(118)219 『リゾナンター爻(シャオ)』 74話



愛の放つ光に包まれた里沙が、両手から複数の鋼線を展開させる。
いや、鋼線ではない。一筋一筋がしなやかに波打ちつつも、眩い光を湛えている。
その正体とは。

「光のワイヤー、か。考えたね…」

天空には程遠い、地べた。
大の字に横たわり空を見上げていた「黒翼の悪魔」がひとりごちる。
二人の共鳴、は想定していたものの、このような結果を齎すとは思わなかったのだ。

一方。
文字通りの光のワイヤーを、鋼線と同じように撓らせ、波打たせ。
里沙は「銀翼の天使」を、迎え撃とうとしていた。

「里沙ちゃん…」
「『捕縛』できたら…あとは任せて」

里沙のやらんとしていることを理解し、愛が静かに頷く。
それが、作戦決行の合図だった。

「天使」が、白き翼を大きく広げる。
その小さな体の、何倍もの大きさの翼。羽毛ひとつひとつが、他者の消滅を願った言霊そのもの。
無数に犇めく羽根は、ゆらゆらと毛先を揺らし。零れ落ちる羽毛が、ひらひらと大空の下を舞う。ほんの僅か
な、静寂。
そして。

一斉に。木々に群れる鳥の大群が押し寄せるかのように。
言霊の羽根が、二人の前に拡散され、一気に飲み込んだ。身構えることさえ許されない、一瞬で。

羽毛はやがて光り輝く球を形作り、空に漂う。
傍から見ると、まるでもう一つの太陽が生まれたかのような光景。
ただし、その中では愛と里沙がどうなっているのか。まともに考えれば、既にこの世から消滅しているはず。

かつての後輩、そして自分を敬愛してやまないと公言する後輩の今際に立ち会っていても。
「天使」の表情は、少しも崩れることはない。悲しみも、憐みも、何もない。虚ろな双眸だけが、自らの作り出した分身と
も言うべき冷たい太陽を映している。

瞳に映る、輝く球体。
球体は。愛と里沙を飲み込んだはずの球体の表面は。
突然。破裂するように、波を打ち。偽りの太陽を突き抜けるように幾条もの光が拡散された。
愛と里沙の共鳴の形。言霊さえも透過する、光のワイヤー。

球を象っていた羽毛が、花火のように散らされる。
言霊が生み出した偽の光は、真実の光には抗えなかった。

「やっぱり、気付いてたか…さすがはダークネスが特別に警戒する人物、だね」

「天使」は、無意識のうちに愛の光を回避していた。
「悪魔」の放った黒血は避けることさえせずに消滅させていたのに。
それは、言霊の力では光を消すことはできないから。感情は無くとも、防衛本能がそう働いていた。
いくつもの死線を潜り抜けてきた愛と里沙が、そのことに気付かないはずがないのだ。

「愛ちゃん、お願い!!」
「わかった!!」

全身に光を纏い、「天使」へと切り込む愛。
自分の光は、虚ろな天使の攻撃の、唯一の防御手段となる。そのことを確信した愛は、容赦なく「天使」の懐に入り、近接
攻撃を繰り出した。

光に包まれた手が、そして足が「天使」を攻め立てる。
その度に、白い羽が揺れ、輝く羽根がふわりと散る。渾身の、蹴りと拳の乱打。
もちろん、全ての攻撃はまるで機械仕掛けのような正確さで次々とかわされる。だが、それで構わなかった。何故なら、愛
の特攻は「本命ではない」から。

「ぬぅん!!」

里沙の張り巡らせた輝く光が、弧を描いて天使に襲いかかる。
さらに光が、いくつもの光に。軌跡を描きながら無限に分裂し続ける光のワイヤーは、やがて「天使」を捉える鳥籠に姿を
変えた。

「天使」が、その翼を折り畳み、鳥籠が完全に閉じきってしまう前に上空へと急上昇を始める。
光が完全に出口をしまう前に外に飛び出されてしまっては、再び「天使」を捕まえるのは困難であった。が。

待ち構えていた。
里沙は、黒き翼を従えて。「天使」が突き抜ける軌跡の上に。
「銀翼の天使」は、里沙の姿を確認するや否や、右手に輝く剣を携える。
「悪魔」をも斬り伏せた、虚構の刃。それを、里沙は。

敢えて、受け止めた。
腹部に深々と刺さる言霊の剣から、血が滴り落ちる。
傷口から、じわりじわりと広がってゆく真っ赤な染み。

「このチャンスを…ずっと待ってました」

里沙は、自分の体から急速に力が抜けてゆくのを感じつつ。
その蒼白になった両手のひらを。
「天使」の頭を挟み込むように、添えた。

精神干渉の、極たる業。
自ら卑しい汚れた力とさえ罵った、相手の心に自らの心を滑り込ませる ― サイコダイブ ―。
この一瞬に、里沙はすべてを賭けた。
無慈悲な天使の奥底に、安倍なつみの心が残っていることを信じて。



これまでにも、何度も里沙はサイコダイブを敢行してきた。
敵にも、そして味方にも。
ただ、こんな日が。安倍なつみに精神潜行を仕掛ける日が来るとは、思いもしなかった。

自らの心とは別の世界に、自分自身が再構築されるような感覚。
里沙の視界がはっきりしてくると、そこは見たこともない景色だということがわかる。

白。白、白。白。
そこには、何もない。
普通の人間であれば、何にせよ様々な景色が広がっているはず。
だが、白という色彩の他には、本当に何もなかった。言うならば、「無の世界」。

対象の人物にサイコダイブした精神干渉の使い手は、まず最初に様々な景色を目にすることになる。
例えば、大海原に面した砂浜であったり、太陽の降り注ぐ草原だったり。それらは全て、サイコダイブの対象となった人間
の精神世界であり、心模様であった。

信じたくはない。
もし本当にそうなら、何のためにここまで来たのか。
否定が、迷いが。里沙に闇雲な歩を歩ませる。

歩けども歩けども、変わり映えのしない風景。
いや、形すらないものに対して風景と呼ぶことすら憚られる。
歩いているのは間違いない。けれど、歩いている気がしない。

歩いてるうちになつみが姿を見せてくれる。
そんな甘いことは考えてはいなかったが、白一面に埋め尽くされた世界はやがて絶望を誘う。
いったいどれだけ歩いたのだろうか。時間が狂ってゆく。
昇ったのか。降りたのか。空間さえも狂わされてゆく。

認めたくない。認めたくはないけど。
弱り切った心に差し込む絶望は、やがて一つの答えを導き出す。

つまり。

「銀翼の天使」 ― 安倍なつみ ― には、景色を描くような心は残っていない。

里沙をも塗り潰さんと広がっている白一面の世界が、何よりの証明だった。
彼女が操っていた白き言霊同様に、色彩すら見当たらない世界。

それだけではない。
かつて里沙が「黒の粛清」と対峙した時のこと。
粛清人に精神干渉を試みた里沙を阻んだのは、まるでとっかかりのない、鉄の球体のような相手の心だった。
それを知った時のような絶望が今、里沙に襲いかかろうとしていた。
いや、形すら見当たらない今の状況の方がより、残酷だ。

そんな…もう安倍さんの心は、残ってないの?

無力感が、足を伝い膝を落とさせた。
だが、すんでのところで力を振り絞り、再び立ち上がる。
ある人物の顔が、脳裏を過ったからだ。

今も、深い眠りについている、里沙の親友。亀井絵里。
絵里を何とかして再び目覚めの世界に導こうと、里沙は日夜彼女のいる病院へと足を運んでいた。
「銀翼の天使」の襲撃によって、昏睡状態に陥った絵里を救う唯一の方法。それが、サイコダイブだった。
その作業は広大な砂漠の中から一粒の砂を見つけ出すような、ほぼ不可能に近いもの。それでも。

窮地に陥った里沙を救うべく、絵里は束の間の目覚めを得ることができた。
明けない夜はないし、止まない雨もない。里沙は暗がりの中で一条の希望を見た気がした。

だから。
里沙は、白い、何もかも白く消し去ってしまうかのような砂漠に。足を、踏み入れる。
絶対に。絶対に安倍さんを探し出して見せるんだ。
後輩たちに生きて帰って来いと言った以上、自分たちも。
里沙の心には、あの日見たような希望の光が差していた。


更新日時:2016/04/11(月) 22:04:00.61

作者コメント
光のワイヤーは以前拝見した過去作からのリゾナントだとは思うのですが
失礼なことに失念してしまいました…申し訳ない





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