(122)276 『リゾナンター爻(シャオ)』83話
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ここは、社会の縮図だ。
ダークネスの首領・中澤裕子は自らの私室の奥にあるこの部屋に入るたび、そう実感する。
大小さまざまなモニターが裕子を取り囲み、そして一際大きな画面が、五つ。
現代日本を思いのままに操る妖怪たちの、支配系統がそこにはあった。
「また派手に暴れてくれたようだな」
「我が国最大級の娯楽施設であのような騒ぎなど」
「揉み消すのにどれだけの金と労力を費やしたのか、わかっているのか」
「しかも騒動の主はあの忌まわしき悪童どもらしいではないか」
「聞くところによるとリゾナンターに始末されたというが」
「それは喜ばしい。だが問題はそこではない」
「彼奴らが生きていようが死んでいようが、罪からは逃れられんぞ、中澤」
「わかっているのだろうな」
矢継ぎ早に、浴びせられる非難。罵倒。
ある者は、警察組織のご意見番として。ある者はマスコミを陰で操る重鎮として。その他の者たちも、この国を形成する
ありとあらゆる権力機構の上に立つものとして。いずれもその地位にいることで利益を貪り、肥え太ってきた怪老ばかり。
そのご老体たちが、思いつくままの呪詛を浴びせ続けていた。
折り込み済みではあるが、いつ聞いても耳の腐る思いしかない。
滲み出そうになる嫌悪感を、裕子はかろうじて抑えていた。
ふと、罵詈雑言の流れが収まる。
降臨したのだ。彼らを束ねる五人の長「ブラザーズ5」が。
「…正直。君には失望したよ、中澤裕子」
いかにもこれまで目をかけていたのに、とばかりにため息をつく長髪のサングラス・同士Ⅰ。
「ご希望に添えることができず、誠に申し訳ございません」
「形だけの謝罪はもういい。我々も、そのような膠着状態は望んではいないのだよ」
頭を垂れる裕子に対し、髪を短く切り揃えた老人・同士Sは含みのある言葉を投げつけた。
「と、言いますと…」
「我々とお前の付き合いも長い。確か、あれはまだお前らが『M』と名乗っていた頃」
「昔話はやめましょう。単刀直入にお願いします」
「腹を割って…話そうじゃないか」
人のよさそうな笑顔を浮かべ、恰幅のいい老人・同士Bが語りかけた。
だが言葉とは裏腹に、老人たちの表情はあくまでも悪意に塗らつき、鈍く光を放っている。
「私は物事を包み隠さずお話しているつもりですが」
「はは…ならば、こういうのはどうかな。もしも…我々が『ダークネス』と縁を切り。『先生』率いる能力者集団にそれまでお前たちに任せていたすべてのことを委譲する。と、言ったら?」
色黒の、口髭を生やした男が、得意げに問いかける。
「ブラザーズ5」の筆頭たる男・同士Hこと堀内の、唐突なる提案。いや、提案ですらない最後通牒だった。
どよめくのは、五人の長老の子飼いの権力者たち。
そのどよめきには、多分の歓びが含まれていた。
「おお…それはいい考えですなぁ」
「今や資金力ではあちらのほうがむしろ頼れる存在かもしれませんぞ」
「『天使』も『悪魔』もいない状況では、致し方ありませんなあ」
「これは愉快だ!いい様だな、中澤!!」
現在ダークネスが所有しているすべての利権を手放すということは、組織の「衰退」を意味していた。組織は弱体化し、
結束力は失われ、外からの簒奪者と内部分裂の危機に絶えず晒されることになる。
回避するためには、戦わなければならない。もちろん、それが困難を極めることは想像に難くないが。
自らの権力で私腹を肥やし続ける醜い老人たちは。
一見自分たちが「ダークネス」をいいように使っている気でいて、その実飼い犬に手を噛まれるのをひどく恐れていた。
それは突き詰めて言えば、人間としての原初の恐怖。能力者という存在への恐れに他ならない。その証拠に。
「…さっきから、ごちゃごちゃごちゃごちゃうっさいねん。その臭い口、永遠に閉じさせたろか」
それまで、静かに頭を垂れていた裕子が、顔を上げ。
鋭く研ぎ澄まされた視線を、老人たちへ向けた。途端に顔を青くさせる彼らの脳裏には、裕子が地を這う虫に対する捕食者であるかのようなイメージが強烈に刻み込まれたことであろう。
「き、貴様ようやく本性を現したか!!」
「許さんぞ!我々に向かってそのような物言い、捨て置くわけにはいかんぞ!!!」
「化け物風情がよくも…思い知らせてやりましょうぞ、『ブラザーズ5』!!!」
刻み込まれた恐怖はすぐさま屈辱へと姿を変える。
憤りが醜く太った、または皺がれた皮だけの体を駆け巡り、自分たちの指導者たちへ懇願させる。
異端者どもへの、制裁を。
彼らにとって、否、歴代の為政者たちにとって、能力者は厄介な異端者にすぎなかった。
「喜べ中澤。楽しい、能力者同士の全面戦争の始まりだ。資金力で勝る彼らに、君たちがどれだけ持ち堪えられるのか。
高みの見物をさせてもらうとしようか」
あくまでも落ち着き払ったものの言い方をする細面の老人・同士T。
瞳に宿るのは、侮蔑と、そして昏い炎。自分たちに服従しているようで、その実常に喉元に突き立てるための牙を研い
でいる。その態度への、復讐の色だった。
「それもええですけど」
だが、裕子は揺るがない。
嘲りに満ちた、為政者たちの放つ炎に炙られながらも。
凛とした表情を少しも崩さなかった。
「ほう。余程闇の組織の長は血で血を洗う争いを好むと見える」
「いいだろう。その身が崩れ落ちるまで、存分に戦うがいい!!」
裕子を鼻で嗤う同士Ⅰ。
嫌味なほどだった満面の笑みを消して、憤怒の表情を顕にする同士B。
だが、彼らの表情は次の裕子の一言で一瞬にして破壊される。
「うちらも手ぇ、拱いてる場合と違いますから。そちらがその気なら…差し向けますよ。『粛清人』を」
嘲り嗤う余裕も、憤る傲慢も。
一瞬で止めてしまうほどの、言葉の威力。
彼らが、自分たちの障害となるもの、徒に正義を振りかざすものに対して。
差し向け、その命を悉く狩ってきたのが「粛清人」だった。
その死神の刃が、自分たちの喉元に宛がわれている。
肝を冷やさずにいられないわけがなかった。
一瞬の躊躇、それが、すぐに雪解け水のように流れ消え去ったのは。
彼らの切り札が、まだ隠されていたから。
「ならば我々も惜しまずに使うとするか。『Alice』をな」
堀内は、笑っていた。子供のように。ずっと隠していた秘密を、打ち明けた時のように。
そこで裕子の表情が、はじめて動いた。
感情の揺らぎを確認し、悦に入る5人の老人たち。
「さすがにそこまでは想定できなかったようだな。だが我々は、こうなる前から既に『Alice』の使用を検討していたの
だよ。お前らが牙を剥くその時に備えてな!!」
「お前のところの生意気な科学者…ドクター・マルシェと言ったか。いくら優秀な知能を備えていても、しょせんは女子
供か。我々が、独自のルートを駆使し『Alice』を使いこなすようになるとは夢にも思わなかっただろう」
「さあ。どうする? と言っても」
意地悪く、堀内が微笑む。
それは言うなれば、確勝の笑み。
「我々が『Alice』の発射ボタンを押す決定は、覆らないがね」
更新日時:2016/06/03(金) 13:39:52