(134)287 『the new WIND―――』
罠を張っているはずだが、それで果たしてあの男を倒せるか否かは、確証はない。
それでもれいなたちは、必死に追い立てていく。
圧倒的な力を有し、何度攻撃を繰り出しても倒れることなく反撃し、たったひとりで戦場に佇む黒衣の男を。
お前は、何のために、闘う?
その姿に、答えはないと知っていても訊ねたくなる。
たったひとり、ダークネス側に生まれながら、仲間もなく、誰彼問わずに破壊する衝動しかない。
リゾナンターだけでなく氷の女王すらも倒してきたこの男の望みは、なんだ?
例えばこの世界の、ありとあらゆるものを破壊し尽くしたとして、その先にあるものは、なんだというのだ。
男が刀を振り下ろす。
途端、一帯が熱を帯びる。
リンリンから奪った“発火能力(パイロキネシス)”による火球が炸裂する。
慌ててれいなが刀の具象化を解き、リゾナンターたちをドーム状の膜で覆った。
火球が直撃し、膜を揺らす。
男はこの好機を逃さぬよう、次々と火球を繰り出していく。
れいなは膜を具象化するだけで精一杯で、攻撃に転じられない。
ジュンジュンがれいなの体を支えるが、膜の具象化が段々と弱くなっていく。
長くはもたない。先ほどは気を固めて壁として具象化したが、今度はドーム状に保つ必要がある。
この技の応用もまた、今が初めてで、体力も残り少ない。
久し振りの戦場に復帰で、肩慣らしどころかいきなり本戦に投げ出され、もう心身ともに限界を迎えつつある。
どこかのタイミングで膜は壊れる。その時に、リゾナンターたちが一斉に攻撃するしかない。
「小春!合図したら全弾撃ち尽くして!」
「全弾って言っても、もうそんなに残ってませんよ?!」
「いい!あるだけ撃って!あと500だけ先に追い立てられれば良い!」
さゆみの指示に、小春は体に纏わりつけたマガジンを装填し、セーフティーを解除する。
小脇に自動小銃を構え、いつでも撃てる準備をした。
「久住サン、援護しまス」
「……お願いしたいけど、小春、リンリンに当てない自信ないよ?」
「信じてマスだから。問題ないデス」
リンリンはそう告げると、小春から少し距離を保ち、男に正対する。
ジュンジュンもまた、れいなをさゆみに任せ、プッシュタガーを構えた。もう、ナイフの刃はこぼれているし、暗器も残り少ない。
だが、男もこれほど火球を繰り出していては、力のオーバーフィートを起こすはずだ。
いずれにせよ、れいなの膜の具象化が崩れた後が、勝負の分水嶺だ。
「さん、のー、がー、はい!!!」
れいなは渾身の力を込めて具象化していた膜を壊した。
激しい音を立てて崩れた膜は、ガラスのように鋭く尖り、男に向かって飛び散っていく。
同時に、小春が自動小銃をぶっ放つ。
ジュンジュンが左から、リンリンが右からそれぞれ男に飛びかかる。
れいなは膝を折り、激しくせき込んだ。
もう、終わりは近い。
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「あの研究者のことだ、絶対此処にあるはず」
新垣里沙はそうして、廃墟と化した部屋をゆっくりと捜査し始めた。
生物の匂いが全く感じられない無機質な部屋だが、どれだけの暴力が行われていたか、想像に難くない。
命への暴力。それは人が人であるという最低限の保証すらもない、地獄だ。
いや、むしろ、この部屋しか知らない子どもたちにとっては、この地獄こそが世界のすべてだったのだろう。
苦々しく顔を歪めた高橋愛は、部屋を見回すと、すっとしゃがみ込む。
「どこに、あるかな」
此処にあるのは間違いない。完璧主義の研究者に失敗の二文字は似合わない。
だからこそ、不具合が起きたときには必ず代替案を用意しているはずだ。
そして、早く援護にいかなくてはならない。
あの男の襲来から始まった、リゾナンター解体劇のすべての、新しい風の行く末を、見守らなくてはならない。
愛は床を指でなぞる。
明らかに、先ほど流れたと思われる血が大量に飛沫していた。
これは、氷の魔女が流したものだろうか。
死体は此処にはない。あの男がバラバラにしていなければ、彼女はまだ生きているという事になる。
だが、今はそれよりも、薬品を探す方が先決だ。
「愛ちゃん」
里沙の声に顔を上げる。
彼女は数メートル先で呼んでいた。
「ここ、あのとき培養液があった場所」
里沙から聞いた、この部屋の話。
生命の香りがせず、自分の欲求を満たすためだけに使われていた人体実験の部屋。
その部屋の中心に、彼女を入れた培養液があった。
大型の試験官のようなカプセルの中に、彼女はいた。
膝を抱えて体を丸め、肌色の皮膚を見せ、黒くて長い髪を揺蕩わせていた。
吸器のようなものを付けて、培養液の中でも酸素を吸入しながら、“人”として生きていた。
成長剤と体内時計を進められた、人ならざる人に、なりつつありながらも。
確かに、里沙の言う通りだった。
埃や血に塗れた部屋だが、その一角だけ、穢れが拭き取られているようだった。
いや、むしろ此処は「穢れを払う」場所なのかもしれない。神聖な、ある種のサンクチュアリのような場所。
あの研究者―――紺野―――がどのような意図を持っていたかは分からないが、此処が彼女の聖域だ。
愛はその床に手を翳す。
指先に微かな電流を感じた。どうやら、正解のようだ。
愛の手の上に、里沙も重ねる。
ふと目を閉じて、微かな詠唱。
パリパリと空間が歪み、その禍々しく、忌々しい結界を壊そうとする。
すると、愛と里沙の脳内に、たくさんのビジョンが流れ込んでくる。
子どもたちの叫び声、血に塗れた姿、ビルの屋上、手首から溢れる血。
ああ、これは。
此処に居た少女たちの、哀しみだ。
―――「検体番号183。その子は施設でもかなりひどいいじめを受けていた。友だちがいなくて自殺未遂も繰り返している」
―――「検体番号196。攻撃性が強くて施設の子どもたちにひどい暴力を振るい、なんども警察沙汰になってる。職員たちも手に負えない存在」
―――「検体番号229。養父から虐待を受け、愛情の欠乏から万引きや補導を繰り返し、自分の居場所を見失った」
あの時に聞いた紺野の声が、脳内に響く。
いじめを受けていた瞬間も、虐待をされていたときも、自殺未遂をしたときも、私たちはそこにはいなかった。
―――「お前の親父なんだろ!この人殺し!」
―――「病院で暴れたサイコパス」
―――「お前も同じだよ、死ねよ」
次々に浴びせられた、痛み、苦しみ、ツラさ。
その心に入り込んできた闇。そして人体実験というもう一度の地獄の中で、彼女たちは生きてきた。
光もなく、希望もなく、ただただ絶望を繰り返すだけの、毎日。
覗いてるこちらが、心を抉られ、闇に呑まれそうになる。
彼女たちのことを、私たちはまだ、何も知らない。
それでも、こんなにも、哀しみが共鳴する。
それは、光も希望もないからこそ、縋るからか。
ただ一縷の、奇蹟という名の陳腐な想いに。
「過去は、救えない」
愛ははっきりと、そう口にする。
それでも強引に、開こうとする。
過去は変えられない。分かり切った事実だ。
だけど。
だけど、未来なら。
これから歩む未来なら。
未来は神様のレシピで決まる。とは、何処かの小説のフレーズだ。
なるほど、その通りかもしれない。
運命という言葉で当てはめるよりも、よっぽど綺麗な言葉だ。
ああ、まるで、あの管理官に影響されたようだ。
彼もこうして小難しい言葉を並べ立てていた。
ただ、神様のレシピが正しいとは限らない。
彼がどんな調味料を加えるかで、その後の結果は変わるのならば。
「だから、未来を、変えるんだよ」
愛と里沙は、同時に力を込めた。
二人の想いが、彼女たちの過去の想いと、共鳴する。
微かな蒼い光が、分散していく。
確かな決意をもって放たれていく姿は、まるでプリズムのようだ。
そこには、しっかりとした小型のアタッシュケースがあった。
用心には用心を。あの研究者らしいことだ。
だが、これこそが、「彼女の時間を止める」術だ。
愛がアタッシュケースを手に取る。
上階で、けたたましい爆発音がする。
あの男たちとの闘いも、もう終焉に近いのかと確信する。
里沙に頷き、二人は走り出す。
きっともう、この部屋に来ることはない。
もし、次に来ることがあるとすれば、この闘いが終わったときだ。
そしてそのときは、必ず、この部屋をすべて燃やし、無に帰すと、決意した。
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愛佳たちの言う地点まで、残り340メートルほどまで押し込んだ時、男が大きく咆えた。
同時に、周囲の瓦礫が浮かび上がり、四散する。
それはまるで、力が暴走したかのような姿だった。
れいなたちは慌てて男から離れて防御するが、突然のことに驚きを隠せない。
「なん…急に……」
男は肩で息をしながら、両手で頭を抱えた。
苦しげに全身を震わせる様は、これまで見たことがなかった。
―――「やっぱり、あいつも…」
愛佳の言葉が、脳内に響く。
彼女は何かを知っている。だが、言葉にするのを躊躇っているようにも見えた。
まどろっこしいのは嫌いだ。言いたいことがあるならハッキリ言えとれいなは叫びたくなる。
が、それより先に、リンリンが動いた。
手首を刈り取らんとフォルダーナイフを掲げる。
黒衣の男は、勢いよく振り下ろされるそれに対応が間に合わなかった。
夥しい鮮血。
朝陽に照らされて血雨が降り、リンリンの顔にべったりと付着した。
男は左手首を刈り落とされ、怒りに震えた。
全身で体当たりをし、リンリンを弾き飛ばす。
落としかけた刀を右手一本で握り直し、その首めがけて振り下ろす。
小春が最後のマガジンを装填し、放つ。
肩と腹を直撃した直後、ジュンジュンがさらに追い立てる。
男が後退する。
―――「あの男はもう限界です!畳みかけてください!」
もう、なりふり構っていられないのは、お互い様のようだ。
無様になっても、この闘いを終結させようとしている。カッコいい勝ち方なんて、きっとこの世にありはしない。
気になることは山積みだが、どうせ今は答えてくれやしない。
だったら全部、後回しで良い。
こいつを斃して、全部全部、終わらせてやる。
その間に、さゆみは“治癒能力(ヒーリング)”を施し、リンリンの頭を撫でる。
「大丈夫?」
血まみれの顔に、訊ねる。
その赤き液体が、彼女のものではないと分かりながらも、さゆみは訊ねずにはいられなかった。
あの日、さゆみは病院で、彼女を止めることができなかった。
その後悔が今になって押し寄せてくる。
どうして、あのとき彼女を止めなかったのか。それどころか、行かせることを推奨したのか。
結局、私を連れて行ってはくれなかったか。
神獣を護る立場であるからこそ、だったのだと理解している。
でも、それでも、それでもリンリン、さゆみは。
「えへへ、道重サン、リンリン元気デス、ハイハイ」
膝の上で、リンリンは力なく笑う。
あの頃のように柔らかく目を細めて、それでも屈託のない、子どものように。
「……リンリン、さゆみ、言ったじゃん」
だからさゆみも、笑って返そうとした。
けれどその声は、意志に反して、震えてしまう。
「人ってウソつくとき、左斜め上を見るんだってね」
さゆみの言葉にリンリンは困ったなあというように、あの日と同じように、笑った。
「ウソうまく、なれマセンね」
投稿日時:2016/11/05(土) 21:43:43.77
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