(147)336 「The curtain rises」1

喫茶リゾナントの扉を開けた彼女は、その静寂さに首を傾げた。
頭痛がするほど騒音に悩まされることはあれど、こんなに音がない日はない。
いつもなら、店番に誰かがいるはずだ。
そうでなくても、地下鍛錬場の気配が感じられるはず。
今日はそんな様子が全くなくて、おや?と思う。誰もいない箱だけの空間というのは、珍しい。
しっかり扉を見ていなかったけど、「CLOSED」の看板だっただろうかと思いながら、カウンターに目をやる。
そこには、一枚のメモが残されていた。

「買い出しに行ってきます、ちょっとだけ店番お願いします……これ、生田さんの字…かなぁ?」

まだ、だれがどんな字を書くか、彼女には把握しきれない。
リゾナントのメンバー13人の個性を、自分も含め、よく分かっていないのだと思う。
やれやれと店を見回した。
1人きりの店内は、随分と、広い。 

しかし、と、ふと思う。
店番を頼まれるのは良いが、私が帰って来る前に誰かお客さんが来たらどうするつもりだったのだろう。
私がすぐ帰ってくると分かったのだろうか。“未来予知”かなにかで。
ああ、工藤さんの“千里眼(クレヤボンス)”って可能性もあるのかな。

理屈っぽく考えてしまいがちになる。
やめようと足早に2階に走り、鞄をベッドに投げる。
廊下に出ると、静寂が耳に触る。
普段はみんながいる空間。誰もいない箱なのに、うるさい。

制服を脱ぎ捨て、仕事着を纏う。
黒のチノパン、白のワイシャツ。
これにエプロンをつければ、何処にでもある喫茶店のウェイターだ。
まあ、喫茶リゾナントは「何処にでもある」喫茶店ではないのだが。

彼女はキッチンへ戻り、エプロンをつける。
買い出しとは言っていたが、何を買いに行ったのだろうと冷蔵庫を開ける。
と、そこにはほとんど何も入っていなくて、ああ。と思う。
飲食店にあるまじき冷蔵庫の中身だ。軽食を注文されても、何もできない。
しかし、そうなると余計に「CLOSED」の看板をかけておくべきではないだろうか。
辛うじて牛乳はあるが、飲み物も提供できないのなら、お客様に失礼にならないか。
しかも店番を任されているのは、半年前に加入したばかりの自分。

加えて、今日はさくらと美希が退院する日だということを思い出す。
先日、激しい闘いが起きたのだと聞かされた。
その多くを聖は語らなかったし、ふたり同様に、またはそれ以上の傷を負った春水は、「ちょっとドジしましたね」と笑っただけだった。
まるで、関係ないと突きつけられたようで。と子どものように拗ねるわけではない。
ただ、悔しかった。
焦った。
チカラが欲しかった。

信頼を勝ち得るくらいの、絶対的なチカラが―――。 

「退院祝いのケーキ作りますか」

鼓舞するように、呟く。
大の甘党の自分が、腕によりをかけて作ろうと思った。

ぐちゃぐちゃになる思考を進めても意味がない。
自己判断だったが、看板を「CLOSED」にしようと決めた。
誰か先輩が戻ってきたら相談すれば良い。

キッチンを出て、扉を開けようとしたときだ。
とてつもない悪寒が全身を走る。
思わず手を引っ込めた。なんだ、この感覚は。

咄嗟に、数歩下がる。
いや、違う。
下がるべきではない。
持つべきだ。武器を。
武器。武器。自分のチカラ。

そこで彼女は、自分の失態を呪った。
鞄を置きに2階に上がったときに、なぜ武器を持ってこなかった?

喫茶リゾナントに新人が1人でいる。
その情報が敵に知れたら、格好の的になる。そうでなくても、武器を手放すことなど、あってはならない。
急いで2階に上がろうとしたが、もう遅い。
扉が蹴破られると同時に、「それ」は喫茶リゾナントへ侵入してきた。

途端、とてつもない力が、迫ってきた。
咄嗟に両腕をクロスする。
鋭いインパクトに、膝を曲げて堪える。

「っ―――!」

踏ん張りがきかない。
一気に後退する。
後方の壁に激突するまで、弾き飛ばされた。

なんて破壊力だと舌打ちしながら、両腕を広げる。
思わず、後頭部に手を当てる。
まだ血はあふれていない。とはいえ、脳が直接揺らされた気分だ。唇を噛みながら、目の前の相手を見据える。

「……お前ひとりか?」

スーツを纏った男は、ネクタイを緩めながらこちらに問うてきた。
ダークネスの一員であることに間違いはない。
男からは目を逸らさずに、戦略を立てる。逃げるにしても闘うにしても、まずは武器が必要だ。 

「ひとりか?と聞いている」

男がずいっと踏み込んでくる。
まずい。と思ったときには、目の前に腕が伸びてきていた。
遠近法が鈍っているように感じるが、そうではない。
相手が単純に、大きいのだと気づく。

男の腕を弾き、構える。
喫茶リゾナントの間取りを考える。
中央に4人掛けのテーブルが2つ、カウンターは6席、その向こうにキッチン、掃除用具入れ。
カウンター横に2階・地下鍛錬場へと続く階段がある。
まずは武器になりそうなものを手に取りたい。
2階まで上がるのも良いが、階段は男の後方だ。
此処から男の攻撃を躱し、駆け上がっていったとしても…ダメだ、間に合わない。

武器を持っていないならば、「武器に変える」しかない。

「質問に答えろ」

男は骨を鳴らしながらこちらに近づいてくる。
相手は身体の大きさに似合わないスピードの持ち主だ。判断を間違えば、待っているのは永遠の闇だ。

「お前ひとりかと、聞いているんだ、加賀楓!」

気安く人の名を呼ぶなと、加賀楓はシャツの第二ボタンを外し、地面を蹴り上げた。


投稿日時:2017/05/05(金) 20:18:13.11





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