍かいな…最悪や」
「まあそう固くならんで」
「あんたの固くとがった顎みたいにな」
「そうそう、これ使うとよう土掘れんねん…って誰がスコップや!!」

暗澹たる思いの春水をよそに、漫才のような掛け合いを始める二人。

「うちを…どうするつもりや」
「なあ、悪いようにはせえへん」

水色の女が、笑顔で春水に近づく。
そして。こう言うのだった。

「うちらの、組織に入らへん?」


投稿日時:2016/12/18(日) 00:37:06.61



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