(106)96 『リゾナンター爻(シャオ)』56話



治癒の力を注げど注げど、体を蝕む滅びの力は止まらない。
業を煮やした「金鴉」が取った行動は。

「しゃおらああぁあっ!!!!!!!!」

勢いよく噴出す、鮮血。
炭化した足の部位を鷲掴み抉り取るという、無茶苦茶な荒療治だった。

「…あんた、馬鹿なの?」
「ざまあみろっ!このボケナスが!!」

あきれ返るさゆみに向かって強がる「金鴉」だが、大ダメージは隠せない。
何せ腿の決して少なくない肉を抉ったのだ。動く事すら難しいはず。

「てめえの滅びの力なんざ、のんには効かねえんだよ!!」
「ふぅん。じゃあ自分の体が穴ぼこだらけのチーズになるまで頑張りなさいよ」

さゆみの視線は既に、背後の「煙鏡」のほうへ注がれていた。
今回の全ての計画を描いた人物。能力の強弱は不祥だが、警戒すべきは悪魔の頭脳。


「何や自分。あいぼんさんがそんなに可愛いからって、戦いの最中に見つめてたらあかんで」
「笑えない冗談ね。あんたはさゆみのタイプじゃないし」

余裕の軽口は、策を講じている証拠なのか。
幸い、目の前の相手は「もう問題ではない」。もう一人の相手の見せる余裕、その謎を解かなければならない。
さゆみは「金鴉」の怪力によって破壊された石畳の礫を拾い上げ、「煙鏡」に向って投げつけた。
すると、礫は奇妙なカーブを描いてあさっての方向に飛んでゆく。

「無駄やで。うちの『鉄壁』にはそんなん通用せえへん。そういう『ルール』やからな」
「ルール?」
「っと。サービスが過ぎたな」

自らの能力の性能を誇りたいが故の饒舌か、それとも。
考えあぐねていると、横からけたたましい声が聞こえてくる。

「てめえ!のんのこと無視してんじゃねーよ!!」
「別に。相手して欲しかったら立てばいいじゃない」
「こんなの…がっ!ぐううっ!!」

力んだ際に、撒き散らされる鮮血。
「金鴉」は生まれたての小鹿のように、よたよたとしか立ち上がれない。
しかしそんな姿を揶揄したのは。


「情っさけないな自分。全然相手にならへんやん。あんなんうちなら10秒で終わりやで」
「はぁ!?そこまで言うならあいぼん替われよ!」
「あほか。大将が出張るんは、先鋒が死んでからやろ」
「おいこら勘違い薄らハゲ。大将はのんの方だろうが」
「そんなボロクソに負ける大将なんておらへんわ。そらうちにも負け越すわな。つまり、負け越しゴリラや」
「負けてねーだろ!1064戦1065勝、どう見てものんの勝ちじゃん!!」
「戦った回数より勝利回数が上回ってどうすんねん。相変わらず可哀想なおつむやな」
「は!可哀想なのはお前の死にかけの頭皮だろ!!」
「言うたな…この筋肉ゴリラ!」
「うるさいハゲ!」
「ゴリラ!」「ハゲ!」「ゴリラ!」「ハゲ!」

突如として始まった低次元な言い争い。
しかしさゆみはその状況に合点がいく。この二人、コンビを組んではいるが仲があまりよろしくないようだ。
だから、二人一緒に攻撃を仕掛けてこないのだ。

「さゆみには、出来損ないのコントを鑑賞する暇はないんだけど」
「…ああそうかよ!!」

またも、ストックの血入り小瓶を取り出して飲み干した。
すると、どこからともなく集まってくる、黒い雲。いや、雲ではない。
やがて、空を劈くような無数の羽音が響き渡る。

「やっ!む、虫!!」

虫嫌いの聖が、近づいてきた「黒い雲」を見て顔を青ざめさせる。
そう、黒い雲のように見えたのはありとあらゆる羽虫の群れだったのだ。


「確かお前ら、『蟲惑』とやり合ったことあったんやろ。それはそいつの血の為せる能力や」

その名前には、さゆみたちも聞き覚えがある。
地獄から甦ったと自称していた、黒いプロテクトスーツを身に纏った女。ダークネスではない
別の組織に与したその女が、「蟲惑」の二つ名を名乗っていた。
となると。

黒い雲はやがて、「金鴉」の元に集まり姿を覆い隠す。
千切れた筋組織に食い込み、繋ぎ、補う。虫の寄生力が実現する、究極の超回復。
負傷していた足を、二、三振り。機能は問題なさそうだ。

「これで、動けるようにはなった。お前、ぜってーに殺してやるから」
「…その割には、あなたの虫さん、繋いだ先から死んでるけど」

さゆみの言う通り、滅びの力に侵された部位に食い込んだ虫は程なくして、その抗えない力の前
に命を散らしてゆく。だが、数が力を押さえつける。次から次へと死地へ赴く小さな軍隊は、
指揮官の命令を忠実にこなしていた。

「その虫の力がさゆみの『治癒の力』の代わりってわけね。でも、逆に言えば『滅びの力』への有効な手段も失った」
「お前をぶっ殺す方法なんざ、いくらでもあるんだよ!!」

「金鴉」が、両手を広げてさゆみの前に突き出した。
鋭い羽音を立てて、黒い塊が襲い掛かる。ただ、避けられない速さではない。
素早く身を屈めて猛攻をやり過ごすと、まるでブーメランのように虫たちは帰ってくる。


再び交戦が、動に入った。
さゆみは駆け出しつつ、執拗に襲い掛かる虫たちを回避する。

「避ける事しかできねえのかよ、虫はどんどん増えてくぞ!!」
「…馬鹿ね」

挑発しながら、使役する虫を増やしてゆく「金鴉」。
一度人間の肌に止まれば、皮膚を食い破り中の組織へと潜り込む獰猛な虫だ。
しかしさゆみは、そんな虫たちを嘲笑うが如く、動きを止めた。
喜び勇んでさゆみの白い肌に着地した虫は、触れた足から即座に灰になってゆく。

「忘れたの?さゆみの体全体にも、『滅びの力』が行き渡っていることを」
「…ちくしょう!!!!」

どのような力を用いようと、「滅びの導き手」を打ち崩すことはできない。
それが例え複数の能力を「ストック」できる能力擬態の能力者でも。
自棄になった「金鴉」が、さゆみ目がけて突っ込んでくる。まるで先に命を散らした虫と同じように。

「金鴉」が纏っていた羽虫たちの一部は、主人からはぐれ、リゾナンターたちの周囲を煩く飛びまわっていた。
しかし、積極的に害をなすことはない。
香音は、気づいていなかった。
いつの間に、はぐれた虫の一匹が、密かに。
自らの首筋に、小さな噛み跡が、ついていることに。

懐に飛び込んだ挑戦者が、拳を振るう。
速い。しかし、避けられない類のものではない。
回避行動に入るさゆみの身に、「それ」は起こった。


「!!」

突然の、立ちくらみ。
いや、そんな生易しいものではない。
まるで体中の全ての力が、底なしの穴へと引き摺り込まれる様な感覚。
今までも、薬の副作用らしきものはあった。
けれど、これほどまでに強烈なものはなかった。
つんくからは、何も。何も、聞いていない。

躊躇、そして困惑。
目の前には唸るような「金鴉」の剛拳が迫っている。

問題ない。
さゆみはすぐに思考を切り替える。
回避したところを滅びの手で迎え撃つつもりではあったが。
直接攻撃を受け止めるのはややリスキー、しかし問題ない。
いかに相手の膂力が凄まじかろうが、さゆみの全身を覆う滅びの力によって拳の先から灰と化してゆく。
問題は、インパクトの時に発生する衝撃をどう逃がすか。

それだけの、はずだった。
しかしさゆみが今、目にしているものは。

「道重さんっ!!!!」

春菜の悲痛な叫びが、こだまする。
「金鴉」の拳は、さゆみの胸の辺りを貫通していた。
当のさゆみの表情に苦悶の色は見えない。不可解、といった感じの表情。


してやったりの「金鴉」の顔が、徐々に変化してゆく。
この顔は。さゆみが見間違える、はずもない。

「あんた…鈴木の能力を」
「へへ。虫を飛ばしてあいつの血を頂いたんだよ。お前、のんが一度に一つの能力しか擬態でき
ないって勘違いしてたろ。あいぼんの言う通りだ、『弱いふりして油断させれば』相手は必ず隙を見せるってな」

香音の能力「物質透過」。
「金鴉」はそれを盗み取ることで、自らの腕をさゆみの体に貫き通した。
何の殺傷力もない行動。それを、「金鴉」の厭らしい笑みが否定していた。

さゆみは重心を思い切り後ろに倒し、貫いた腕を引き抜こうとする。
だが、体はびくともしない。香音の能力で摺り抜けているはずの腕が、さゆみの体を離さない。

「みんな、道重さんを助けるよ!!」
「はいっ!!」

聖の言葉で、一斉にさゆみの元へと駆けつけようとするリゾナンターたち。
それも、見えない何かに阻まれ、近づくことすらできない。

「これからがええとこやのに。邪魔したらあかんで?」

「鉄壁」の能力。
香音が物質透過しようとも、衣梨奈がピアノ線で薙ぎ払おうとも、里保が一閃のもとに切り伏せようとも。
びくともしない。亜佑美が戦ったスマイレージが一人・中西香菜の使役する「結界」には、まだ物質的な感触があった。
しかし。
「煙鏡」の操る「鉄壁」には、まるで手応えがない。あたかも、最初から切り抜けるのが不可能かのような、絶望。
つまり。彼女たちの救いの手は、さゆみには届かない。


「ここで問題です。のんが今、物質透過能力を解いたら…どうなると思う?」
「…元あった物質が、入り込んだ物質を弾き飛ばす。つまりあんたの腕は」
「そう。のんの腕は強制的に抜き取られる」

さゆみは、気づいてしまった。
「金鴉」が、何をしようとしているかを。

「愉快な置き土産を置いてなぁ!!!!」

見えない力に吹き飛ばされるが如く、「金鴉」の小さな体が後方へと飛ぶ。
その腕には、穴あきチーズのような穴が、いくつも開いていた。
開いた穴から、幾筋もの滅びの煙を燻らせながら。

「道重さん!!!!!!!」

明らかにさゆみの様子がおかしいことは、すぐに後輩たちに伝わった。
顔は青ざめ、体が痙攣していた。もっと言うなら。
さゆみもまた、「金鴉」が拳を撃ち込んだ場所から、煙を立ち上らせていた。

「いっちょあがりや」

「煙鏡」の表情は、晴れ晴れとしていた。仕事を、終えたような顔。
そう、終わったのだ。その証拠に、彼女は既に「鉄壁」を解いてしまっている。


もうリゾナンターたちを縛り付けるものは何もない。
聖が、真っ先にさゆみのもとに駆けつける。今このメンバーの中で、治癒の力を使えるのは聖しかいなかった。
風を切る迅さで、崩れ落ちかけていたさゆみを抱きかかえ、煙の出ている場所に手を翳す。
聖の血の気が、引いた。

「だめ…ふくちゃん…さゆみの中にはもう、滅びの…力が」
「そんな」

物質崩壊の使い手である以上、自らの力で自滅してしまう危険性は常に存在している。
それを防ぐために、全身に滅びの力の被膜のようなものを纏わせ、それを防ぐ。が。
あくまでも、体の表面だけの話。被膜を何らかの方法で突破されれば、体の内面は無防備そのもの。

こちらの弱点を的確に突くやり方、頭の悪そうな「金鴉」が思いつくわけがない。
どちらかと言えば、後ろに控える「煙鏡」のやりそうなことだ。
なのに、どうして。同時に戦うことすら嫌がる関係のはずなのに。
いや。違う。大きな、思い違いをしていた。もし本当にそのようなことが可能なら。
迂闊だった。自分の至らなさを悔やみつつ、さゆみの意識はぷつりと途絶えてしまった。

信じられない。いや、信じたくない。
だが、紛れもない事実だった。

物質透過によってさゆみの体を貫通した、「金鴉」の腕。
「金鴉」は。自分の足を支えている蟲のいくつかを、自らの腕に寄生させていた。
滅びの力によって、死にかけた蟲を。

そして、置き去りにされた蟲たちは。
内部から、さゆみの体を蝕み始める。そのスピードは、聖の持つ複写の治癒の力ではもう抗うことはできない。
そんな状況とも知らずに、後続のリゾナンターたちもようやくさゆみのもとに到着する。


「フクちゃん!!」
「道重さんが大変なの!すぐに、体の中の蟲を取り出さないと!!」

駆けつけた里保の顔を見て、緩みそうな気持ちを引き締める聖。
本当は、泣き出してしまいたい。けれど、そんな暇があったら一つでも多くの行動をすべきだ。
不安で崩れそうになる心を、強い意志が懸命に支える。

「どぅーは千里眼で蟲を探して!えりぽんは糸を使って何とか蟲を取り出す。香音ちゃんはサポート、
優樹ちゃんは道重さんの中にいる蟲を瞬間移動。小田ちゃんは時間停止を。
はるなんはみんなの集中力が続くように力をわけてあげて!!」

できそうなことから、一見無謀なことまで。
聖は今思いつく、さゆみを救うことができるかもしれない方法を全員に告げた。
とにかく、やるしかない。躊躇している場合ではない。でないと。

「えりちゃん、糸、物質透過かけたから!」
「生田さんそこですっ!」
「やった、獲った!」

連携作戦は、徐々にだが功を奏してゆく。
その場にいた全員が、さゆみの命を救おうとしていた。
今ここで、彼女を失うわけにはいかない。


里保たちが最初に喫茶リゾナントを訪れた時。
リゾナンターのリーダーは高橋愛だった。
ダークネスの襲撃によって崖っぷちまで追い詰められた当時の状況は、逆に言えば再起のチャンス
でもあった。弛まぬ努力は新垣里沙に受け継がれ、さゆみの代で結実した。

右も左もわからない新人たちが、曲がりなりにも能力者社会にその名を知られるレベルにまで成長したのは。
間違いなく。

だから、失ってはいけない。

春菜の表情が、強張る。
そして何かを探すように、さゆみの手を取り、言った。

「道重さん…息、してません…」

晴れていたはずの青空は、いつの間にか灰色にくすんでいた。
低く垂れ込める雲、一陣の風が吹き込むと、ぽつり、ぽつりと大粒の雨を落とし石畳に染みを作ってゆく。

「え…?」

言葉が、頭の中に入って来ない。
言葉の意味が、たった一つの事実に結びつかなかった。


「うそ…だよ、ね。だって道重さん、こんなに」

聖が掌を翳し、それまでよりも一層強く、自らの治癒の力を注ぎ込む。
ただ眠っているようにしか見えないさゆみの顔。けれど聖自身、よくわかっていることだった。
対象の肉体を癒すはずの治癒の力は、さゆみの体に留まることなく、消えていた。

「やだ!みにしげさん!みにしげさんおきて!!じゃないとまーちゃんみにしげさん嫌いになっちゃうんだから!!!!」
「よ、よせよまーちゃん!道重さんが死ぬわけないだろ!馬鹿なこと言ってんじゃねえぞ!!」

優樹はありったけの力を込めてさゆみの体を揺さぶる。
あまりの激しさに、そして優樹の発した言葉を否定するために大声をあげる遥。
それでも、既に泣き顔でぐしゃぐしゃになっている自分自身を隠す事ができない。

「は、はは。こんなの冗談っちゃろ。道重さんが、こんなことになるわけなかろうもん」
「ねえ。みんなを驚かせようとして寝たふりしてるだけですよね?そうなんすよね!?」

笑い声を上げようとするもうまく行かず、乾いた呼気を漏らすことしかできない衣梨奈。
亜佑美は大げさに手をばたばたさせ、顔を引き攣らせて必死に目の前の光景を否定ていた。

「道重さんの時が…止まっちゃった…」

時を操り、時を統べる。
さくららしい発言と言えばその通りなのだが、あまりにストレートな表現。
何をふざけたことを、そう言いかけた亜佑美の言葉が文字通り止まった。

さくらは、顔を歪め、必死に歯を食いしばって。泣いていた。
声すら、あげずに。
そのことが、全員に一つの揺るがしがたい結論を齎す。


― 傍に、居て下さいね ―

月明かりの綺麗な晩のこと。
少女は、さゆみと一つの約束を交わした。
素直に自分の気持ちを表に出せない少女は、リゾナンターとして闇に立ち向かう自分の姿をただ見ていて欲しいと伝えた。
その背中から、何かが伝わればそれで自分は十分なんだと。
それが、その時の精一杯だった。

あの日話したことが、嘘になってしまう。
さゆみのせいではない。さゆみを救うことができなかった、自分自身のせいだ。
かつてその手を差し伸べながら、救えなかった友人のように。
すべては、自分の力が足りないから。

― お前の実力は、そんなものじゃないだろう。何を躊躇ってる? ―

その言葉が、先ほど一戦交えた塩対応の女のものなのか。自らの心に呼びかけた問いなのか。
里保は、区別がつかなくなっていた。
ただ、熱い。胸の奥が、滾っているかのように熱かった。
やがてその熱気が、心の全てを覆いつくしてゆく。

「里保…ちゃん?」

その場にいる全員がさゆみの状況に激しく取り乱している中。
香音だけが、親友の異変に気がついていた。
宙を彷徨う里保の瞳は。


燃えるように、緋く。緋く。



投稿日時:2015/06/29(月) 03:10:03.12






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