(151)173 「The curtain rises」5
逆光の中、玲奈の前髪の奥に、恐ろしいほどに純粋な瞳を見る。
男は思わず、防御も、攻撃も、できなくなった。これほどまでに純粋な瞳を、男は知らない。
その姿に、「恐怖」する。
いったい何が起きている?
殺戮の喜びか、俺を殺す気でいるのか?
男はノーガードのまま、玲奈の木刀を受けた。
木刀はけたたましい音を立てて折れ、頭蓋からはどろりと血が流れる。
強い一撃に、男は口角を上げる。直感的に、玲奈の能力を理解する。
「異獣召喚ならぬ、偉人召喚、か?」
玲奈はいつの間にか、折れた木刀を二本構えていた。
その姿に、漸く男は名前を思い出す。
遥か昔、巌流島で決戦した伝説の剣豪、二刀流・宮本武蔵の名前を。
当然のように、右の木刀が振り下ろされる。距離を取らんと下がるも、間髪入れずに木刀が追いかけてくる。
鋭い連撃が繰り出される。
宮本武蔵の戦い方を知っている訳ではない。
そもそも、武蔵の戦闘の大半は史書にあるものをベースに創作されたフィクションだ。
果たして玲奈の戦い方が、武蔵のそれと一致しているかなど、男に知る由もない。
だが、紛れもなく、男は玲奈の力を「偉人召喚」だと見抜いていた。
度重なる斬撃を躱しながら、さてどうするかと男は考える。
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「召喚系なんだね、よこのチカラ」
素振りを終えた楓が、書を読んでいる玲奈に声をかけた。
うんと頷きつつ、玲奈はぱらぱらと頁をめくる。
楓が何の気なしにのぞき込んできたが、見られて困るものでもなく、玲奈は何も言わない。
「これが、呼び出せる魔獣?」
「うーん…そうなんだけど、ちょっと違う」
肯定と否定を同時にされ、楓は前髪の奥の瞳を揺らす。
楓の重い前髪が、玲奈は好きだった。
半分だけにかかる、黒く重いそれは、楓の視界を遮ることなく、時に流れ、時に鎮座し、楓の表情をころころ変えてくれる。
「イメージ?」
「たぶん、イメージさえできれば、何でも呼び出せるはず。本に載れば自然に召喚の詠唱は頭に浮かぶから」
話終わった途端、「凄いじゃんそれ!」と、興奮気味に楓は言う。
イメージできたら召喚できるんでしょ?凄いよ!何でもできるじゃん!と、まるでゲームの攻略本を手にしたときの子どものようにはしゃぐ。
厳密に言えば、玲奈はゲームをやったことがないから、あくまでもイメージでしかないのだが。
「でも、条件があるから」
「条件?発動条件とかあるの?」
発動条件という言葉がさらりと出てくるあたり、本当にゲームが好きなんだなと玲奈は笑う。
真っ直ぐに見つめてくる楓の瞳に頷き返す。
あ、この人の前髪も好きだけど、そもそも目も好きなんだっけ。と、ふいに感じる。
「私がイメージできないものはダメ。人から言われたりしても、私がどんなものかって分からないと召喚できない…」
「へぇー…じゃあ、私がドルマゲスとかラプソーンとか言っても分からないんだ」
「なに?ドル…?」
それが有名なゲームのラスボスだということは、後ほど、インターネットで検索して知った。
私が無知なのか、彼女が博識なのかは、分からない。
「あとは、体力かな」
「召喚術って、術者の体力も関係あるの?」
「厳密に言えば、私のチカラは召喚じゃないから」
人見知りな彼女がこうして距離を詰めてくるのは割と珍しいほうだし、何より、本当に興味があるんだなと微笑ましくなる。
そんなにゲームみたいかな、私のチカラ。
「私のチカラは―――」
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玲奈の左の木刀が、男の体を弾き飛ばした。男は壁に背中から激突し、鈍い声を漏らす。
玲奈は肩で息を整える。
心臓の音が鼓膜を破らんほどにうるさくて、既に限界が来ていると気付いた。
汗が目に滲み、視界がぼやける。
水、ああ、水が欲しい。
まだ長期戦を超えられる体力が付いていない。
いつもより練習メニューを増やさないとと考えながら、楓が倒れているカウンターの向こうへ行こうとする。
が、男が背後でゆっくりと立ち上がる気配を覚える。まだ闘えるのかと振り返る。
頭から血を流した男は、口角を上げて、構えた。長期戦は避けたいが、覚悟するしかない。
男の姿が消える。
が、捉えきれないほどではない。
速度が落ちていることに気付く。
続けて下から蹴りが来る。が、これも見切っている。
淡々と攻撃を躱し、一発、木刀で受け止める。
そのまま力を込める。
木刀と拳の押し合いになる。
「身体が悲鳴を上げているぞ……?」
それはお互いさまだろうと押し返す。
続けざまに攻撃を繰り出し、男の膝を砕いた。これで8撃ほどは喰らわせているはず。だが、それでも男は倒れない。
急所を微かに外しているのか、単に自分の力不足なのか、男の体力がそれを超えているのかの判別はできない。
男の頭蓋からの流血を確認できる。もう時間がないのは、自分も相手も同じだ。
この能力を行使できる時間にも限度があり、楓の状況もまだ把握し切れていない。
命の別状はないだろうが、だからといって放っておくわけにはいかない。
援軍を待つ暇もなければ、援軍がなければ勝てないと思われるのも癪だ。
たった一人で闘っていた、楓のことを想う。
楓と玲奈。
容姿も性格も、考え方も正反対だった。
楓はさまざまな場所で経験を積み、押しも押されもしない、期待の新人としてリゾナンターに加入した。
対して玲奈は、何の力も有していなかった。
なぜ自分が選ばれたのかもわからぬまま、この半年、ひたすらに自分の“内なる力”と向き合う日々が続いていた。
そういった静かな能力が此処に存在していることは、薄々気付いていた。
だけど、気付かないふりをしていたのだと思う。
厄介事に関わるのも、何か面倒なことに巻き込まれるのも苦手だった。
平穏で安息で静かな日々を送ることが最良だった。できるだけ目立たずに生きていく。それで満足だった。
だから、こうして矢面に立って闘うことなど、考えもしなかった。
楓はいつも、玲奈の前に立って走っていた。
先陣を切って敵をなぎ倒し、玲奈の立場が危うくなれば一目散に駆け寄ってくれた。
同期だけど、先輩のような、不思議な感覚。
楓ができることは当たり前で、楓ができないことは、自分も出来なくて。
玲奈よりも楓はできる。それが世界の真実のような気がしていて。
でも、そんなことはない。
ずっと私は、かえでーに頼っていた。
護ってくれていることを分かっていて、それにずっと甘えていた。
ごめん。
ごめんね、かえでー。
でも、もう、大丈夫。
大丈夫だから。
「私だって、リゾナンターの一員です」
男の踏ん張りがきかず、後退する。
押し負けるわけにはいかないと堪えたようだが、先ほど砕かれたそれはもはや機能しない。
「かえでーを傷つけた、あなたを赦さない!」
彼女はそうして、力強く地面を蹴った。
男と玲奈の間に、一瞬の間合いができた。
けたたましい音の後、木刀であったそれは箒に姿を戻す。
武器がなくなる。
男が斃れる。
玲奈は右腕を振り上げる。
勝負は互角。
此処は分水嶺。
すぐに切り替えなくてはいけないと思った男は、目を見開いた。
目の前にいる少女。
先ほど見た殺戮の喜びとは違う、迷いのない瞳。
そう、それは。
重苦しい前髪の奥、血に飢えた獣のように深紅の怒りを携えた加賀楓の姿を、男は見た。
瞬間、男の顔面に玲奈の拳が叩きつけられる。
勢いよく男は床に脳を打ち付ける。
頭蓋が激しく揺れ、あり得ない音が響く。何処が折れたかなど、想像したくもない。
「っ……かはっ……」
連撃を受け、遂に男は地に伏した。
もう指先ひとつ、動かすことができない。
段々と意識が遠のいていく。
俺は死ぬのかと、目前に迫る終わりの瞬間を考える。
「終わり。」か。
いつ、始まっていたのかも定かではない。
気付いたら俺はこの世界に佇んでいた。生命を与えられたが、名はなかった。
ただあったのは、存在だけだ。
無様だなと笑うしかない。
だから、きっと。
俺は、羨ましかったんだ。
意味のある、生命を生きる、リゾナンターたちが。
男には、横山玲奈と加賀楓が重なって見えた。
その姿が幻だったのかどうかは、もう判別できない。
ただ負けたという事実だけが圧し掛かり、はねのけることができない。
男の世界はそこで終わる。
後に残るのは、さらさらとした、砂だけだった。
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「かえでー…」
玲奈は楓を抱き起す。
意識のない楓に、「加賀楓」の魂を戻すために。
「……ごめんね、少しだけ、借りちゃって」
玲奈はそう言うと、自らの彼女の額にそっと人差し指を当てた。
男の見た「加賀楓」の姿は、決して幻ではない。
あの時、玲奈は確かに「加賀楓」を召喚させていたのだから。
―――「私のチカラは、“憑依(ポセッション)”に近いの」
つまり、実体のない魂を自らの肉体に憑依させるチカラだ。
術の有効範囲は、玲奈がイメージできる人物。そうであれば、生きている人間でも可能だ。
だが、生きている人間から“魂”を強引に剥ぎ取り、そして戻すことは賭けにも近い。
“肉体”という容れ物が異なるため、拒絶反応が起こることはもちろん、容れ物側の体力が削り取られ、
“魂”を一時的に自分の肉体に定着させて闘うのは、骨が折れる。
例えば拒絶反応が起こることや、魂が元に戻らないことも十分にあり得る。
まして最後は、楓の“魂”を呼び寄せた。
生きている人間の“魂”を肉体から引き剥がしたのは、初めてだ。
楓が半ば気絶しているからできたことだが、意識のある相手からそんなことをすれば、
一瞬だけとはいえ、うまくいって良かったと玲奈は胸をなで下ろす。
「かえでー……」
水を含ませたタオルで彼女の顔を拭く。
楓は溺れた後のように、「がはっ!」と勢い良く息を吐き、こちらの世界に“戻って”きた。
「……よこ……?」
重い前髪の奥から不安そうな瞳を覗かせる。
傷だらけの、だけど笑顔の玲奈を見て戦況を把握しつつも「あの、男は?」と訊ねた。
申し訳なさそうにしながら、タオルで顔を拭いてくれる玲奈に、楓はされるがままになった。
もう指先を動かすのも重苦しい。自分の肉体でもないような感覚に、楓は疲労を覚えた。
はぁーっと深く呼吸をして、天井を見上げる。
ふと楓は、玲奈が此処に戻ってきた時の第一声を思い出した。
―――「かえでー、ただいまー!」
あの時、玲奈は確かにそう言った。
何のことはない挨拶だが、それが意味する物は深いと、感じた。
彼女はどうして、『楓が喫茶リゾナントに一人でいることを知っていた』のだろう。
まず、「ただいま」と言うのに、此処に居ない相手の名は呼ばない。
玲奈は帰ってくる前から、楓がいたことを知っていた。
そして、譜久村聖でも生田衣梨奈でもなく、楓だけを呼んだ。
楓以外の誰かがいたら、「何で加賀ちゃんだけ?」となるだろう。楓だけを呼んだ時点で、
その確証を、彼女はいつ手に入れたのだろう?
思考が段々と鈍くなっていく。
玲奈の姿が徐々に見えなくなる。
ああ、もう体力の限界だと、瞼を閉じる。
横山玲奈は喫茶リゾナントの裏口で、誰かと電話をしていた。
「はい……大丈夫です。私も、加賀も。襲撃した男は粛正しました」
暫く無言が続く。相手の言葉に静かに頷き「大丈夫です」ともう一度続ける。
「全部、終わりましたから」
玲奈はそうして電話を切る。
ふうとひとつ息を吐き、電話を胸元で握り締める。
その目に映る世界は、ひどく、曖昧な色を宿していた。
電話を切る直前に、譜久村聖は、「あなたの思い通りにはさせません」と、しっかり咆えた。
その言葉が「届いた」かどうかは定かではない。だが、彼女は真っ直ぐに未来を射抜く瞳を携え、咆える。
静かなる咆哮は、大地の向こう、地の果てまでも遠く響く。
同じく電話を切ったばかりの生田衣梨奈は、大げさに肩を竦めてみせた。
「我らがリーダーを怒らせると怖いっちゃけど」
からかうつもりで言ったのに、聖は笑わなかった。衣梨奈は困ったように髪を掻く。
「リゾナンターを壊す人は、私が赦さない」
その瞳は、いつか聞いたあの『赤眼の狂気』を思わせて、衣梨奈は少しだけ、身震いをした。
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彼はファイルをめくる手を止めた。
大きくバツ印を付けて、閉じる。
これでもう何人目かは、覚えていない。
あくまでも自分の仕事は「調整」だ。彼女たちの能力を引きずり出すだけでしかない。
所詮、この世界は誰もがコマだ。私も、彼女たちも。
ああ、時間が、もう、ない。
「……キミは、何処にいるんだ、鞘師里保―――」
彼はそうつぶやいて目を閉じた。
闇がゆっくりと広がっていく。
世界は呼吸を止め、夜の始まりを告げる鐘が、鳴り響いた。
投稿日時:2017/06/25(日) 21:07:33.43
作者コメント
以上「The curtain rises」
タイトルは「BRAND NEW MORNING」悩みましたがこっちで。
ハロプロどうなるんでしょうね…
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