(142)303 『先輩の意地』-over the limit- 2
その人が何を言っていたのかが分かったのは13歳を超えた辺りだった。
衣梨奈がややこしくて面倒で、でもいつも頼りにしてしまうこの力の使い道を理解した時だ。
もうその人の顔をハッキリとは思い出せないけれど――
あれは子供の頃の事だ。5歳位、だったろうか。
衣梨は誘拐されかけた夢を見た事があった。
それはとても現実味に溢れていて、夢にしてはやけに鮮明に覚えている。
今迄誰にも言う事は無かったけど、あれはきっと夢なんかではなかった。
前日の記録と記憶が衣梨以外の周囲の皆から何故か抜けていたからだ。
まるで何もなかったかのようにどんどん時間は進んでいった。
早く帰って来なさいって言われていたのに、
夏だからかなのか日が暮れるのが遅くなっていた。
気付いた時にはもう辺りは真っ暗になっていた。
怒られちゃうと思い、近道をする為にいつもは通らない裏道を通ったんだと思う。
暫くして後ろから走って追いかけてくる大人が居た。
『ちょっと待って!お嬢ちゃん、落とし物だよー!』
衣梨今日おもちゃ持ってきてたっけかな?
でもありがとうって言わなきゃと思って振り向いた時には遅かった。
笑おうとしていた口と、受け取ろうとしていた腕を凄い力で掴まれた。
塀に押し付けられてあっという間に衣梨は自由を奪われた。
今迄衣梨の腕と口を掴んでいた男の目がぐるりと白目になった。
次いでドサリと倒れ込むと首を掻きむしっては、
塩をかけられたナメクジのように這い回って悲鳴を上げていた。
倒れた男の後ろには真っ白いスカートを履いた女の人が居た。
肩口で切り揃えられたサラサラの髪をした人だったのは良く覚えている。
突然の事に一体何が起きたのかその時の衣梨には分からなかった。
『こっち』
ぐいっとまた知らない人に腕を掴まれたのに、
突然現れたその人の手から恐怖を感じる事は無かった。
明るい店が立ち並ぶ大通りに連れてこられてとてもホッとしたのを覚えている。
全力で走って荒くなった呼吸を整えてる間、頭を撫でられながらよしよしされた。
『……死んじゃうの?あの人凄い苦しそうだったよ』
『大丈夫、死にやしないよ手加減したから』
『そう、なの?』
『目が覚めたら君の事と今日の事を忘れちゃうだけだから。
優しい子だね、もう大丈夫だから安心して』
あんな事されたんだから、こっちは何も悪くないし心配なんかしないで良いと告げられた。
そっか、衣梨が助けてって思ったからこのお姉ちゃんが来てくれたんだ。
『…あの。お姉ちゃんは、だあれ?』
『んー。誰だったっけな』
『誰か分からんと?』
『えーっと……君の天使様!それで行こう、うん』
『お姉ちゃん天使様だったと?』
『そうそう、君にしか見えない天使様だよー。ほら、ガラスにも映ってないでしょ』
確かにそう指差された洋服屋さんの大きなガラスはどういう訳なのか、
横に居るはずのお姉ちゃんは本当はそこに居ないんだよと教えていた。
冷たい窓ガラスはまだ背も小さな衣梨と暗くなった街並みしか映してくれていなかった。
『うん』
天使様は一体どうしてガラスに映らないのだろう。
映るガラスはどこかにないのか名残惜しそうにお店を見ながら、
衣梨は天使様と手を繋いで家に帰って行った。
結局そんなガラスを見つける事は出来なかった。
そういえば、こっちーとか何も言わなかったのにどうして衣梨の家を知っていたのだろう。
衣梨の頭の中でも覗いたんだろうか。夢だからだったのだろうか。
『……着いたと』
『うん、じゃあお別れだね。私も元の場所に帰らないと』
『ねえ、天使様。死ぬって、どうなると?怖いのかな?』
『さぁ…?私もまだ死んだ事ないし、どうなるんだろうね。
時が経てば人と空と風と、地球から段々と忘れられてくだけだよ。
皆誰しもが最後は虚無へと帰る。それ以上でもそれ以下でもない。
……ただ、死にたくないと思うのは。それはまだ生きてるという証拠だよ』
『しょうこ?』
『そう。それはこれから先の君自身で見つけるものだよ』
そう言うとその人は柔らかく笑って淡く白く光り輝く影となって空気に溶けて、
『バイバイ』とだけ聞こえてついには夜の闇に消えてしまった。
そこで意識が途切れて目が覚めた。衣梨は家の布団の中に居た。
倒れた男の様子を今にして思うと【壊す】と思って精神崩壊を仕掛けた相手の苦しみ方とそっくりだった。
あの人は本当は衣梨の中の衣梨だったのだろうか。
天使様に会ってから衣梨の力が少しずつ目覚めていったのは確かだった。
それにしても天使様、か。それとも甜死様だったのか。
上手く使えんしちょくちょく暴走するし、悪魔みたいな力だって思ってたけど。
里保を助けた時、この力が衣梨にあって本当に良かったと思った。
その日も天使様に感謝したんだった―――
きっと衣梨なら、もう一度感謝出来る。いや、しなきゃいけない。
そんな事を何となく思い出しながら気持ちを落ち着けて目を開けた。
「確かに。失敗、出来ませんね」
「当たり前でしょお?最初っから失敗なんて考える人間はリゾナンターには居ないんだから」
バシイッと背中を叩かれて気合いを入れられる。
逃げ出した肩の力みと飛び出した息の分だけすぅっ、と深呼吸をする。
「…前だけ見てろ、胸を張れ!決して泣くな!…だって泣いたら格好悪いじゃないですか」
「うん、分かってるじゃない、流石生田」
ニヤリと新垣さんに笑われる。きっと自分も同じ顔してる。
衣梨にとっての天使様は新垣さんでもあるから、どんな些細な事でも単純に喜べる。
はるなんが今の2人を見たらナイス師弟関係です!なんて大いに盛り上がる事だろう。
なんなら一眼レフで余す所なく連写してくれても構わない。
「小田ん、どこ行ってたと」
トレーニングルームのドアが開き何食わぬ顔でひょい、と小田が入ってきた。
試験対象って言われていた牧野も一緒だった。
これから試験だと聞いてなのかそれともなにかあったのか、
いつものような底抜けに明るい元気が無いのが気になった。
「ちょっと緊急の野暮用で。訓練中にも関わらず時間を少し止めてしまったのは謝ります」
「いやそれは良いんだけど、まき…」
突然小田が消えるのは今迄もちょくちょくあった事だからさほど驚きはしなかった。
ただ新垣さんがいきなり目の前に来てたと言う事に驚いただけで、
小田の事はまあ小田だし、なんかあったんだろう位にしか考えてなかった。
「おー、初めまして。貴女が真莉愛ちゃん?新垣里沙です、よろしくね」
「あっ、牧野真莉愛です、よろしくお願いします!」
衣梨がどうかしたのかを聞く前に新垣さんが話しかけていた。
新垣さんに初めて会うって事で緊張していただけだったのか、
物怖じしない牧野にしては珍しい。
投稿日時:2017/03/03(金) 18:23:10.56
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