(132)224 『the new WIND―――』

保全代わりにhttp://www35.atwiki.jp/marcher/pages/1050.htmlの続きです



ぼんやりとした世界が飛び込んできて、此処が天国でも地獄でもないことに気付いた。
見慣れない天井だったが、此処が何処であるかは、知っている。
白い天井、薬品の香り、自分の右腕から伸びた先にある、点滴。柔らかくない、ベッド。
此処は、病院だ。亀井絵里が入院していた場所と同じかどうかは定かではない。

「あー・・・・・・」

息を吸い、深く吐くのと同時に声を出す。
絞り出た声はしゃがれていて、いつもの可愛らしい自分の声じゃないのが不満だった。
声を出すだけで精一杯で、とてもではないが、動ける状態ではない。
薬が効いているのか、まだ眠気が残る。

また寝てしまおうと目を閉じると、すうっと夢の中に入っていけそうだった。
睡魔と手を取りながら、生きていることを、実感した。

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次に目を覚ましたとき、だいぶ身体が回復していることに気付いた。
最初に夢から首を擡げた時からどれだけ時間が経っているのかは判別できない。
1時間や2時間程度ではないだろうと、首を曲げると、隣のベッドが目に入った。
そこは空だったが、ふいに、直感した。

ああ、さゆが、いたんだと。

「あの日」、彼女に抉り取られた左目には、義眼がはめ込まれていることに気付いた。
“治癒能力(ヒーリング)”、間に合わなかったのだろうかと、れいなはゆっくりと腕を伸ばし、点滴スタンドを掴む。
軋む体に鞭打ちながら、上体を起こす。骨があちこちでびしっと音を立てる。
緩慢な動作で下半身をベッドから下ろし、床にあったスリッパに足を通す。久し振りに二足で立つと、立ちくらみがした。
血が回っていないのか、すぐにぺたりと腰を下ろしてしまう。
やれやれと息を吐き、再び立ち上がる。よたよたしながら、まるで老人のような足取りで病室を出た。

彼女が何処に居るのか、れいなは知っていたわけはない。
だが、いつだってその場所に、自分たちは集まっていたなと思い出していた。
初めて、「異動」を告げられた時、リゾナンターの絶対とも思っていた「今」が崩れ去ることを知った時、
れいなたちは、屋上に居た。
廊下の先にあるエレベーターに乗り込み「R」を押す。無機質な箱がせり上がり、れいなをそこに連れてきた。

扉を開けると、いつか見た、澄み切った「青」が飛び込んできた。
人がどんな気持ちでいるのかに関係なく、空はいつだって平等に、自分たちの上に広がっているんだと実感する。
たくさんのシーツが風に靡き、ふわりと洗剤の香りを漂わせる。
優しい香りの向こう側に、彼女はいた。
彼女もまた、れいなに気づいたらしく、ゆっくりと振り返る。

黒曜石のような瞳、肩よりも伸びた艶やかな髪、少し痩せたのか、頬がこけているようにも見える。
それでも、さゆみは、生きていた。
「あの日」、彼女の腹には風穴を開けてしまった。この右の拳で、紛れもなく自分が自分で、仲間を傷つけた。
さゆみの哀しみを受け止めるという役割を果たすために、さゆみを、傷つけた。

「さゆ―――」

ごめんなさい、と言うべきだったのかもしれない。
だけど、何に対する謝罪なのかは、分かっていなかった。
結局それは、自分の判断が正しかったのだと、自分に言い聞かせるための材料にしたかったのだと思う。

「れいな」

彼女もまた、謝ることはせず、真っ直ぐに、れいなの名を呼んだ。
言葉にならないたくさんの想いが、溢れそうになる。
心という器の中には収まりきらないそれは、だけど言葉では足りなくて、薄っぺらくなってしまう。

ならばもう、言葉はいらない。
分かり合える「なにか」が、確かにあの場所で4年間刻んできた、“共鳴”が此処にはあるのだから―――


「生きてくれて、ありがとう」


瞬間、お互いの心が、全身を駆け巡った。

ある男の襲来から始まった、リゾナンターの解体劇。
そこにあったのは、上層部の見えない考えへの恐怖だ。
さゆみが終わらせたかったのは、リゾナンターであることではなく、何を考えているか分からない上層部への恐怖。
「怪我をしたから異動」というのは、理屈としては筋が通っている。
だが、それにしてもあまりにも続きすぎたことが不自然だった。
上層部はもとより、こちらへの説明責任を果たしていない部署だが、今回の異動劇はいくらなんでも限度を超えていた。

れいなもそれには同意していた。
この解体の裏には、上層部の何らかの思念があることは明白だったが、それを認めたくないのも事実だった。
ダークネスとの決着もついていないのに、世代交代を図ろうとするのは無理がある。
さゆみは「あの日」、リゾナンターは強すぎるからこそ、上層部は解体しようとしていたと言った。
自らには向かう牙をそぎ落とすために。

だけど、どうしても納得のいかないことがある。
上層部が、本気でリゾナンターを解体しようとしていたなら、1人ずつ削っていくというまどろっこしい方法をとる必要はない。
さゆみの言うように、あの9人を束ねるほどの実力を持つものが、“上”にはいる。
確かに全面抗争になれば地図から街が消える可能性もあるだろう。
だが、1人ずつ人数を減らしていったとしても、いずれれいなたちの感情は爆発し、上層部と抗争になる可能性はあった。
現にれいなは、上層部の居場所を聞き出して乗り込もうと考えていた。

それは実際に行動に移すことはなかったが、遅かれ早かれ、上層部とは衝突していたのではないかと思う。
そうであるならば、「解体」という行為自体、意味がなくなってしまう。
解体のあるなしに関わらず抗争の未来は避けられなかったのならば、なぜ解体という道を選んだのか。
そして、なぜ、1人ずつだったのか。
明確な答えがないままに、さゆみとれいなは、衝突した。
どうしようもない現実にあらがうように、訳が分からないままに、何のために闘うのかも不明瞭になりながら、闘った。

そのとき、あの風が吹いた。
気まぐれに、何処にでも現れる自由な風は、さゆみとれいなの前髪を揺らしていった。

「あの風、絵里だったのかな」

さゆみの言葉に、れいなは曖昧に笑った。
確証はない。もしかしたらそうかもしれないし、偶然かもしれない。

だけど。

「逃げることは、赦されんやろうね」
「……曖昧なままで、終わるなってこと?」

さゆみもれいなも、ヒーローではない。社会の異端者で、認められる存在ではない。
ただ純粋に祈りを捧げ、我武者羅に闘って世界の平和を願った、無垢で優しい、“人”だ。
それは言い訳にしかならないのだけれど。

だから、人である限り、この闘いの日々を、闘いをもって終わらせるしかない。
中途半端なままで、終わりなど、来ることはない。
たとえその先に、安息の瞬間が訪れなくても。さゆみもれいなも、闘うしかない。

「過去を繋いで、未来を紡ぐために」

シーツの隙間から、風が吹き抜ける。
さゆみは無意識に、その風の先を追いかけた。
春の陽気を誘って、風はゆっくり、青へと溶けていく。

覚悟はもう、決まった。


投稿日時:2016/10/09(日) 21:29:19.98


作者コメント
前回が7ヶ月振りで今回が2年振りとかサボりすぎですね…
スレの話題についていけない浦島ですが
お暇な方はどうぞ最後の景色までお付き合いをm(__)m





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