(119)113 『雨ノ名前-rain story-』5

ロック・オーケンは何処を捜しても居なかった。 

行き先をなくした彼の様に、飯窪と鮎川の二人も街角で術を失くし佇む。 
鮎川の手には紙袋が握られており、渋川から譲り受けた本が詰まっている。 

「ロックさんのグループが作ったのは、異世界に行った主人公が 
仲間とともに魔法や超能力で戦って大団円となるお話。 
奥様のリルカさんのグループが作ったのは、大きな敵に立ち向かう 
主人公や、取り柄のない主人公に美女や美男、美少女や 
美幼女が惚れて学園生活をするお話です」 
「感想は?」 
「…私はロックさんの作品が好きですね。奥さんのも魅力的ですが」 
「へえ、幻想物語が好きなのね」 
「ご都合主義の物語でも現実があるのは確かですから」 
「リルカさんの作品の方がその気は強いと思うけど」 
「そうですね。物語は物語であればいいと思います。 
ただ面白いだけでいいと思います、それは幻想ですから。 
でも、それって結局は、物語のための物語ではないでしょうか。 
面白いだけなら、こうしてお話にして残すよりもっと簡単に 
面白くなれる事はたくさんありますよ」 

飯窪は長い息を吐く。 

「私も幻想好きだけどね。もっと言えば愛すべきものと思う」 
「私もですよ」 

鮎川の想いに、飯窪は信条を返した。 
雨の街角で、一歩進んだ。そこはあのオーケンの家だった。 

「ここで始まったからには、ここで終わらせるべきですね」 

携帯端末が震えた。 
飯窪はそれを一度確認すると、それを鮎川に示す。


「警察の検死が確定したようです。リルカさんは何かの理由で棚に寄りかかり、
頭に花瓶が落ちました。 死因は脳挫傷。紛れもなく事故死です」 

「……そう」 


鮎川が残念そうにため息を吐く。 

「ロックは哀れね。自分がリルカを殺したと勘違いして 
思わず逃げてしまうなんて。でも、無実が証明された以上は 
もう逃げなくてもいいのよね。早く捜しだしてあげないと」 
「そうですね。そろそろ助けてあげなくては」 
「その本人がどこに居るのか見当もつかないけどね…。 
さてと、次はどこに行く?」 

鮎川の瞳に映る飯窪の表情は曇っていた。 
数々の情報を組み合わせ、結論を出す覚悟を決める。 

「いえ、調査はこれで終わりです」 
「え?」 
「ロックさんは、逃げたままでいいのでしょう」 

鮎川は驚きの表情と色を瞳に浮かべた。 

「何を言っているの?」 
「過酷な現実から逃れたのなら、もう彼を追う必要はないですよ」 
「良いの?それで貴方は、貴方の正義は許せるの?」 
「私が許す許さないという問題ではないです。 
彼が幸せであれば、それは私の願っていることと一致します」 
「後悔はないの?……いえ、それこそ私が言う事ではないわね。 
私は貴方の助手なんだから、従うわ」 
「一旦お店に帰りましょう。鮎川さんの事は私達がなんとかしますから…」 
「へえ、本当に終わるんだ」

背後の声に、二人は瞬間的に振り向く。 
路地から姿を現したのは背広の男。 
壁に寄りかかり、ロメロが苦しげな顔をして立っていた。 
傘も差さず、頭や高価な背広の肩から背中が濡れている。 

「貴方は…」 
「兄貴達に追い出されてね、実権分与から外された。 
もう俺には何もないよ。ああ絶望だ。絶望だなあ。 
……あいつだけ夢に逃げ込むなんて、そんなのは認めない。 
一緒に現実を認め合うことこそ家族じゃないか、そうだろう?」 

ロメロの言葉に、飯窪の表情が歪む。 
男の頬には痙攣した笑み。 

「ダメ!言わないで!」 

飯窪は瞬間的にロメロへ走りだそうとする。 
男は危険だ。全ての幻想が崩れていく音が聞こえた気がした。 
綻びの溝から、右腕が現れて緩慢に上がっていく。 
示された指先と、哄笑。 

夢は現実へ。 








「そこであんたは何をしている?オトウサン」


なあ、なぜあんたはそんな女ものの背広を着ている? 

どうしてそんな仮装をしている? 
ねえ父さん 
鮎川夢子っていうのはさ、これを言うんだよ 

ロメロが鞄から取り出した箱は、地面に放り投げられた。 
叩きつけられた箱は雨粒に徐々に濡れていく。 
其処にはピンク色の彩りを纏った女性二人が映っている。 
一人がまるで鮎川と同じ姿をしていた。 

「なんで?なんで私がここに映っているの!? 
これは私で、こっちも私……どういう事?どういう…!」 

極度の混乱状態。 
小さな瞳孔が恐慌するように戸惑う。 
対して、DVDの表紙の鮎川は、自らが本物であることを誇る様に 
胸を張っていた。 

「自分を見てみればいい。自分が自分であるという事を思い知れ」 

ロメロの冷えた声に従って鮎川の瞳が下げられ、自らの手を眺める。 
見るのは、細く皺が乗って枯れ木のような五本の指。 

恐怖にかられた鮎川が鏡を捜す。 
必死な瞳は、路上駐車されていた自動車の窓を見つける。 
雨に濡れた表面に手をつき、自らの姿を映す。 
自らを見返すのは華奢で柔らかい女性の姿、ではない。 

鮎川を見返すのは、初老の角張った顔だった。 
鮎川夢子は、いやロック・オーケンが両手を掲げる。 
指先は恐る恐る自らの顔の造作を確認していった。 

感触に跳ね上がった手が髪を触ると、女のカツラがずれて 
白の混じった髪が露わになる。 
怯えるように震える手で次に触った胸には、詰め物。 
そこには女の様に化粧をして、カツラを被った哀れな男の姿があった。

雨音を切り裂く絶叫。 
言葉にならない悲鳴。男は歩道に膝をついた。 
雨水が女ものの背広の膝を濡らす。 

幻想が、砕かれた。 

鮎川夢子は、飯窪自身の知人が以前出演していた映画の主人公だ。 
妙に事情に詳しかったのもその所為。 
彼がどうしてあの映画に固執したのかは分からない。 
だが、彼女が本来存在し得ない人物だというのは知っている。 
知っているが故に、飯窪は気付かせない様にしてきた。 

「………これはどういう事です?」 

飯窪は傘を差したまま、重い口を開く。 

「依頼人のモモコさんは、最初から事の起こりを知っていました」



更新日時:2016/04/17(日) 00:25:11






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