(120)95 『リゾナンター爻(シャオ)』77話
「は、はっ、な、な、なんだよこれはああああああああああああああっ!!!!!!!!!!」
溶ける。崩れる。剥がれ落ちる。
「金鴉」の体が、煙を立てて崩壊してゆく。
馬鹿な。10分にはまだ早すぎる。なのに、なぜこんなことに。
縋るような思いで相方のほうに目をやる。「煙鏡」は。
腹を抱えて、笑っていた。
「あああああああああああああいぼんてめえええええええええええええええ」
そこで、「金鴉」はようやく気付く。
自分が、「騙されていた」ことに。
「いやぁ、済まんなぁ。ちょっと時間間違えてもうたみたいや」
「ふふふふふふざざざざざざけけけけけけ」
「ま。そもそもうちの『鉄壁』でも、自分のオーバードーズは解除できひんかったけどな」
「はああああああああああああああああああああああ」
10分が限界など、真っ赤な嘘。
「鉄壁」で助けることができるというのも嘘だった。
最初から「金鴉」が助からないことを、「煙鏡」は知っていた。
いや、そうなるように自ら仕向けたのだ。
それが勝利の、唯一の条件だと思い込ませるように。
「はあうああああああああああああああああああああ」
「金鴉」の顔が、目まぐるしく変化してゆく。
今まで擬態した人間の顔が同時に、多発的に浮かび上がり、そして消えてゆく。
形を、形を保たなければ。
「金鴉」は必死に自分の姿を脳裏に思い浮かべ、体を再構築しようとする。
だが。逆らえない。既に能力者の情報を限界以上に取り込んだことによる揺り戻しの力には。
それでも、この流れに従うわけにはいかない。
自分の。自分本来の姿を強くイメージすることで。形を。元の形を。
そこで、「金鴉」はようやく気付く。
本当の自分って、どんなんだっけ。
「擬態」を得意とする彼女は。彼女には。
元より本来の姿などないに等しかった。他者に姿を変え、そして能力すら変えてしまう。そして、元に戻る時に。
ほんの少しだけ、姿を変える前の自分とは違っていた。それが、何十、何百と繰り返されてゆく。
そのことに、気付かないはずはない。けれど。気付いてはいけなかった。
今ここにいる自分の存在さえも信じることができなければ、一体どこに足をつけて立てばいいのだろう。
何を拠り所にして生きていけばいいのだろう。わからない。わからない。わからなわからわかわかわわわわ
手も、足も、筋肉も、骨すらも。ぐずぐずと音を立てて壊れ、腐り、流れ落ちる。やがて、頭だった塊を残し、
赤黒い液体の中に沈んでいった。
呆気に取られている春菜たちを尻目に。
「煙鏡」は、ゆっくりと赤黒い水たまりのほうへと降下してゆく。
心底汚らしいものを見るような目、それと、恨みがましく相手を見上げる目が合った。
「……」
「最後に言うとくわ。うちな。お前のこと…ほんまに嫌いやってん」
最早口も利けなくなった肉の塊に言いながら、「煙鏡」はそれに靴底を合わせ。
踏み潰す。
しんと静まり返った静寂に、鈍い音が低く響いた。
先程まで生きていた人間が、瞬く間に赤黒い液体に成り果てる。
燃え盛っていた命が、消えてしまう瞬間。
その場にいたリゾナンター全員の、魂が凍えてしまうような風が吹いた。
そして春菜からそんな一言が出るほどに。
「煙鏡」の行いには慈悲が無く、そして残酷だった。
「ひどい、やって? のんをこないな姿にしたんは、お前らやないか」
「煙鏡」は自らの行為をまるで悪びれないどころか、過酷な現実を突きつけた。
確かに、間接的に「金鴉」が自滅する原因を作ったのは自分たちだ。けれど、こんな結果を望んでいたわけではない。
抗議の思いは次々に言葉を迸らせる。
「うるせえ!ふざけんな!!」
「まさたちそんなことしてないもん!!」
「だいたい、こんな風になるように仕向けたのはあんたじゃないか!!」
香音が糾弾するのと。
「煙鏡」がいつもの高めの声を低くして言葉を発するのは同時。
「甘えたこと言うなや。うちらに牙剥いて、双方無事で済むと思うたんか。これは…殺し合いやで。もちろん、それは
うちとのんの間にも言えることやけどな」
「…少なくとも、私たちは殺し合いをしにきたんじゃありません!!」
結果はともかく。
きっと聖なら、同じことを言うだろう。春菜は、強く、そしてきっぱりと言い切った。
が。春菜の心はまったく「煙鏡」には届かない。
んこと、どう思ってたか」
― うちは、こいつとは違う ―
それが、聖を通して春菜が受け取った断片的なメッセージだった。
にしても。それにしても。ここまで憎悪を滾らせるほどのものだったとは。
「さあて。お仲間もお目覚めのようやし。そろそろ『メインディッシュ』と行こうやないか」
「煙鏡」の言うように、「金鴉」に手ひどくやられていた衣梨奈や亜佑美も意識を戻しはじめていた。
しかし、戦うだけの力が残されてるとは到底言えない。
「その前に一つ、謝らなあかんことあんねや」
「は?今更お前が何を謝るってんだよ!」
思わせぶりな「煙鏡」に噛みつく、遥。
吠える子犬を往なすように手をやった「煙鏡」、刹那、その手のひらから電撃が迸る。
「うわああああっ!!」
「くどぅー!!」
敵の攻撃をまともに受け倒れる遥に、優樹が駆け寄る。
そこへ、今度は鋭い風のかまいたちが。足元を切られ、勢いのままに転倒する優樹。
「お前ら知ってるか知らんかわからへんけど。うちらダークネスの幹部にはそれぞれ、誰にも明かせん『秘密』がある。
うちの能力は…ほんまは『鉄壁』とちゃうねん」
床に倒れつつ見上げるもの。膝をつき、動けないもの。
「煙鏡」の言葉は、リゾナンター全員を戦慄させた。
「うちの本当の能力は、一度見た相手の能力を。見ただけでコピーできる。『七色の鏡(ミラーオブザレインボー)』、
そういうこっちゃ」
高らかに笑い声を上げながら、漂う水の球体を出現させる「煙鏡」。
まさしく、倒れている里保の能力だ。
「そんな…そんなことが…」
「お望みとあらば、お前らの能力なんぞなんぼでも真似できるで? ま、全員分披露する前に…全員、あの世逝き
やろうけどな」
やっとの思いで「金鴉」を倒したのに。
里保を欠いた状態で、この敵に太刀打ちできるのか。
誰もが困惑と絶望に向き合う中。
ただ一人、「真実」を見つめているものがいた。
「天才」。
それが、彼女に与えられた最初の「二つ名」。
確かに、彼女はその名に相応しい活躍をしてみせた。
特に、悪魔の頭脳とも言うべき思考能力。標的を陥れ、知略の闇に葬り去る力は組織の上層部に賞賛されることになる。
しかし。それが彼女の欲するものに見合うものだったかと言えば。
違う。そうじゃない。
自分はもっと、評価されるべきだ。何故なら評価に相応しい才能の持ち主だから。
だが、現実に見合った評価がされているとはとても思えない。
― こいつらは、失敗作だ ―
遥か昔の記憶に残る声が、不吉な響きを持って囁いてくる。
うちが、失敗作やと? そんなはず、あらへん。
ではどうして。
答えはすぐに、導き出される。
「こいつ」のせいだ。この世に産み落とされた時から金魚の糞のようについてくる、不快な存在。
双子のようで、双子じゃない。そうだ。こんなやつと双子であってたまるか。
なぜなら自分は「天才」であり、「こいつ」は途方もないマヌケだから。
切りたい。切り離して、自由になりたい。
その思いを、組織の「首領」に訴えたこともあった。
― あかん。自分らは、二人でひとつのニコイチやからな ―
その言葉は、激しく彼女を苛立たせた。
ふざけるな。何故そのようなことを強制させられなければならないのだ。
「あいつ」と、あんな役立たずと死ぬまで離れられないなど、そんな理不尽なことがあってたまるものか。
彼女は決意する。
こうなったら、何が何でも独り立ちしてやろうと。
自分の影のようにくっついてくる「こいつ」さえ切り離せば、自分は真の「天才」として真っ当な評価を得られる。
そのためには、何だってやる。
彼女の血を吐き泥を啜る決意は、固まっていた。
「お前らも知っての通りや。うちとのん…『金鴉』は能力を扱う上で重要な精神力を共有しとった。逆に言えば、今はう
ち一人でその精神力を自由に使える」
言いながら、倒れている遥を指さし、さらなる電撃を振るう。
追い打ちをかけられた形になった遥は、びくっと大きく痙攣しそしてそのまま気を失ってしまった。
「そんな…あなたは『金鴉』と二人で一人のはず、一人きりでこんな力を使うなんて」
「うちが半人前扱いされてたんは、頭の悪いおまけがひっついてたせいや!」
今度は、氷。急激に冷やされた空気が白く煙る。
そして生成された氷柱が、春菜目がけて突き刺さる。
急所は免れたものの、鋭い氷の牙が肩と足の甲を深々と刺し貫いていた。
激しい痛みは、春菜の痛覚を限りなくゼロに近づける能力をもってしても決して消えはしない。
「さあ。次はどんな能力、見せたろか。ま、うちみたいな天才にできないことはないからな」
「煙鏡」の広げた両手から。
炎が。大岩が。風が。ありとあらゆる自然の力が。生み出されてゆく。
彼女の相方は、自らの体を犠牲にしてようやく複数の能力を扱うことができた。それなのに、目の前の相手はそのことを
軽々とやってのけている。そんな相手に、勝つことができるのか。
「大体や。うちがこないなヨゴレ仕事せなあかんのも、元はと言えばあの筋肉馬鹿がしくじったせいや。『蟲惑』ぶっ殺
せとは言うたけど、よりによって反感買う方法でやりおって…ほんま余計なことばかりしくさるわ」
リゾナンターを「力」で圧倒しているはずの「煙鏡」は。
激しく、苛立っていた。それこそ、過去の「金鴉」の失態を詰るほどに。
余計な足枷からようやく自由になれたというのに、何なのだ、この不快感は。
その理由は、程なくして明らかにされる。
意識のあるメンバーたちが顔を青くさせる中、その声が一際大きく響き渡る。
「…誰や。うちのこと嘘つき呼ばわりしたアホは」
「まーちゃんだよ!!」
叫んだ少女 ― 佐藤優樹 ― が、胸を張る。
先ほど「煙鏡」に斬られた足からは、痛々しいほどに血が流れていた。
それでも揺るがない心、揺るぎない意志。果たして、その言葉の意味は。
「何や…腹立つな。アホさ加減があの役立たずによう似てるわ」
そうか、うちの苛立ちの原因は、こいつか。
「煙鏡」は、一人平然と自分の前に立つ優樹にその原因を求めた。
「知らない!まーちゃんは、まーちゃんだ!!」
「さよか。さっさと死ねや、まー何とか」
声を張り上げる優樹に、鬱陶しげに掌を翳す「煙鏡」。
現れたいくつもの水球が、うねりながら優樹に向かって飛ぶ。
すると、不思議なことに。
凶暴な水の塊は、優樹に触れることなく消滅した。
「だから言ったじゃん!お前は、うそつきだ!!」
明らかに、狼狽えた表情を見せ始めた「煙鏡」は。
身を低くし、床に手を添える。コンクリートを突き破り、現れたのは無数の人影。
ある者は片手が千切れかけ、ある者は腹を抉られ中の臓物が顔を覗かせ、そしてある者は顔の半分が欠けていた。
どこから呼び出されたのかはわからない。けれど、リゾナンターたちを取り囲んだのは紛れもなく、既に命を絶たれた亡
者たちだった。
「ははは、どや!死者を操る力や。うちの能力を一つ一つ披露しつつなぶり殺すつもりやったけど、気が変わったわ。う
ちのことを嘘つき呼ばわりしたお前が悪いんやで?」
虚ろな目をした亡者たちが、包囲網を狭めてゆく。
さくらさえ健在であれば、一瞬の隙をついて逃げ出すこともできるだろうが。
今戦えるメンバーでは、物理的に攻撃を凌ぐしかない。
「衣梨奈はピアノ線で防御するけん、亜佑美ちゃんはあのでっかい巨人で!」
「了解です生田さん!!」
戦闘態勢に入る衣梨奈と亜佑美。
しかし、優樹は二人の間に割って入る。
「優樹ちゃん!?」
「あゆみも、生田さんもあいつに騙されてる。そんなんじゃ、だめ」
いつも妙なことを言って周囲を困らせる優樹ではあるが。
こういう時の優樹の言うことは正しいのもまた、事実。
号令代わりの叫び声とともに、優樹に向かって一斉に襲い掛かる亡者たち。
しかしその鋭い爪も。牙も。優樹の体を掠めることすら叶わずに、消えてゆく。まるで、最初から存在していな
かったかのように。
そこで「煙鏡」ははじめて、「ありえない」現実に気付く。
「う、嘘やろ…なんで、何でお前だけ」
失意は、その場に立つ気力さえ失わせる。
思わず膝をつく「煙鏡」。いや、そのことだけが原因ではない。
「嘘!嘘!全部ウソ!!お前の言ってることは、ぜーーーーーーーんぶ、ウソだぁ!!!!」
「や、やめろや!!それ以上は!!!!」
懇願空しく、「煙鏡」の呼び出した亡者たちはそれこそ煙のように、消えてなくなってしまった。
後に残るは、すっかり消耗しきった小さな少女のみ。
「よくわかりませんが。もしかして、『金鴉』さんがあなたの精神力を共有していたように。あなたも、『金鴉』
さんの体力を共有していたのでは?」
春菜の、鋭い一言。
もしそれが事実なら、「煙鏡」の急速なガス欠状態にも説明はつく。が。
息も絶え絶えに叫び、「煙鏡」が何かを地面に投げつけた。
途端に溢れる、激しい光。
「せ、閃光弾!?」
「しまった!!!!」
すっかり油断していた。
閃光弾や煙幕のような道具は、強力な能力者は所持していないことが殆どだ。
何故なら、自らの能力があればそのようなものを使わずとも窮地を切り抜けることができるから。
その油断が、このような隙を作ってしまった。
さくらが起きていればまだしも。
突然の閃光に抗う術を持たないメンバーたちは、目を瞑らずにはいられない。
光がひとしきり退いた後には、既に「煙鏡」の姿はなかった。
「逃げられた!!」
「ちくしょう!はるの千里眼でも捉えられないなんて!!」
「あんなやつどうでもいい!それより、やっさんが!!!!」
「金鴉」に強烈な一撃を食らい倒れた里保のもとに、リゾナンターが集まる。
里保は、目を閉じて床に倒れている。
口からは、一筋の赤い血の跡が。
そして。
寝言。
どうやらただ、寝ているようだった。
「人騒がせな!!」
「でも、どうして無事で…」
「きっと、里保ちゃんに攻撃する前に『金鴉』の体は限界を迎えてたんだろうね」
香音の冷静な考察。
ともかく、里保の命には別状はなさそうだが。
「ひとまず、ここを出ましょう。譜久村さんたちの容態も気になります」
「金鴉」と「煙鏡」の撃退という一つの目的は果たした。
本来であれば無力化し身柄を拘束するのがベストではあったが、取り逃がしてしまったものは仕方がない。それ
に、あれだけの慌てぶりでは今すぐリベンジの為の何かを仕掛けるような余裕はないはず。
鉄骨の中に佇む巨大なロケットのことは気にかかるが、自分たちでどうこうできるような代物でもない。
「金鴉」によって荒らされた場所、今は静かな湖のような静寂を湛えている。
ただ、床にべっとりと広がる血とも肉ともつかないような液体が毀れ流れている。そのことだけが、この場所で
激戦が繰り広げられていたことを物語っていた。
「金鴉」は、死んだ。
それは、若きリゾナンターたちが経験した、最初の「戦闘による」能力者の死でもあった。
「煙鏡」の言うように、自分たちが望んでしたことではない、本意ではない結末であったとしても。結果的に
「金鴉」は死んでしまった。それだけは間違いない事実であり、少女たちの心に生涯に渡って焼き付けられる
であろう烙印だった。
それでも今は、その罪に膝を落とし蹲ることは許されない。
わずかに残された「煙鏡」の悪あがきの可能性に警戒しつつも、リゾナンターたちは地下のロケット格納スペ
ースから撤退を始めるのだった。
投稿日時:2016/04/30(土) 20:24:15
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