(118)197 『雨ノ名前-rain story-』1

降り続く雨音が、室内の雑音を消していた。
女の長いため息が、机の上に落ちる。
時計は十時十三分。
早朝からの書類整理がやっと終了して、右肩を回す。
次に左肩を回し、首も回す。
疲れが泥の様に全身にまとわりついている。

携帯端末を起動し、呼び出してみる。
二回目の呼び出しで相手に繋がった。

「もしもしあゆみん?」
『ちょっと!こんな時に電話かけないでよ!』

石田亜祐美の叫びの背後に轟く爆音。
雨音の合間に金属が打ち鳴らされる音。

「うわーなんか凄い音してるね」
『あっちが爆弾持ち出してきてんのよ!
これなら小田達も呼べば良かった!
あ、ちょっと生田さん!勝手に突っ込んでかないで!
で、何!?何か用!?』
「あ、いや。うん、頑張ってね」
『はあ?いやいや、はあ?』
「いや、ごめん。また後でかけ直すから集中集中」

石田が何かを言おうとして轟音が重なり、通信は途切れた。
女は携帯を眺めてみた。

「……とりあえず、小田ちゃん達に連絡いれとくか」

携帯端末を再び起動させる。
用事を済ませた後、女はリビングにあるテレビに向かった。
最近見ている番組の録画情報を呼び出す。
先週放映分を録画し忘れて、二週間前の番組になっているのを
見ると何気に泣けてくる。

映像が立ち上がり、主人公が喋り、主題歌が流れる。
続く番組本編の内容は、アニメだった。


正義の味方として変身する主人公が毎回苦難や強敵に対し
仲間達と協力して戦って解決する。
三年ほど放映が続いているから、もう第四期になるだろうか。

先々週の最後に不吉な前兆があったから、先週で何かが起こって
今週くらいに黒幕を倒すのだろう。
実際の番組も、そういう展開だった。
見終わると、毎回そうなるのだが、自分が正義を行って
勝った様な気になれて爽快さがたまらない。
次の放送は今日の夜だっただろうか。

一呼吸すると、見る前よりさらに疲れている自分に気付いた。
物語のなかの正義の味方は、たとえ裏切られ戦いに一時的は負けても
最後の大事な戦いでは必ず勝っている。

一方で、敗北したり、金の為に地を這ったり、守るべき依頼人が
殺されたり敵になったりした正義の味方のことは描いてくれない。
主人公に自分を重ねるのがよくある見方なら、誰でも自分が正しい
勝者の側に身を置きたいのは当然のことだろうが。

携帯端末が鳴り響く。
出ると、子供の泣き声を背景にした女性の挨拶だった。

「はい。ああはい、そうですが……ええ、はあ…」

長く続いた依頼人の説明を遮り、受けるかどうかをあとで
答えると言って携帯を切った。
既にアニメは終わっており、二度見た事がある別のアニメが放映していた。

窓の外に視線を戻す。
雨はまだ止まらない。
テレビで確認した天気予報では、明日まで降るらしい。
この時間になっても石田から連絡がないというのは少し心配だが
喫茶店の留守番を任されている身として優先すべき事は先ほどの依頼を
受けるかどうかを決めなければ。
立ち上がり、椅子の背に掛けていた上着を取る。

呼び鈴が鳴った。

「はーい?どちら様ですか?」

扉の外には、傘を差した人物が見えた。
開けると、横殴りの雨と湿気を含んだ風が吹き込んでくる。
雨と雲以上に午後の光を遮っていたのは、女性用の背広の人物だった。
耳たぶに付けられた耳飾りが、外からの風に揺れる。
閉じられた女モノの傘の先端からは、雨の雫が滴っていく。

女は一瞬、息を止めた。
表情が強張りそうになった、が、耐える。
客人を迎えるいれるための笑顔を作るために徐々に口角を上げる。
女だからこそ出来る他人への振る舞いをこなす。

「あの、どなたでしょうか?」

女の問いかけに対し、口紅が塗られた唇に笑みが浮かぶ。

「自己紹介をすると、あたしは鮎川夢子。
あなたと同じ正義の味方、かしらね」

実際に目にするという衝撃に撃たれたが、なんとか耐えた。

「……もしかして、貴方があの有名な鮎川夢子さん、ですか?」
「ええ、その、申し訳ないんだけど室内に入れてもらえます?
少し寒さがこたえてしまって震えが止まらないの」
「あ、ええ、分かりましたどうぞ」

女が後ろに下がると、鮎川が店内へ入ってくる。
傘に入りきらなかった左右の肩や裾が雨に濡れていた。

「ありがとう。それにしても驚いた。
まさか私の事を知ってるだなんて」
「鮎川さんこそ、どうして私達のことを?」
「ここの常連客に話を聞いたのよ。若い少女達が様々な
事件を調査して解決している集団があるって。
まるでアニメのようだと思ったけれど、会ってみて分かったわ。
客の中には本当に助けてもらった者も居るともね」
「いやそんな。私も鮎川さんにこうして注目されてるなんて、ビックリです」

「なるほど、同じ者同士としては気になってたわけね。
本当はあたしの仲間も紹介したいところだけれど…」
「そうですね、皆にも会ってほしかったです」

女は肩を竦めておいた。

「あ、すみません。私の名前は…」
「飯窪春菜さん、だよね」
「ご存知でしたか」
「ええ、私もそれなりに情報入手に関しては負けてないから」
「さて、と。お互いの紹介は済ませましたが、ここに居る
理由をお聞かせ頂いてもよろしいですか?」

鮎川の表情が曇った。ひとたび押しとどめた言葉を吐き出す。

「襲撃されたの。
あの仇敵のマッドサイエンティストによって
作られた屍傭兵たちに三人の仲間が殺された。
ESPや改造人間だった彼らでも太刀打ちできないほどの数に
圧倒された他の派生組織らも造反に賛同したのよ。
追っ手から逃げたものの、全ての隠れ家も破壊されていた。
私は姉の響子と離れ離れになってしまって、命からがら
この町に逃げ込んできたの」

一気に事情を話し、鮎川は苦い感情を顔に滲ませる。

「まさかそんな事になってたなんて知りませんでした」
「ええ、私も予想外の事だった。
ようやくあの仇敵、デ・パルザの悪の計画を潰したと思えば
まさか残党達が生き残っていたなんて…」

鮎川の苦渋の表情を飯窪は眺めた。

「逃げている他の仲間を待って再起するまでの間
しばらくここにおいてもらえないかしら?
勝手な言い草だとは思うけど、ここが最適の隠れ家なの。
なにも差し出せないけど解決すれば謝礼だって払うっ。
だから…!」

飯窪は思考し、用意していた台詞を述べた。

「良いですよ。しばらくここに居てください」

鮎川の顔には、驚きと疑いが絡み合って表現されていた。

「ほ、本当に?」
「困っている人を放り出すなんて正義の味方のする事じゃないです。
噂の中にはありませんでしたか?
どんな相手の依頼でも引き受ける、それが私達です」

鮎川が軽く息を吐く。
柔和な瞳が飯窪を見つめた。

「ごめんなさい。実はその情報から、ここを訪ねたの。
とくに心底困ってる依頼は絶対に断らないって聞いたから」
「なるほど。あながち間違ってはないですけど、少しさっきの
言葉を修正すると、依頼の度合い的には断ることもあります。
明らかに怪しい方とかね。
ただ鮎川さんは有名な方ですから、その理由にも同情する余地がある。
という私の独断と偏見で承諾したんです」
「ありがとう。貴方に頼って本当に良かった」
「ただ、交換条件を一つ付けさせてもらっても良いですか?」

飯窪はなるべく優しい表情を作った。

「急ぎの依頼があるんですが、ご覧の通り、私は留守番係です。
なので鮎川さんのお力をぜひともお借りしたいんですが」
「それは非常に厄介な依頼なの?」
「そうですね。鮎川さんの力が必要になるかもしれません」

彼女の心情を理解した鮎川が微笑む。
素直な笑顔を直視できず、飯窪は自然と逸らす。

「では急で申し訳ないんですけど、行きましょうか」
「ええ、きっと役に立ってみせるわ」

鮎川の足がまた外に向かう。

「あ、待ってください」

飯窪は厨房に入ると、棚の隣に掛けられた雨除けの外套を手に取る。
男性客の忘れ物だったが、一年経っても取りに来なかった為に
壁の装飾となっていたものだが、この為にあったのだと思い考える。
頭の上の雨除けの庇を掴むと、視線を遮るように隠した。

「追手に勘付かれてもしたら大変ですからね」

鮎川の唇が笑みを刻んだのを見て、飯窪も笑みを浮かべ返す。
鮎川が扉の外に出ていく瞬間、飯窪は視点を下に向けた。

静かなため息を落とす。

そして意を決したように鮎川の後を追い、扉を閉めた。


更新日時:2016/04/11(月) 01:20:45.74


作者コメント
お久しぶりです。以前、鞘工で『銀の弾丸』という作品を書いてました。
今回は飯窪さんのお話、能力描写はほぼありませんが
それでも良いよという方はお付き合いください。 




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