(135)69 「祈りの夜」

眠れない。夕方ごろに流れたニュースが気になってしまう。
大丈夫だろうと信じようとしても、確証はない。
早めにベッドに入って寝てしまおうと思ったが、どうにも落ち着かない。
身体を動かして汗をかけば眠れるだろうかと、地下鍛錬場へと向かった。

そこには既に、先客がいた。
何人かのリゾナンターが、個々人の能力と向き合い、手合わせを行っている。
落ち着かない気持ちは、皆同じなのだろうかと思いながら、別の場所へと向かった。


塩酸の匂いに包まれる。
定期的な掃除やメンテナンスにより、たとえ水の能力者が去った後も、地下プールは健在だ。
野中美希は水面にそっと手を翳した。
先日、いきなり実戦で使った“空間編纂”を考える。

一時的な真空空間を作り出した直後に、能力を解除する。
「正常」な状態に戻ろうと空間が再び「歪」むことで、空間が捻じ曲がり、強引に空間同士を繋ぐ「ワープ」の応用。
もし可能になれば、このチカラが自在に使えるようになれば、届くだろうか。
あの人のいる、場所まで。
一瞬にして、たどり着くことができるだろうか。
佐藤優樹の“瞬間移動(テレポーテーション)”のように、あの人の場所まで、行けるだろうか。

だが、結局は妄想でしかない。
この能力は不完全で、未完成で、何より、周囲を巻き込む可能性も否めない。
一時的な真空状態。
もし、科学的に不可能とされている「絶対真空」を作り出したとしたら、そのとき、場がどうなるかは想像できない。

そもそも真空とは、通常の大気圧より低い圧力の気体で満たされた空間の状態を指す。
よく辞書では、「何もない状態」と言われることがあるが、それは「絶対真空」と呼ばれるらしい。
そしてそれは、科学的に作り出すことは不可能だ。
そんなものを作り出したら、どうなる―――?

「ちぇる」

名を呼ばれて、振り返った。
地下プールの入口に、彼女が立っている。
あの日、「道標になるよ」と微笑んだ、彼女が。

「……眠れない?」
「みんなと同じです。心配、です」

私も、心配。
彼女はそう言う。
その言葉は、微かに震えているような気がした。

美希はひとつ息を吐き、プールにある窓から空を眺めた。
月が見える。綺麗な、月だ。そういえば明日は満月だったっけと思う。

「……祈りなら、届くよ」

彼女―――小田さくらはそう言った。
え?と振り返ると、さくらも同じように、月を眺めていた。
月光が、窓から射し込んでくる。

「大丈夫。世界のどこに居ても、祈りは、想いは、届くよ」

さくらは真っ直ぐに、告げる。
まるで、自分が「空間編纂」を行使しようとしていたのを、知っていたかのように。
もしかすると、美希のそのチカラは、危うい能力になってしまうかもしれない可能性を秘めていることを、知っているかのように。

「ね、祈ろう?」

いつの間にか、自分の手が震えていた。
その手に、さくらが静かに自らの小さな手を重ねてくれる。

この震えは、なんだろう。
先の震災への恐怖か、あの人が無事か分からないという恐怖か、自分が分からなくなってしまうかもしれないという恐怖か。

美希は目を閉じ、深呼吸をする。
何度か大丈夫と言い聞かせながら、「はい」と口にする。
さくらの視線が、痛い。
その瞳に、応えられない。

それでも美希は、静かに祈る。

どうか、あの人が無事でありますようにと。

どうか、このチカラが、あなたを壊しませんようにと。

月が、雲に隠れる。
ふたりの捧げるひとつの祈りが、水面を揺らし、溶けていった。


投稿日時:2016/11/14(月) 00:10:03.22





ページの先頭へ