(108)34 『リゾナンター爻(シャオ)』61話



そっと、目を開く。
視界全体が、薄もやに覆われているかのように煙っている。
自分は、なぜこんなところにいるのだろう。
里保は、少しずつ、自らの記憶を遡ってみた。
塩の女との対決、さゆみの登場、そして。

うちは、死んだんじゃろうか…?

そんな想像を打ち砕く、断片的な痕跡の襲来。
激しい雨、荒れ狂う奔流、鮮血。そして、狂気。
そこで、悟る。
自分は。また、”やってしまった”のだと。

「りほりほ?」

声が聞こえる。
暖かい。けれど、今は聞きたくない声。

「りほりほ」

やめてほしい。
うちのことなんて、ほっといて。

「りほりほっ!」
「わあっ!?」

後ろから、強引に抱き竦められたような感触。

「び、びっくりしたぁ!みっしげさん!!」

振り向かざるを得ない状況に、視線を向ける。
が、そこにはピンク色の丸いふわふわした光が浮いているだけだった。

「あのあの、これはどういう」
「ここは、さゆみとりほりほだけの世界」

さゆみらしき存在に言われて、思い出す。
そう言えば、精神操作の導き手によって、他者と精神だけの状態で意思疎通を行うような空間が生み出されるということ。
春菜が衣梨奈とともに「スマイレージ」の和田彩花を救った時、そのような現象が発生したと聞く。さらに遡れば時の魔
物と言うべき存在にさくらが囚われたのを救い出した時、紛れもなく里保自身も体験したことだった。

「でも、道重さんの姿が…」
「さゆみには、きっとりほりほがさゆみを見ているのと同じような姿が見えてると思うの」

つまり、視界の晴れない靄の中、赤とピンクの二つの球体が浮かんでいる。
想像するとなかなかシュールな光景ではあるが。

「…そういう世界にしてるのは、きっとりほりほがそう望んでるから」
「みっしげさん、うちはいったい何を…!!」

自分が気を失ってから、ここに至るまでのこと。
人の口から、聞きたかった。けれど、聞きたくなかった。
あの忌まわしき、赤眼の魔人のことなど。

「いや、何でもないです」

咄嗟に言葉を引っ込める里保。
しかし、まるでそんな里保の顔を覗き込むように、さゆみは訊ねる。

「りほりほは、あの子のことが嫌いなの?」

言葉に、詰まる。
まさかそんなことを聞かれるとは、夢にも思わないとはこのことだ。
里保の中で、過去の出来事が渦を巻く。
それはさながら、かけがえのない存在を呑み込んだあの日のように。

「うちが!『あいつ』を!好きなわけないじゃないですか!!!!」

気がつけば、大声で叫んでいた。
あいつは。自分を心の奥底に閉じ込め、そして有り得ないほどの力を振るった。
そのせいで、自分は友を救うことができなかったのに。
そしてさっきも。水は荒れ狂い、その禍々しい赤い瞳の色はそれと良く似た色の液体を求め…

「さゆみもね。最初は、『お姉ちゃん』の存在を受け入れることができなかった」
「えっ?」

里保は俄かにその言葉を疑う。
だって、「二人」はあんなに仲が良さそうだったではないか。
そう。さゆみは自分とは違う。出したくなかった。二度と表に、出したくなかった。
なのにあいつは姿を現した。目の前でさゆみがあんなことになったせいからなのかもしれないが。
それでも。「彼女」を許すことなんて、できやしない。

どことなく里保がさゆみに遠慮がちな原因の一つが、そこにあった。
近づいてはいけない、触れてはならない。でないと、自分の中の「血の色の魔人」は。

「でもね。いろいろ抵抗してみたりもしたけど。結局わかっちゃった。『お姉ちゃん』も含めて、さゆみなんだってことに」
「道重さん」
「絵里…鞘師も知ってる、亀井絵里ちゃんから言われたんだ。『さゆは、さゆのままがいい』って。だから」

目の前のピンク色が、ふっと薄くなる。
さゆみの姿が少しだけ、見えたような気がした。

「『それ』もひっくるめて、キミ自身でしょ」

でも、そしたら、どうしたらうちは。
その言葉を紡ぐより先に。
道重さゆみは、里保の精神世界からかき消えていた。


投稿日時:2015/11/03(火) 23:29:31.17


作者コメント

最後のさゆの台詞は
こちらからの引用となります

http://www35.atwiki.jp/marcher/pages/1111.html


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