『リゾナンター爻(シャオ)』 01話


その場所は、見渡す限り、水に覆われていた。 
果てしない水と、果てしない空が広がっているだけ。 
水深は、大して深くない。精々里保の踝を濡らす程度。 
それでも、やはり気が乱れる。あの時のトラウマをどうしても思い出してしまう。 
この場所を「リクエストした」のは里保自身なので、文句など言えないが。

改めて、相手を見る。 
屈強そうな女性が、二人。 
一人は細身ながら鍛え上げられた筋肉が嫌でも目に付く、長い黒髪の女性。 
そしてもう一人はいかにもパワータイプといった感じの短髪の女性。 
どちらも、里保よりも背が高い。まともに組み付かれれば不利、しかも人数分のアドバンテージが向こうにはある。

それでもやるしかない。 
意を決した里保が駆け出す。水しぶきが飛び、水面に波紋が走る。 
目標は短髪の黒髪。もしも里保が水限定念動力 ― アクアキネシス ― を使うことが許されていたら、
どちらかに決め打ちすることなく双方を攻撃の射程圏内に入れていただろう。しかし、今回はそういう目的の戦闘ではない。

「舞美じゃなくて、まぁなわけ? その選択、後悔するよっ!!」

短髪の女性は、その肉厚な唇の端を上げ、体勢を低く構えた。 
金剛化。一度硬化した肉体は、生半可な攻撃など受け付けない鋼の鎧と化す。

「でやぁっ!!!!」

相手の懐に入り込んだ里保が、怒涛の攻撃ラッシュを仕掛けた。 
小さな体からは想像もつかない勢いの、右拳の一撃。間髪おかず、二発、三発。さらに。 
相手の利き足であろう右足へのローキックからの、旋回回し蹴り。そこから展開した飛燕脚。

鞭のように撓る蹴り技は、まさに踊っているかのように軽やかに。 
それでいて、食い込むような鋭さを併せ持つ。 
短髪の女性はそれらを受け止めながらも、里保が繰り出す技の影に一人の女性の姿を見出していた。 
あの建設現場で、彼女たち七人を向こうに回して圧倒的な力の差を見せつけた、その姿を。

里保が蹴り足で真上に振り上げる。 
空を切り裂く踵落とし、しかしそれは女性の頭上に組まれた両腕に止められてしまった。

「まだまだ一撃が軽いね!!」

里保の足を弾き飛ばし、体勢を崩したところに相撲の張り手を彷彿させる掌底が襲う。 
まともに喰らえば内臓破裂、または重度の骨折を引き起こすほどの威力ではあるが。

「…小手調べですから」

大きく後ずさったものの、里保はほぼ無傷。 
衝撃から体を逃がし、ダメージを最小限に抑えたのだ。

「こっちにもいるの、忘れないでほしいなあ」

刹那。 
背後から伝わる強烈な気配。咄嗟に身を翻したのは正解だった。 
短髪の巨漢に気を取られているのを好機と捉えたのか、ノーマークの長髪の女性が里保に向かって殴りつけてきたのだ。
標的を見失い、拳がそのまま水面に炸裂すると、周囲に凄まじい量の水飛沫が飛び散った。

一対一の形に持ち込もうとしたのに、相手に強引に一対二の形にさせられてしまった。 
ただ、これは想定済み。 
里保は短髪の女性と手合わせしたことがなかったから、相手の力量を測る意味で最初に狙いをつけていただけの話。

二人の女性を前に、腰の刀を抜く。 
そして刀とは逆の手で、黒塗りの鞘を持ち空を切り、鞘と刀を交差させて構える。 
ここからが、本番。里保は意志の強そうな口元を真一文字に引き締めた。

「そんな二刀流もあるんだ」 
「舞美、感心してる場合じゃないって」

素直な感想を述べる長髪の女性を諌めつつ、里保の出方を伺う短髪。 
最初にこの小さな剣士の話を聞いた時にはそんな戦闘スタイルをとるとは聞いていなかった。考えられることは一つ。 
当時より、成長したということか。

「でも、まぁたちだってあれから強くなったんだよ!!」

迅い。 
構えつつも後方の攻撃にも備えていたつもりだが、それでも。 
見た目の巨体からは想像もつかない速度で、短髪が突進してくる。それはまさに、猛獣の如く。 
普段の里保なら、水の盾を展開し相手をけん制しつつ、もう一方に攻め込むだろう。 
だが、今回はアクアキネシスを使うことなく、体術と剣術のみで戦わなければならない。

一撃必殺。 
そう表現するのに相応しい短髪の女性の腕が里保に迫る。 
一際大きな掌が里保のか細い首を掴みへし折る前に。 
黒い軌跡がその手を弾く。 
怯まず繰り出されたもう片方の手もまた、刀の黒い柄に打ち据えられた。 
相手が踏み込む度に、水飛沫が飛び、里保の視界を遮る。対して里保の動きは滑らかな鏡のように。 
静と動、互いの息をも吐かせぬほどの攻防。踊るような里保の刀裁きに、怪力で鳴らす短髪の女性は攻めあぐねていた 。

しかし。 
そうこうしているうちに、長髪の女性もまた里保との距離を詰めていく。 
もちろんそのことに気付かない里保ではなく。 
かつて里保を苦しめた、体に纏わせた水の鎧は健在。背後には龍のようなオーラすら見える。
あれは水を操る力が具現化したものか。 
さて、どうする。どう切り抜ける。

里保は、迷うことなく宙を舞う。 
それは襲う側の二人も想定済み。だが。

「そんなのあり!?」 
「高い!!」

明らかに、跳躍の到達点が高い。 
それもそのはず。里保は水面に刀を突き立て、それを足場に宙返りを繰り出していた。 
結果、二人は空に舞う里保を目で追おうと顔を上げる形となる。

死角になりやすい上空からの奇襲。 
ただ、逆に言えば攻撃特化の防御がおろそかになる攻撃。 
このまま落ちていけば、下手をすれば力自慢の二人の餌食になってしまう。

その時だった。 
長髪の女性目がけて投げられる、里保の刀。 
拳で弾き飛ばすも、そこに一瞬のタイムラグが発生した。

「うおおおおおっ!!!!!」

急降下する里保の目標は短髪。 
そこへ、挟まれた時間差を取り戻そうと長髪の女性が猛追する。 
里保の攻撃が届くのが先か、それとも挟み撃ちにされるのが先か。 
一瞬。ほんの一瞬だけ。相手の二人のほうが速かった。

落下点で発生した強烈な衝撃で、地面の水が派手に飛び散る。 
水しぶき、いや水煙と化したそれが晴れてゆくとともに見えたのは。

両側からの攻撃を、鞘と刀で食い止めている里保の姿だった。

「はーい、三人ともそこまでー」

場に合わない甲高い声が響き渡る。 
それとともに、周りの景色が変化していった。

見慣れた部屋の壁。衝撃を最小限に抑える床マット。 
里保は大きく、息をついた。

ここは、喫茶リゾナントの地下に設けられたトレーニングルーム。 
そこを先程の甲高い声の女性が幻視の能力によって、水の張られた空間のように見せていたのだ。

「あれからそんなに経ってないのに、ここまで体術を完成させるなんてね」

ついさっきまで拳を交え戦っていた長髪の女性。 
そんなことなんてなかったかのように、明るい笑顔で握手を求めてきた。

「いや、まだまだです。剣術ともっとうまく融合させないと、完成したなんて言えないです」 
「鞘師ちゃんは真面目だねえ。うちの千聖にも見習わせたいくらい」

堅く握手を交わす。 
矢島舞美。かつてダークネスの先兵として里保と激戦を繰り広げてきた彼女と、こうして握手できる日が来るとは。 
あの時の戦いを思い出し、感慨に身を浸していると、

「ヤッシー、めちゃくちゃ強いじゃーん!!さすがリゾナンターのエースだね!!!」

ばちーん、と音がしそうな勢いで背中を叩かれた。 
先程の攻撃よりも力を込めてるんじゃないか。そう思わざるを得ないほどの一撃に、里保は目を白黒させる。

「エースだなんてそんな…田中さんと比べたら」 
「さっきのローキック?あれすっごい効いたんだけど。田中さんの蹴りとそん色ないくらいに」

巨漢の女性・須藤茉麻が豪快に笑いながらそんなことを言う。 
彼女もまた、ダークネスの命を受け田中れいなに挑んだ過去があった。

「やっぱさー、若い分だけ成長が早いんじゃない?ヤッシーまだ赤ちゃんみたいな顔してるし。
うちらなんてもうおばさんだからさー」 
「もう、ちぃったら。ももが聞いたら『ももち、まだぴちぴちですぅ~』とか言うよ?」 
「う、今リアルに想像して寒気がした」

幻視能力の持ち主である徳永千奈美も含めた彼女たちは。 
リゾナンターに破れた後、警察組織の預かりとなった。そして彼女たちの能力を惜しんだ上層部が、
彼女たちをそのまま能力者による特殊部隊に組み込んでしまったのだ。

「でも、みなさんにそう言っていただけると光栄です。胸を貸して欲しいなんてわがまま言ってしまいましたけど、
よかったと思います」 
「鞘師ちゃんは謙遜家だね。例の海上の孤島の事件の後も、結構活躍したんでしょ?」 
「あ、千奈美知ってる!ゴキゲン洋でのシージャック事件だっけ?あと新都心が大量の虫に襲われた事件とか。
そうそう、元ダークネスの下部構成員が地方で作った組織ともやり合ったんだって?」

千奈美の言うように、田中れいなを失ってからも、いや、失ったからこそリゾナンターたちは破竹の勢いで実績を上げてきた。
業界内ではかつての9人の時代に匹敵するくらいの高評価を得ているとも言う。だが。

「まだ、足りないんです。うちらは、うちは。もっと強くならないと」

道重さんを支えられるくらいに。

れいなという大きな戦力を失ったリゾナンターたちは、さゆみを先頭にそれまで以上の活躍をしてみせた。
リゾナンターのリーダーとしてさゆみは単純な戦闘力ではなく、戦略を組んだり相手との交渉を有利に進めることで、若きメンバーたちを引っ張ってきた。 
だから彼女の負担を少しでも軽くするために、自分達も向上していきたい。

突然鳴り響く、着信音。千奈美の携帯からだった。

「もしもし、あ、熊井ちゃん?えっ、何言ってるかわかんないよ落ち着いて。とにかく、どこにいるの?
わかった、すぐ急行するから」 
「千奈美どうしたの?」 
「よくわかんないけど、熊井ちゃんと梨沙子が手こずってるみたい」

電話の相手は彼女たちの同僚である熊井友理奈だった。 
任務で向かった能力者討伐に苦戦しているという。

「ごめん鞘師ちゃん、私たち行かないと」 
「いえ。これだけしてもらっただけでもありがたいです。今はお友達のほうを優先してあげてください」 
「そう言ってもらえると助かるよ」

申し訳無さそうに言いながら、舞美たち三人はトレーニングルームを後にした。

その背中を見送りつつ、大の字になって倒れこむ里保。 
形式だけの模擬戦とは言え、やはり相当体力を消耗させられていたようだ。 
やっぱりあの人たちは強い。自分は、まだまだだ。けど、それで終わらせるわけにはいかない。 
そういう思いを、強くする。

あれ以来、ダークネスの動きはない。 
自ら情報屋を営む里保たちの先輩である光井愛佳によると、例の孤島での戦いの最中に組織内で内乱があり、数人の幹部を欠いた状態であるという。また、孤島に同行した元リゾナンターのリーダー・新垣里沙は孤島にいた幹部の一人と戦い、再起不能の状態に追い込んだと語っていた。 
つまり、相手は自らの組織の建て直しでリゾナンターに構っている暇はないということになる。

けれど、そんな無風な状態がいつまで続くか。 
連中は再びこちらに手を出してくる。さゆみは確信に近い口調でそう言った。 
ならば、その間に少しでも強くならないといけない。 
能力を失い一戦を退いたれいなに格闘術の手ほどきを請願したのも、そのためだった。

焦っていると言えば、それまでかもしれない。 
けれど、悠長にしていられるほどの時間はない。 
里保の感覚が、そう訴えていた。


作者コメント
性懲りなくЯの続編を始めてしまいましたw 
おそらくこれで最後になるはずです 
みなさんのお話の繋ぎとなるべく何とか更新していきますのでよろしくお願いします

投稿日:2014/06/13(金) 01:56:15.43 0





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