(106)940『リゾナンター爻(シャオ)』59話
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目を疑うような光景が、広がっていた。
非の打ち所の無い勝利のはずだった。
事実、自分たちはあの恐ろしい悪魔を無力化することに成功した。
そう、思っていた。
「天使の檻」襲撃チームのアタッカー部隊である「ベリーズ」「キュート」の波状攻撃に、
- なす術もなく崩れ落ちた「黒翼の悪魔」。そして、ついに「ベリーズ」の展開した特殊空間陣によって闇の彼方に沈められた。
一度取り込んだら、決して逃がさない。
「七房陣」の恐ろしさは、苦楽を共にした「キュート」のメンバーなら全員知っていた。それなのに。
あの悪魔は、いとも簡単にそれを破ってみせた。
全身を切り刻まれ満身創痍だったあの女を飲み込んだ異空間、それが弾けるように破壊し尽され、
- 地に伏した「ベリーズ」のメンバーの中心に「黒翼の悪魔」は立っていたのだ。
- 「いやあ、意外と時間がかかったねえ」
能登有沙の能力によって封じられたはずの、「黒血」。
しかし、悪魔は全身から漆黒の血液を流しつつも、その背中にはまごう事なき黒翼がはためいていた。
「ベリーズ」のキャプテンである佐紀が、地に伏せつつ信じられないものを見るような顔つきで悪魔を見上げる。
いや、彼女だけではない。その場にいる全員が、不可解と恐怖の入り混じった視線をそこへ向けていた。
「そんな…うちらの『七房陣』、ううん、『八房陣』は完璧だったはず…なのに」
茉麻の悔恨に満ちた言葉が、むなしく響き渡る。
田中れいなに「七房陣」を破られてから。
「ベリーズ」のメンバーたちは自分たちの力を磨き、技はさらなる進化を遂げた。
その名は、今は亡き友のために。七つの力に、忘れないと心に誓った少女の名を添えて。
- 「七房陣」は「八房陣」へと生まれ変わった。
だが、蓋を開けてみれば、強固なはずの陣はあっさりと破られてしまった。
「まあ確かに厄介な陣だったけどね。けど、『キッズ』総出で甚振ってくれたおかげで、
- 『悪い血』が早く流れ出きったから。ある意味、助かったよ」
黒血とは、微小なナノマシン群によって構成される特殊な血液。
とは言え、血液を作り出すシステム自体は普通の人間と変わらない。能登の能力は、
- 「現存する」血液の力は完全に封じることができた。だが、彼女の死後「新たに作り出された」血液には効果は及ばない。
そして外界から遮断された空間は、汚染された血を洗い流し、新たな血液を生み出すには格好の場所となったのだ。
- まさに皮肉な、結末。
苦悶と、無念の表情で次々と頭を垂れてゆく「ベリーズ」メンバーたち。
「あんたたちがごとーを隔離してくれなかったら、やばかったかもね」
「ま、舞波…」
最後まで踏みとどまっていた桃子も、ついに旧友の名を口にしつつ意識を失ってしまった。
「みんなを助けるよ!!」
リーダーの舞美の声が、一際大きく響く。
その声の力強さに我に返った「キュート」のメンバーが、瀕死のはずの敵目掛けて駆け出した。
「ベリーズ」が瓦解した理由はわからない。けれど、先ほどまでの優勢がそう簡単に覆るわけが。
しかしその侮りは、意外なものたちによって覆された。
「どういうつもり?」
打ち放たれた千聖の念導弾。
それを「黒翼の悪魔」に届く前に無効化した相手に向かって、舞が問う。
赤と黒のコントラスト。黒目がちな瞳が、嬉しそうに細くなった。
「どういうつもりも何も。最初からこうするつもりだったんですよ?」
「あんたたち、まさか」
「そのまさかだよっ!!」
赤と黒の影が、早貴を襲う。
咄嗟に回避行動に出たものの、その鋭い爪は早貴の二の腕あたりを掠めていた。
先ほどの少女と同じような赤い帽子を被った、猿に似た少女が血に染まった爪を見てほくそ笑む。
- 「なるほどねえ。『ジュースジュース』は、ダークネスのスパイだった、と」
愛理が、いつものとぼけた口調で事実を確認する。
敵であるはずの「黒翼の悪魔」に従うその様子。操られているようにはとても見えない。
「ええ。潜入は楽でしたよ」
「黒翼の悪魔」を守るように、立ち塞がる四人の少女たち。
彼女たちの中での一番の年長者が、こともなげにそんなことを言った。
「さて。私たちの任務は二つ。ひとつは、警察機構の対能力者部隊に潜入すること。そしてもうひとつが…」
「ちょっとうえむー、何やってんの!!」
猿顔の少女が、慌てたようにその名を呼ぶ。
そうだ。確か「ジュース」は五人組の構成だったはず。ではあと一人は。
「ああああっ!!!!!!」
すらっとした長髪の少女が、嬉しそうに誰かを抱きしめている。
いや、違う。強靭な両腕は、がっちりと相手を捕らえて離さない。足が地面に届かないのか、もがくようにばたつかせている。
抱きしめられていた小柄な女が、潰された声を上げていた。
「佐紀!?」
顔を青白くさせ悶絶しているのは、「ベリーズ」のキャプテン清水佐紀。このままでは彼女の命が危ないのは明白だった。
泡を吹き、血さえ流しているのを見た舞美が助けに入ろうと、ベアハックを極めている少女へ突進したその時だ。
- 足元に突き出た、黒鉄の牙。
気づくのがわずかでも遅かったら、貫き刺されていた。
「ダメだよー。後輩の邪魔しちゃ」
「くっ!!」
ふわりと微笑む「悪魔」、舞美は彼女を睨み付けることしかできない。
「ジュース」のメンバーたちは、全てを切り裂く鋼翼に守られていた。
歯軋りをするような思い。
今の舞美を支配している感情だった。
目の前の、美しすぎるほどの金髪と正式に対面したのは、ダークネスの幹部からリゾナンターの殲滅を拝命した時のこと。
あの時は、圧倒的な実力差に何もできずに異空間に送り込まれた。
当時より強くなったと思えるくらいの研鑽を重ねてきた。はずなのに、突付けられたのは無力な自分という現実。
このままでは、呑み込まれてしまう。
一方。佐紀を甚振るのに飽きた少女は、今度は傍らに倒れていた雅に目をつける。
佐紀を投げ捨てると雅を抱え上げ、そのままぐるぐると回し始めた。
「あははは、楽しーい」
「もう、うえむー!遊んでないでこっち来て!!」
「えー、めっちゃ楽しいよこれ」
「いいから早く!」
「はーい」
キーキー喚く少女に辟易したのか観念したのか。
遠心力で雅を打ち捨て、四人のもとへ走る少女。ここに、五人の赤と黒が揃う。
- 「申し遅れました。私たちは『ジャッジメント』。空位になった粛清人の、新たな継承者です」
「粛清…」
リーダーらしきその女性は、はっきりそう言った。
最初に顔を合わせた時のままの、困り顔。けれど、今ははっきりと見える。困惑した表情の奥に潜む、黒い感情が。
そして、「粛清人」。
そのキーワードは一度でも闇の側に身を置いた人間なら、誰もが震え上がるほどの響きを持っていた。
しかし「黒の粛清」「赤の粛清」の後継が、彼女たちだとは。
「『セルシウス』『スコアズビー』…いや、今は『キュート』に『ベリーズ』か」
「組織が命により、あなたたちを粛清します」
「暴れちゃうよー」
「というわけで。覚悟!!」
若き粛清者たちが、一斉に襲い掛かる。
相手は5人、対するこちらも5人。まともなら、各個撃破も可能だろうが。
「悪いけどさぁ。今は、待ってる暇はないんだよね」
再び舞美たちを狙う、黒き槍。
「黒翼の悪魔」も加えたこの軍勢、攻撃を凌ぐのが精一杯。
いや、負傷している「ベリーズ」の面々のことも考えるとこちらの不利は明白だ。
ふと、目の前の景色が揺れる。
まだ攻撃は受けていないはずなのに。舞美が周囲を見渡すと、早貴が顔を青ざめさせているのが見えた。
- 「ばっかだなあ。『毒のジャッジメント』はもう始まってるのに」
猿顔の少女が意地悪く微笑む。
咄嗟に舞美が周囲に霧状の水を巻いて希釈を試みるも、最初の一撃で毒を受けていた早貴には効果が薄い。
「リーダー、ごめん…」
早貴の苦し紛れの言葉と、その傍らで舞が「ジャッジメント」の一人に吹き飛ばされるのは、ほぼ同時。
拳を薄紅色の結晶状の何かで固めた女が、薄ら笑いを浮かべていた。
「なんかむかついてきたぞー」
「むかついてるのはこっちのほうなんだよ!!」
やる気満々の女に向け、千聖が念動弾の構えを取る。が、肝心の弾は一向に発射されない。
「あれ?何だこれ、ちくしょう!体が、動かな…」
自らの体の異変に戸惑う千聖に、先ほどまで佐紀や雅を蹂躙していた少女が急襲した。
強烈な拳を腹に受け、声すら出すことなく倒れてしまう。ここまで、あっという間の出来事。
「いやいやいや…こりゃ全滅かな」
「黒翼の悪魔」と「ジャッジメント」たちを遠くで見ているのは、吉川友と真野恵里菜。
彼女たちは既に、戦況の敗色が濃厚と見ていた。しかし、どことなく他人事な様子の真意とは。
- 「まのちゃんどうする?」
「どうするも何も。うちらだけで何とかできるわけないじゃん。さぁやものっちもみんな死んじゃったし」
「だよねえ」
つんくの仕掛けた、総力戦ではあるが。
ここで総員玉砕することに、何の意味も無いのは確かだった。
育成中の後輩能力者たちがいる限り、対能力者部隊自体がなくなることはない。あわよくば、実力者の生き
残りということで今より待遇が良くなる可能性すらある。
恵里菜の判断に頷く友。
瞬間、激しい閃光が二人を襲う。
敵の攻撃か。しかし、目が眩んだ隙に何かを仕掛けるわけでもなさそうだ。
光が退いた後に彼女たちが目にしたのは。
天使。
純白の羽根を広げた、人の形をした光。
その存在を「銀翼の天使」と認識するまで、恵里菜と友は棒立ちしたままの姿を晒していた。
恐怖のあまりに体が動かない? それとも目の前の敵を倒すという闘争本能?
その、どちらでもなかった。
雨上がりの空。
雲間から現れる太陽、その光を浴びたいと思う自然な欲求。
恵里菜は。その光の中を覗きたい欲求に駆られる。彼女の能力ならば、それは容易いことだった。
本能は、絶えず警鐘を鳴らしていた。
逃げろ。引き返せ。それでも。
恵里菜は覗き見てしまった。
光の奥にある、闇の深淵を。
- 「ぅあああああぁあああぁ!!!!!」
白目を向き、引きつったように体を仰け反らせ昏倒する心の読み手。
深淵の闇に何を見たのか。髪は一瞬にして白くなり、顔は干からびたように枯れていた。
彼女の心はもう、息をしていなかった。
天使は。空ろな表情で、その様子を見ている。
「ちょ、だ、だれか…」
想像を絶する出来事に、思わず腰が砕けてしまう友。
宙を彷徨っていた天使の視線が、動いた。動くものに反応する、形あるものを虚無の彼方へ送るだけの目。
「あーあ、やっぱこうなっちゃうんだ。つんくさんも大したことないねえ」
半ば失神しかけていた友の前に降り立つ、黒き翼。
彼女がピンチに駆けつけてくれたヒーローでも何でもないことは、見るからに明らかだった。
闇夜のような羽を携え、「黒翼の悪魔」が「銀翼の天使」と向き合う。
こうして対峙するのは、「さくら」を連れて来た時以来だろうか。その時の彼女は心を乱され、溢れる狂気
をこちらに向けている状態だった。しかし今から思えば、その時のほうがまだ人としての佇まいを残してい
たかもしれない。
少なくとも、今のような「人の形をした別の何か」ではなかった。
- 「せっかく檻から出られるようになったってのにさ。残念だよ」
悪魔は肩と背中の小さな羽を竦め、がっかりした顔をする。
しかしそれも、束の間のこと。
「でも。こうなったらこんこんも許してくれるよね? 全力で殺しにかからないと、ごとーが危ないからさ」
口にする危機感とは裏腹に。
悪魔の顔は、歓喜に満ち溢れていた。
投稿日時:2015/08/22(土) 07:47:31.03
作者コメント
参考資料
https://www.youtube.com/watch?v=u2m04De8bSk