(108)51 『リゾナンター爻(シャオ)』62話



「お疲れ様です!」
「お疲れ様です!!」

外仕事から戻ると、いつもこれだ。
男装の麗人を地で行く、金髪のライダースーツ。
ダークネスの幹部たる地位に就く「鋼脚」は、複数の黄色い声のお出迎えに辟易しつつ、仰々しい総本部の建物へと足を進めた。そのルックスから、男性というよりもむしろ女性の構成員のほうに妙な人気がある。かと言って邪険にするわけにもいか
ず、適当に愛想を振りまいてしまうのは彼女の悪い癖でもあった。

しかしまあ、何を考えてるのかね。あの芋博士は。

芋博士、というのはもちろんダークネスが誇る「叡智の集積」Drマルシェこと紺野あさ美のことだ。
組織の頭脳に対して皮肉りたくなるほど、状況は煩雑化していた。

まず、組織の幹部全員、それと主だった戦闘部隊の総本部での待機。
不便極まりないが、これは些か仕方ない面もある。何せ、「詐術師」「不戦の守護者」が謀反を企て「首領」の命を狙ったのだ。これは紺野の意向というより、「首領」の右腕である「永遠殺し」が強く働きかけたのだろう。

だが、その隙をついて例の問題児たちが騒動を起こした。
東京を代表する総合アミューズメントパーク「リヒトラウム」。夢と光の国、と形容されるその施設を、問題児。「金鴉」と
「煙鏡」が急襲したのだ。

夢の国の実質的オーナーが、日本を代表する巨大企業・堀内コンツェルンの総帥である堀内孝雄であることは闇社会では周知の事実。だが彼があらゆる意味においてのセキュリティをダークネスの商売敵にあたる、「先生」と呼ばれる男に率いられた能力者集団に任せていることは裏の世界でも一握りの人間しか知りえないことである。

傍から見れば、縄張りを知らない馬鹿が何の考えも無く死地に飛び込んだと。
たとえそれが標的であるリゾナンター殲滅のためだとしても。そういう考えに至る。しかし。

「どうしました、浮かない顔をして」

不意に、背後から声をかけられる。
足を止め、振り返るとそこにはいつもの白衣が。

「誰のせいだよ…ったく」
「のんちゃんとかーちゃん…「金鴉」さん「煙鏡」さんの件は、私の差し金ではありませんよ」

どうだか。
疎ましげに声の主、紺野あさ美を一瞥し、それから再び廊下を歩き始めた。

「それより、こんなところで油売ってる場合かよ。『天使の檻』がやばいんだろ?」
「あれは”先ほど、一区切りはつきました”が」
「ずいぶん勿体つけた言い回しだな。まるで、これからが本番みたいな」
「そうですか? まあ、ご想像にお任せしますよ」

並び歩きながら、言葉の応酬。
組織の情報部を統制する人間と、科学部門の統括責任者の組み合わせだ。嫌が応にも、心理戦の口火が切られる。

「さっきの話に戻るけど…あのチビ二人の目的は知ってるんだろ?」
「ああ。実は、『リヒトラウム』の地下に『ALICE』があるんです」
「はぁ!?」
「元はと言えば、私が堀内さんにお預けしたものだったんですが。どのルートかは知りませんが、彼女たちの知るところにな
ったみたいですね」
「お前なあ…」

「鋼脚」が呆れて絶句してしまうほど、紺野がさらりと口にしたことは深刻だった。
紺野率いるダークネス科学部門が開発したという、兵器。名は「ALICE」、情報部でもそれ以上のことは知ることは出来
なかったが、数度米国の砂漠で行われた実験の結果だけは判明していた。

それが、普段から自分たち能力者の存在を疎ましく思っているだろう連中の手にあること自体好ましくないのに。
さらにそれを刺激するような「あの二人」が接近している。

不可解な点もある。
どういう経緯かは知らないが、悪童たちはわざわざリゾナンターたちを「リヒトラウム」に招き入れ、その場を戦場とするこ
とを選んだ。これが理解できない。

「紺野。あいつらは何で、あんな場所にリゾナンターたちを誘き寄せたんだ?お前…」
「私は何も聞いてませんよ?」

「鋼脚」が言うより早く、紺野が自らの関与を否定した。
しかし。眼鏡のレンズの奥の目が。微かに笑っている。

「どうせ、予測はついているとか言うんだろ」
「どうでしょうね。ただ、彼女たちと付き合いの長い『鋼脚』さんなら、ある程度はわかるんじゃないですか?」
「おい、まさか」

嫌な予感。
けれど、恐らく正しい予測。
「鋼脚」は理解してしまう。あの二人が何を狙っているか、そして有り余る力を手に入れた時に何をするか。
長い付き合いとは、皮肉なものである。

「そうですね。混乱に乗じて、『ALICE』を奪う。ダークネスの総本部にぶち込むくらいのことはするかもしれません」
「ったく…冗談きついぜ」

あくまでも冷静な紺野。
肩を竦めながらも、「鋼脚」はそこに紺野の自信を見る。
先ほども、天使の檻の決着がついたと語っていた。あのつんくがそう易々と組しかれるのはあまり想像はできないが。
このゲームの主導権は、既に彼女が握っている。

「まあ、そうならないためにも。リゾナンターさんたちには頑張っていただかないと」
「またあいつらかよ。随分便利な駒になってるじゃねえか」

思えば、ベリーズやキュートといった若手の精鋭を敢えてぶつけたのも。
時を操るさくらをリゾナンターにくれてやったのも。
紺野が先に見据える何かのための、強力な駒を作るための準備なのではないのか。
何かとは何だ。何を企んでいる?

「鋼脚」は、紺野が自らの障害となり得る二人の幹部を闇に葬り去った計略を知る数少ない人物の一人だ。
その意味においては、彼女の協力者の一人とも言える。が。

「彼女たちは、いい素材だ。きっと大きな仕事をしてくれますよ」
「それは、質問に対するイエスと捉えていいのかい?」
「…ご想像にお任せします、とだけ言っておきましょうか」

相変わらず、肝心な部分だけは決して表には出さない。
それがDr.マルシェの「叡智の集積」たる所以ではあるのだが。
まあいい。「鋼脚」は気を取り直す。本音を出さないのはお互い様じゃないか。
いいぞ、こんこん、などと称えるような関係ではもうないのだから。

「おや、どちらへ?」

本来ならば、紺野と「鋼脚」の向かう先は同じ幹部が居を構える区画のはず。
しかし、闇に溶け込むライダースーツは大きく左へと曲がる。

「ちょっとやぼ用でね」
「ああ、確かそちらの方角には。私もたまには様子を見ないといけないのですが」
「よく言う。負け犬には用はないって顔してるぜ?」
「まさか。これでも色々と尊敬してたんですよ? 『彼女』のことを」
「まあ、伝えておくわ」

それだけ言うと、振り返ることなく手を振る「鋼脚」。
彼女たちの立ち位置の違いのように、白衣と黒のライダースーツは、少しずつ、距離を広げていった。



地下区画。
打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた部屋の中央に、大きなガラス製の水槽があった。
この中には、生命体の傷を急速に修復する溶液が満たされているらしいが。ともかく。

「なあ。お前のかわいい後輩が、お前のこと『尊敬してる』だってさ」

返事はない。言葉は空しく宙を舞うのみ。
それでも「鋼脚」には、ヒステリックに怒り喚く水槽の向こう側の相手の反応を、容易に想像できた。

― そんなこと言って、きっと内心あの子、あたしのことバカにしてるんだから! ―

台詞まで浮かんでくるほどのリアルさ。
ただ、現実として彼女は沈黙している。

手負いの黒豹 ― 黒の粛清 ― は、新垣里沙に傷つけられた体を、水槽の溶液に蕩わせていた。
美しい、黒の光沢を帯びたメタリックボディ。だが、そのあちこちがまるで金属疲労にでも見舞われたかのように激し
くひび割れている。誰の目から見ても明らかな、ひどい損傷。それでも、「鋼脚」は知っている。彼女が最も酷く受け
たダメージはそんな目に見えるものではない。

自らが侮り、下に見ていた後輩に手ひどくやられるどころか、命を失う一歩手前まで追い詰められた。

その事実は、おそらく「黒の粛清」のプライドをずたずたに切り裂いたはずだ。
そして、里沙の精神の手は、彼女の最も触れたくない鉄の心を、強く押した。

体だけのダメージならば、意識を取り戻してもおかしくないくらいのレベルには回復している。
紺野の言葉を信じればそのような状態にあるはずなのだが。「黒の粛清」は一向に意識を取り戻す気配がない。

彼女と、粛清人の双璧を成していた「赤の粛清」。
その二人が同時に欠けることは、粛清制度の崩壊を意味していた。
その代用として急遽現場に投入されることになった、「五つの断罪」。「天使の檻」の動乱にも駆り出されるほど重宝
されているようだが、彼女たちはまだ、若い。必然的に、「鋼脚」にかかる負担は大きくなる。

はやくうちを楽にしてくれよ、と訴えかけても、当の本人は眉間に皺を寄せつつ水槽に浮かぶばかり。

「傷心のあまり、現実逃避…って、梨華ちゃんはそんな柄じゃないわな」

ひとりごちつつ、ひんやりと冷たいはずのガラスに手をやった。
わかる。溶液の中、堅く瞳を閉じている「黒の粛清」。けれどその奥には眠っている。

黒き死神に相応しき、漆黒の、復讐の炎が。
仇敵を焼き尽くし、骨すら残さないほどに。苛烈な。憤怒の感情が。
おそらく彼女は、目覚めるだろう。その牙を、新垣里沙に突き立てるために。

けど…それまで待ってらんないんだよな。悪いけど。

「鋼脚」は踵を返す。
拳を交える理由なら、こちらにもある。
けじめだけは、しっかりとつけなければならない。
同じ力を持つものとして。そして、闇に心を食われた人間の、道標として。


投稿日時:2015/11/04(水) 13:04:23.67




ページの先頭へ