(117)140 『リゾナンター爻(シャオ)』69話




里保の視界に、白い天井が飛びこむ。
ひんやりした背中の感触。起き上がって周りを見渡すと、光と夢の国を象徴する様々なグッズが棚やらワゴンや
らに陳列されていた。ここは確か、リヒトラウムのグッズショップ。優樹が楽しげにぐるぐる回っていた場所だったので、

記憶に残っていた。
窓ガラス越しに見える空は相変わらず鈍色だったけれど、雨音は聞こえてこない。

雨、止んでたんだ…

ぼんやりそんなことを考えていると、ふと何かを夢の中に置き去りにしてしまったことを思い出す。

「そうだ!み、みっしげさんは!!!」

自分でもびっくりするくらい、必死になっている。
それは心の声であるはずの問いが、口をついて出てしまったことからも明らかだった。

「道重さんは、大急ぎで救急車に運んでもらったわ。もちろん、能力者御用達の病院にな」

そんな慌てた里保を宥めるように、それまで入り口近くにいた愛佳が里保の側へとやって来た。
その表情には、安堵とともにやや疲れた色が滲んでいた。

愛佳の口ぶりから、さゆみが一命を取り留めたことを察する里保。
しかし他にも、訊かなければならないことはある。

「光井さん…どうして」
「ま、いろいろあってな。なーんも出来ひんけど、駆け付けたっちゅうわけや」

駆け付けた、という言葉から里保は連鎖的にこれまでのことを思い出してゆく。
小さな襲撃者。さゆみ。思いがけぬ結末。そして、赤い闇に取り込まれた自分自身。

「フクちゃん…えりぽん、かのんちゃん…みんなは」
「あいつらは。『金鴉』『煙鏡』とか言う奴と、決着を着けに行った」
「そんな!じゃあ、うちも」
「その、折れた刀でか?」

こんなところで寝てる場合じゃない。
そう勢い勇んだ里保を、制止した愛佳が里保の腰にぶら下がる赤い鞘を指して言う。
恐る恐る愛刀「驟雨環奔」は、ちょうど真ん中あたりからぽきりと折れていた。

…じいさまに、合わす顔がないな。

祖父から受け継いだ、水軍流の証とも言うべき刀。
水を友とし、使いこなせば嵐に荒ぶる大海原ですら鎮めることができるという言い伝え。
里保は結局刀の真価を発揮することなく、折ってしまった。

「それに自分、病み上がりやん。後を追っても足手まといになるだけかもしれへんで」

愛佳の言葉はあくまでも冷静で、そして現実を突きつける。
先の「塩使いの女」との戦闘もさることながら。「金鴉」との戦いで呼び出してしまった赤き魔王の如き力は、
里保を相当に消耗させてしまっていた。

「…それでも、うちは行きます。みんなが、待ってるから」

里保は折れた刀を、赤い鞘に差す。
それは彼女の心までは折れていない、何よりの証拠。
いや、一度はその刀同様、折られてしまった。自分の中に潜む、内なる悪意によって。
それでも、里保は立ち上がることができた。
夢の中のさゆみの言葉によって。

「なら、うちはもう何も言わへんよ。鞘師の決意は、伝わったから。きっと愛ちゃんも新垣さんも、そう言ってくれる」

愛佳は。
里保の中に、先に小さな破壊者たちを追いかけた聖たちと同じ光を見た気がした。
それはおそらく、希望だったり、強い意志だったり、若さだったりするのだろう。
後輩たちをわざわざ死地に送り出すのか。そんな考えはもう、やめた。
何故なら、彼女たちもまた、リゾナンターだから。自分たちから受け継いだものを、持っているから。

「光井さん…ありがとうございます!!」
「はは…ほんまに礼を言わなあかん人が、他におるやろ?」

深々と頭を下げた里保に、愛佳は言う。

「はい。この戦いが終わったら、真っ先に道重さんのもとへ」
「せやな。たっぷりサービスせなあかんで。お触りはもちろん、いっそのこと、ブチューッとな」
「なななな、何言ってるんですか!!」

顔を赤くしてぶんぶんと首を振る里保。
からかわれていると思ったのだろう、唇を尖らせて抗議の意思を表している。


「ともかくや。生きて帰って来い。うちが言えるのは、それだけや」
「…はい!!」

最後は力強く返事し、ミラーハウスのあった方向へと駆け出してゆく里保。
大きくなった後輩の背中を見つめながら、愛佳はある思いを強くする。

うちも、まだまやな…

自分は、あの頃のような駅のホームで俯いていた自分ではない。
けれど、あの日までは忌々しかった、あの日からは自らの存在証明のように感じていた能力は失われてしまった。
今回はそこを敵に付け込まれ、そしていいように使われてしまった。
これから、自分は何をするべきなのだろう。

芸能界で華々しい活躍をしている、久住小春。
故郷に帰り、父を支えているリンリン。リンリンと共に歩む、ジュンジュン。
今も、目覚めの日を待ち続けている亀井絵里。

雨上がりの空には、うっすらと赤みが差していた。
やがて、夜が訪れるだろう。けれど愛佳は知っている。明けない夜は、決してないことを。


投稿日時:2016/03/21(月) 12:48:02.65






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