(136)242 『the new WIND―――共鳴の果てに』

「もしかすると、共鳴は完成を求めてないのかもしれない」

愛は、テーブルのカップを手に取ると、キッチンの流しで洗い始めた。
ドロドロになった砂糖と珈琲を捨て、手際良くスポンジを滑らせる。

「共鳴は、自身が強く響くと能力保持者の負担が増えることを理解している。
 だからこそ、ある程度の不安要素や未完成であるほうが、能力保持者も良いバランスで闘えると考えているのかも」

カップを洗い終え、キッチンタオルで拭いた。
それは、共鳴が意志を持った存在と認めた発言だった。
“共鳴”が実体を持たないものだと分かっていても、その発言に耳を傾けざるを得ない。
実際、この身体の不調はれいなの命をも蝕むのではないかという不安もあった。

恐怖が生まれる。
“共鳴”を背負うことの、恐怖。
信頼が強すぎるが故の、反鳴だ。

「だから、新人を呼んで、新しい共鳴を作る……ってことなんだね?」

さゆみが出した結論に、愛と里沙が頷いた。

「新人を入れれば、否が応でも共鳴は乱れる。信頼が築かれるまで時間はかかるしね。
 世界的に広がる闇への対抗に、各地への異動が1人ずつなのも、2人以上だとそこに共鳴が生まれてしまうから」

これが、上層部がくだした最終結論だよ。と愛が言った。

それから暫く、沈黙が続いた。
自分たちが信じてきたものが、何もかもまやかしだったように思える。

“共鳴”。
“resonance”、“sympathy”。
振動体が、その固有振動数に等しい外部振動の刺激を受けると、振幅が増大する現象。
英和辞典や国語辞典に載った言葉では説明しきれない、9人に結ばれた絆。
それは、呪いだったのか。
此処は居場所ではなかったのだろうか。社会の半端ものとして生きてきたれいなたちの、最後の砦ではなかったのだろうか。
所詮は、何処に行ってもどん詰まりなのだろうか。

頭の中では分かっていた。
だけど、どうしても、心が理解することを阻害する。
共鳴というものに対して、確かにれいなたちは無理解すぎたのかもしれない。
実体をもたない、得体の知れない能力。それは分かっていたが、少なからず、期待していた。
行き場のなかったれいなたちを繋ぐ絆を。希望の光を。喜びにも変わる想いを。

それは、諸刃の剣だったのかもしれない。
身体を蝕み、強すぎるが故の、反動。
共鳴は私たちを殺すものなのだろうか……? 

さゆみは、いつか里沙の口から聞いた「蠍の入った財布」の話を思い出した。
あれは、こういうことだったのだろうか。
共鳴という危うい毒が、私たちの能力を強くする。しかし、強くなりすぎると毒が回り、身体に不調を来す。
蠍に刺されないようにお金を使い続けるとは、随分と無謀な話だったのだなと苦笑した。

「そんな大変なリスクがあるってこと、新人ちゃんたちは知ってるんです?」

角砂糖のひとつを風で宙に浮かべながら、絵里が問う。
その問いに、愛も里沙も何も言わなかった。
それを肯定と受け取ったのか、「それはフェアじゃないよー」と苦笑する。

「自分の身体がぼろぼろになるかもしれないのに、リゾナンターになるかなぁ?それに、その新人ちゃんたちってどうやって選んだの?」

絵里は、普段はとぼけている事が多いくせに、時に鋭い指摘をする。
確かに彼女の言う通りだ。
共鳴の副作用のことを黙ったまま新人とリゾナンターを組むのは無理がある。
そもそも新人なんて、どこから集めてきたのだ。

そんな疑問は、愛の一言で解消されることとなる。
いや、どちらかといえば、疑問が深まるといった方が正しいかもしれない。
こめかみをかきながら「れいなたちは、会ったことがあるよ」と、彼女は言った。

会った?いつ?

「自分たちから志願したんだよ。これは嘘じゃない。
 副作用のことは、まだ確証がないから伏せてあるけど、れいなとさゆに合流するときには、伝える」 

「………覚えてないかな、私が崩落に巻き込まれそうになったとき、地下施設にいた女の子たち」

里沙の助け舟を聞き、記憶を掘り起こす。

地下施設にいた少女たち。
そう言われても、顔までは思い出すことはできなかった。
確かにあの場には献体として、何人かの少女がいたのは、覚えているが。

「……前に、絵里と愛佳が入院している病院で立てこもり事件あったでしょ?あの子たちは、その犯人たちの娘だよ」

思いがけない言葉に、空気が震える。
実質的に、絵里と愛佳を異動させる契機になった事件の首謀者の娘が、リゾナンターに志願したという事実が、心を、駆け巡る。
目まぐるしく展開する現実についていけなくなる。
愛佳がダン!と机を叩いたのは、直後のことだった。
ここまで共鳴の危うさを語った彼女だったが、新人の話は聞いていなかったのかもしれない。

「どういうことです……あの犯人たちの娘って…」
「そのままだよ。あの子たちは、自分の父親がしたことに巻き込まれて、居場所を失って、施設でもひどい扱いを」
「だからって!」

愛佳が言葉を紡ごうとするが、上手く音にはならなかった。
分かっている。父の犯罪と、娘は無関係だ。
元々リゾナンターは、社会に受け入れられなかった異能の集まりだ。自分も含め、此処が唯一の居場所。
分かっている。分かっている。分かっている、けど… 愛佳は絵里の表情を伺った。 

その父親たちさえいなければ、戦線を離脱することはなかったかもしれない、絵里のことを。
いずれ異動させられる運命だったとしても、あの時期ではなかったかもしれない、絵里のことを。

「……絵里。あのとき、絵里が救った子覚えてる?」

絵里は一瞬開きかけた口を閉じ、思考を巡らせる。
救った?
眉をひそめながら記憶をたどる。
あまりにも多くの情報が錯綜し、脳の引き出しから引っ張り出すのも一苦労だった。

「あのとき、“傷の共有(インジュリー・シンクロナイズ)”で救った子、あの子も志願したよ」

“傷の共有(インジュリー・シンクロナイズ)”―――
そう言われて、思い当たる。

だが、弾かれたように立ち上がった。
脚を撃たれたあの少女は。

「まだ6歳とかじゃなかった……?」

少女というには幼すぎた。彼女はまだ、幼女だ。
いくらなんでも、志願したとはいえ、そんな子どもまでもこの闘いに巻き込むのか?
そんなにも、新人を入れる必要があるのか?

「……もう、呼んだ方が早いかな」

これ以上は、混乱に混乱が重なるだけだと判断したのか、里沙がゆっくり立ち上がった。

愛は両目を閉じ、深く深く息を吐く。
そして、誰にともなく「ごめん」と謝った。
それで場の空気が収められるほど、絵里やれいなたちは大人ではなかった。だが、愛を罵倒するほど、子どもでもなかった。
中途半端に大人になってしまうということは、すなわち、諦めも覚えるということなのだろうかと思う。
リンリンは困ったように眉を下げ、「お茶、お代わりしまショ?」と笑う。
それが、精一杯だった。


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里沙が、彼女たちを連れてきたのは、それから15分ほど経ってからだった。
くすぶった気持ちを持て余しつつ、れいなたちは個々人で、状況を整理していた。

上層部が決めた、解体という決断。
それは、世界各国へと広がる闇への対抗と、強すぎる共鳴への対応策。
術者の身体を壊すかもしれないという大きな副作用をもった、共鳴というもの。
共鳴に対して、れいなたちはあまりにも、無知だった。
そのとき丁度、あの男が現れた。世界のすべてを破壊し尽くさんとする、クローンの黒衣の男。
破壊衝動を持つ男によって半分以上の戦力を失った後、新しいリゾナンターをつくる。
その風を運んできたのは、病院襲撃の犯人の娘たち。そして、絵里が救った一人の少女。

情報を一気に叩き込まれ、思考回路がねじ切れそだった。
確かに理にかなっている。が、あまりにも出来過ぎている気がしてならない。
まるで、そう、何かの盤上で踊らされているような。決められた未来へのレールを歩いているような。
大いなる力の働きなんて、れいなは信じない。だが、上層部の考えに素直に頷けないのも事実だった。

なんだ。この、胸につかえる違和感は。


「お待たせ」

里沙が喫茶リゾナントへ戻ってきた。愛に倣うように、全員が立ち上がる。

「ほら、入って」

彼女の後ろから現れたのは、4人の少女たちだった。
年齢は…いくつくらいだろうか。中学生くらいのように見える。
髪の長さや体型は、それぞれ少しずつ異なっていた。

少女たちは無言だった。
何と言葉を発して良いのかも分からないようにも見えたし、萎縮しているようにも見えたし、単に言葉を忘れてしまったようにも、見えた。

だが、即座に9人は、感じ取った。
そこにある、“共鳴”を。
そして、彼女たちもまた、共鳴を覚えているはずだった。
そうでなければ、その瞳からぽたぽたと雫があふれていることに納得のいく説明ができない。
どうして泣いているのかもわからないまま、少女たちは涙を拭う。

納得せざるを得ない現実が此処にはあった。
共鳴が、彼女たちを選んだのだと。
もう、後戻りはできないのだと、その風を全身で受け止めるしか、なかった。


「かわいー!名前なんていうの?」

静寂を、涙を拭った小春が打ち破った。
その声に、彼女たちは金縛りが解けたようにはっとし、お互いの顔を見つめ合う。
愛が頬を拭いつつ、一人の背中に手をやりながら「自己紹介しよっか」と促した。
彼女は一呼吸置き、

「生田、衣梨奈です」

と言った。
肩で切りそろえた柔らかい髪が印象的で、深い輝きの瞳は、何処となくさゆみを思わせた。
続けて「鈴木香音です」と、衣梨奈より少し大きな声が響く。
アーモンド型の瞳と、頬のほくろが可愛らしく主張している。

「……鞘師里保です」

今度は衣梨奈よりも小さな声だった。
切れ長の瞳と、艶めく黒髪。身長は4人の中で一番低いが、どこか大人びた雰囲気がある。

「そして、この子が、絵里が救った子だよ」

愛から促された彼女は、4人で最後に挨拶をした。

「譜久村聖です」

簡単ではあるが、4人の挨拶が終わる。


何かを言わなきゃと思ったときには「久住小春です!よろしく!」と小春が声を上げていた。彼女は、

「リンリンです!浙江省からきましタ!」
「ジュンジュンです。よろシク」

小春の挨拶が契機となり、リンリンとジュンジュンが笑顔で自己紹介をする。新人の4人は慌てて「よろしくお願いします」と頭を下げる。
自分の同期ともいえる3人の行動に、愛佳は目尻を下げてしまう。
どうしたって彼女たちは、自由だ。こちらの考えや思惑なんてものを軽々飛び越えていく。
説明不足を追及することもなく、真っ直ぐに新しい風を受け入れるその様は、眩しくて、羨ましい。きっと、自分は彼女らのようにはなれない。
だけど、風を遮るつもりはなかった。愛佳もまた、ジュンジュンの次に自分の名前を名乗った。

譜久村聖。そう名乗った彼女が、病院で救った少女といわれても、絵里にはぴんとこなかった。
あの時、“傷の共有(インジュリー・シンクロナイズ)”を施したのは、6歳前後の少女だった。だが、今絵里たちの前にいるのは、どう見ても16歳前後の高校生だ。
震えながら自分の名を名乗ると、聖は目を見開き、深く頭を下げた。

「……ごめんなさいっ」

そして出た謝罪の言葉に、絵里は面食らった。
何に対する謝罪なのか、咄嗟に理解できない。
きっと冷静であれば、傷の共有により、あの場から助けてくれたことへの礼なのだろうと推察できたかもしれない。
だが、絵里には理解できなかった。目の前に立つ彼女が、どうして、あの少女と同一人物だといえる?

「さゆみんは見たことあるよね?地下施設の培養液」

里沙がそう口にし、さゆみは記憶を掘り起こす。
崩落した地下施設で、さゆみたちは紺野と対峙した。そのとき、部屋の中心には確かに大きなカプセルがあった。

 
―――「体内時計もちょっと早めて、あと試作品の成長剤も打ってる。外に出すには早すぎるんだよ、まだ」


紺野の言葉が甦り、はっとした。

「あの、培養液にいたのが…」

先に答えにたどり着いたさゆみに、里沙が静かにうなずく。

「この子、あの地下施設の培養液の中にいたの。それで、人より成長速度が少し早いのよ」

里沙の説明に、さゆみは漸く理解した。
黒衣の男との闘いの際、愛と里沙は地下施設へと向かった。
それは、成長速度の早まった彼女の「成長の時間」を止めるためだったのだと。
それが薬なのか機械なのかは定かではない。だが、あの場面で現場から離れたふたりの真意は、わかった。

「外見と内面の年齢差があるけど、徐々に追い付いていくよ」

里沙にそう言われても、絵里はまだ、その真実の一片を掴み損ねていた。
構わずに「詳しいことはあとあと」と愛が紹介を続けた。

「茶髪の子が田中れいな、黒髪の子が道重さゆみ。みんなは、この2人と主に行動してもらうことが増えるから」

またしても衝撃の発言だ。いや、ある程度は想像していたことではあったけれど。
それはすなわち、もう、最初の9人には戻れないことを示していた。
当たり前と言えばそうなる。れいなとさゆみを覗いた7人はそれぞれ異動した。
今日こうしてこの場に集っていることが、ひとつの、奇蹟なのだ。


「暫くは、私やガキさんも一緒にいる。だけど、半年も経ったら、さゆとれいなに託すよ」
「そんな自信ないっちゃけど」

半笑いで、正直な気持ちを吐露した。
予想以上の加速度で現実を突きつけられ、混乱を極めて、まとめられるのだろうか。
4年の戦歴がある自分たちと、恐らくまだ経験の少ない新人ら4人を。

「2人とも、闇に打ち勝った。だから、大丈夫だと、信じてるよ」

愛は真っ直ぐに、その言葉を返した。
彼女の口にした「闇」。それが、お互いの抱えていた疑念や悲しみを超えるための回廊の闘いだと、すぐに分かる。
あの回廊での闘いを、愛たちは何処まで知っているのだろう。
上層部の耳には入っているのだろうか。もし上層部が知っていたとしたら、れいなとさゆみの行為は背信にあたるかもしれない。
それでもお咎めなしなのは、彼らが許したという事なのだろうか。
未だに上層部の考えは読めない。自分たちのトップに座す男のことも。

結局れいなは、自分があまりにも無知であることを改めて思い知る。
自分たちを取り巻く共鳴についても。組織の在り方についても。仲間についても。

「これから、はい、仲間です!って言われても難しいだろうけど。それでも、私たちはリゾナンターだから」

共鳴で繋がれた絆。
呪いにも似たその結束を、抗うことはできない。新しい風は容赦なく吹き荒れる。

「早速で悪いけど、全員地下鍛錬室に来てくれるかな?」
「え?」
「軽くそれぞれの能力を見てもらった方が早いでしょ。4人の能力も分かるし」


「これから?」
「よーし!小春が一番!」

よりによってこれから?という提案に、やはり乗ったのは小春だった。彼女がすぐに此処から異動してしまうのは、あまりにも寂しく思う。
彼女は時に性急だが、名の通り、春のような温かさももっている。それが、新人たちにとっては頼りになる気がしていた。
果たして、れいなたちはそうなれるだろうか。新人たちの、道標に。

「ジュンジュンも変身するダ!」
「……新垣さんの能力はどうやって見せるんです?」
「えー……カメを操ればいいんじゃない?」
「やだー!絵里そーゆーの怖い!」
「大丈夫かめさん。お化け触らない約束ですダカラ」
「それ全く関係ないね」

れいなとさゆみ以外はこの状態を始めとする異常を受け入れているのか、すんなりと地下鍛錬室へと移動しはじめた。
思わず二人は顔を見合わせるが、拒むことはしない。
愛はその様子を見ながら「ごめん」とまた謝る。


「たくさんのこと、話して」
「そうやね。全然理解できん」
「れいなは東も分からないアホだから、さゆみ以上に理解してないと思うの」

それでもれいなたちは、止まることを許されない。
新しい風が吹いた。
それを全身で受け止めると決意した。だから、前へと歩みを進める。

「愛ちゃん」

その背中に、問う。

「もう、隠し事はないっちゃろ?」

その言葉に愛はさらりと「ないない」と笑った。
愛はそう言いながら、昨日の謁見を思い出していた。

リゾナンターを束ねる管理官と呼ばれた男との、あの謁見を。 


投稿日時:2016/12/04(日) 18:03:48.67



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